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業界動向 2019.06.17

数十年先の“空間コンピューティング”を見据える企業――謎の巨人Magic Leap特集(前編)

元号が変わる直前の2019年4月26日、VR/AR業界に大きなニュースが飛び込んできました。

それは、NTTドコモによる2.8億ドル(約300億円)の出資。ドコモが資本・業務提携を行ったのは、米国・フロリダに拠点を置くスタートアップMagic Leap(マジックリープ)です。この金額は、国内企業によるVR/AR/MRの分野に対する出資としては最高額です。

金額の大きさもさることながら、出資を受けた企業がこの業界では知らないものはいない(そして未だ謎の多い)Magic Leapであることから、大きなインパクトのあるニュースとして受け止められました。

グーグルやアリババなどから巨額の資金調達を行い、様々な分野からの注目を集めながら、ハードウェアの開発を行ってきたMagic Leap。この特集では、前後編に分けてMagic Leapの正体と、ドコモからの資金調達の狙いに迫ります。

謎に包まれしスタートアップMagic Leap:その歩み

Magic LeapはマイクロソフトのHoloLensのようなMR(Mixed Reality/複合現実)デバイスを開発していることで知られています。デバイスを装着することで、現実の物理世界に3Dモデルをあたかもそこに存在するかのように見ることができ、操作できます。

同社は2014年頃からGoogleやアリババなどから巨額の資金調達を行いつつも、デバイスの詳細を一切明かさず、期待を膨らませるような動画を半年に1回程度アップロードするだけ。体育館の床からクジラがその巨体を現すシーンに代表されるように、いずれも「実現すればすごいことになる」と、ワクワクするようなものが多くありました。

しかし、同社が公開した動画の一部は実機で動いているものでなく、後処理で合成されたものであることが分かると、メディアや開発者からの風当たりは強くなります。「果たしてどの程度すごいものを作っているのか?」「動画で見せているものは本当に実現するのか?」と、期待と不安の入り混じった反応がたびたび見られました。


(Digi-Capitalが作成したVR/AR業界への投資額の推移を示すグラフ。時たまに突き抜けて多額の投資が行われているが、これはARデバイスへ=Magic Leapへの出資だ)

そして2017年11月、ついにMagic LeapはMRデバイスの開発者版「Magic Leap One Creators Edition」を発表しました。軽量なメガネを意識したデザインのヘッドセット、有線で接続されプロセッサとバッテリーを内蔵したLightpackと呼ばれるユニット、そして手に持つコントローラーで構成されています。2018年8月に2,299ドルで発売され、現在は米国を始め数カ国で販売中です(2019年6月17日現在、日本への販売は行われていません)。


(「Magic Leap One Creators Edition」。2018年10月には初の開発者会議L.E.A.P Conも開催された)

しかし、待望の発売となった「Magic Leap One」に対して、メディアなどで語られたレビューは手厳しいものが続きます。筆者も発売直後に米国で体験しましたが、Magic Leap社が作成したデモは非常に簡単で、あまりインパクトのある体験ではありませんでした。先行して2016年に発売されていたHoloLensと比較すると、「全体的な性能は高く、視野角も広く見えるものの、革新的な違いがあるとは思えない」ものでした。

その後、2018年10月になるとパートナー企業が作成したデモアプリが体験できるようになりました。「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督によるWeta Workshopや、ルーカスフィルムで没入型エンターテイメントの研究を行うILXxLABなど、名高いクリエイターらが所属するスタジオが参加。一世を風靡した「アングリーバード」も移植され、アプリのクオリティは高まりつつあります。

外から見るだけでは謎に包まれた、ともすれば批判にも晒されがちなMagic Leapですが、そのパートナー企業は増え続けています。彼らが人々を惹きつけ続けているのはなぜか――長年ARジャーナリストとして活躍しているチャーリー・フィンク氏が書籍「CONVERGENCE」に寄せた記事、「The Secrets of Magic Leap(Magic Leapの秘密)」には、これまで報道されてきたものとは異なる、Magic Leapのもうひとつの姿が記されていました。

