Nianticは、「ポケモンGO」で世界的な旋風を巻き起こしたARスタートアップだ。ポケモンGO以前から「Ingress」、そしてポケモンGO以降も「ピクミンブルーム」(2022)、「Peridot(ペリドット)」(2023)を展開し運営している。2023年10月にはカプコンと協力して「モンスターハンターNOW」をリリース。あっという間に全世界で1,000万ダウンロードを超えるビッグタイトルとなった。そんな同社は、これまで6d.ai、8th Wallなど数々のAR企業を買収。現在はLightshipというAR開発プラットフォームを展開している。
さらに、2021年、3Dスキャンアプリ「Scaniverse」を買収。2024年3月には「Scaniverse」に3Dスキャンの新技術として注目されている「Gaussian Splatting」技術を導入し、スマホ1台で素早く高品質な3Dモデルを生成できるようになった。
驚くべきはNianticが「Scaniverse」を無料で提供し続けている点にある。上記のような新技術を導入しながらも、それ自体にオプション料金などを設定せず、開発者やクリエイターが気軽に活用できる状況を生み出しているのだ。これには、一体どのような狙いがあるのか? さらに、複数のARプラットフォームの展開は、Nianticの主軸であるARゲームとどのように関連付けられていくのだろうか?
位置情報を主軸としたARゲーム、その戦略の全貌を明らかにすべく、Nianticでエンジニアリング部門のシニア・バイスプレジデントであるブライアン・マクレンドン氏(Bamの