映画や小説などに魅せられた創業者

Magic Leapの創業者でCEOのロニ・アボヴィッツ氏はマイアミ大学で機械工学を学びました。修士号は医用生体工学で取得しています。同氏は1990年代前半の当時、参加したSIGGRAPHでホットトピックだったVRに触れたとのこと。「『スノウ・クラッシュ』や『マトリックス』からもインスピレーションを受けた」と語っています。

その後、ロボットを使った手術ビジュアライゼーションのソリューションを提供する企業Makoを創業し、16.6億ドルでバイアウトして資金を得ます。アボヴィッツ氏は当時のことを、「手術用ロボットを作りながら、スター・ウォーズのドロイドを作っている感覚があった」と述懐。本当の関心は医療用ロボットではなく、映画や小説の世界だったことを認めています。同氏はMakoで空間にディスプレイを表示するソリューションに至り、後に提唱する「空間コンピューティング」の考えを強めていきます。


(Mako Surgicalが開発していた手術用ロボット。同社は2013年、医療機器メーカーのStrykerにより買収された)

チャーリー・フィンク氏が記しているロニ・アボヴィッツ氏の人物像は、テックの人間というよりはカルチャーに魅せられている様が強く描かれています。映画や小説、音楽はビートルズやグレイトフル・デッドを愛し、スティーブ・ジョブズやウォルト・ディズニーなどの起業家を尊敬している。地元フロリダにある実験的なディズニーの遊園地「EPCOT」にも魅せられているようです。

彼が心惹かれた2つのSF作品「スノウ・クラッシュ」と「マトリックス」に強く関わった人物は、現在2人ともMagic Leapに所属しています。「スノウ・クラッシュ」を描き“メタバース”や”アバター”といった言葉を生み出したニール・スティーブンソン氏はFuturist、映画「マトリックス」で特撮監修を担当してアカデミー賞を受賞したジョン・ゲイター氏はCreative StrategyのシニアVPで、“アボヴィッツ氏の腹心”とまで言われています。

そして2011年、アボヴィッツ氏はMagic Leapを設立。最初期よりアボヴィッツ氏は「起業家はパートナーを持たなければならない」との考え方のもと、パートナーシップを重要視する戦略をとります。オーストラリアのコンテンツ制作スタジオWeta Workshopと接触し、部屋を舞台にしたMRシューティングゲーム「Dr Grordborts Invaders」のもとになるデモを作り始めました。

初期にはWetaからRichard Taylor氏、NASAからSam Miller氏、アボヴィッツ氏の旧友で理論物理学者でカリフォルニア工科大学出身のGraham Macnamara氏、GoogleのScott Hassan氏といったMagic Leapで重要な役割を担う人物らが加入。関係特許を次々取得していきます(なお、Magic Leapは非常に多くのVR/MR関連の特許を取得していることでも知られています)。

「本当にクールな物を作りたい」

Magic Leapでは、アボヴィッツ氏が目指す「空間コンピューティング」を実現するために「あらゆる問題に対処しなければならなかった」といいます。特に、ハードウェアの光学系が最後のハードルで複数の焦点面(※)のあるライトフィールドディスプレイが必須、とのこと。「屋内外で使えて、解像度が高くて視野角が十分なARのシステムは多様で複雑だ」とも発言しており、2018年に市販されたMagic Leap One(焦点面が2つ)は、彼らの最終的に目指しているデバイスには至っていないことが分かります。

(※焦点面:見ている場所のピント(焦点)を合わせる奥行きの面のこと。人間の目は奥行きに応じてピント調整を行っている。)

アボヴィッツ氏をはじめ、Magic LeapはARやMRという言葉を用いず、空間コンピューティング(Spatial Computing)という言葉を好んで使います。アボヴィッツ氏いわく、「ARはスマートフォンの文脈で多く使われすぎたし、MRはマイクロソフトによって意味が分かりづらい言葉になってしまった」とのこと。

アボヴィッツ氏は、チャーリー・フィンク氏に「本当にクールな物を作りたい」と語っています。「期待を高めてわくわくさせていたかった。スター・ウォーズやゲーム・オブ・スローンズのように次のものをひと目見ようと人々が列をなすような物を作りたい」と。Magic Leapが長らく沈黙を保ち、ティザー動画だけを公開し続けたことの理由を同様に「期待を高めたかった」と話しています。

Magic Leapが目指している空間コンピューティングのコンセプトの一つに「Magicverse」があります。現実の都市空間に、空間コンピューティングを使った“複数のレイヤー”が重なって存在している世界、です。「『オズの魔法使い』の竜巻のように、“泡”に入ると100年前の過去に行ったような感覚になれるかもしれない」(アボヴィッツ氏)

印象的な“ビジョンの強さ”

Magic Leapは、「開発者とクリエイターの境目をぼやかして、曖昧にしていきたい」(Magic Leap Chief Contents Officer、Rio Caraeff氏)とも語っています。彼らがいわゆる開発者向けデバイスに「クリエイター版」と名付けたことにもがにじみ出ています。さらに社内には、映画やアニメなどを手がけてきたクリエイターとNASA出身のようなエンジニアが両方存在している、ユニークな会社になっていると言います。

これは、同社がハードウェアの開発だけでなく、空間コンピューティングのエコシステムを作り上げようとしていることと関係しています。

アボヴィッツ氏のビジョンの強さは、社内の他のメンバーのコメントからもうかがえます。かつてサムスンのスマートフォンビジネスをリードした人物であり、現在Magic LeapのChief Product Officer(CPO)として次世代機の生産を担当しているオマール・カーン氏は、「ロニは未来に生きている。(中略)僕らの仕事は、世界の残りをその未来に連れて行くことだ」と話しています。

アボヴィッツ氏自身も、ビジョンの重要性について語っています。「私たちにはビジョンがあるが、大企業にはない。しかし彼らにはキャッシュも時間もある。しかし、彼らは社会を変えていくようなビジョンを持っているのか? 例えばiPodは歴史上で53番目の音楽プレイヤーにすぎない」

Magic Leapは、10年後はハードウェアの会社ではなくなっているだろう。
私達はハードウェアの会社ではない、空間コンピューティングの会社だ。

――ロニ・アボヴィッツ

次々と資金調達を行う

2011年に創業した“空間コンピューティングの会社”は、2000万ドル(約22億円)のシリーズAの資金調達を行い、その後も次々と大型の資金調達を繰り返していきます。2014年にはグーグルが5.42億ドルを出資します。当時はまだグーグルにいたScott Hassan氏がMagic Leapを体験し、強く働きかけたとのストーリーも語っています。

Magic Leapは、2018年末までに23億ドルを調達、評価額は60億ドルとも言われます。2008年からの10年間でAR関連のスタートアップが調達した総額は63億ドル。そのうちの37%がMagic Leapに占められています(なお、タクシー配車などで知られるUberは上場前に240億ドル調達しています)。

以下の表に見られるように、投資家としては各業界の大手企業がズラリと並びます。

(これまでMagic Leapへの出資を行ってきた主要企業リスト)

テック

グーグル、クアルコム

メディア

ワーナー・ブラザーズ、ディズニー

ベンチャー・キャピタル

アンドリーセン・ホロウィッツ、クライナー・パーキンス・コーフィールド・アンド・バイヤーズ

ファイナンス

JPモルガン、フィデリティ

通信

AT&T;、NTTドコモ

EC

アリババ

特に2018年7月のAT&Tとの提携は5Gを意識したもので、店頭での販売などを含む資本提携を行いました。提携後は、シカゴで映画「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」のコラボを皮切りに、2019年6月現在は人気ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のコラボを店頭で展開しています。

2019年5月にAT&Tと同じ通信会社のドコモが2.8億ドルの出資を伴う資本提携を行ったことは、日本でのMagic Leapの展開とエコシステム構築を考えると自然な流れとも考えられます。

続く後編ではドコモへの取材も交えながら、今回の出資の経緯や目的を探ります。

 

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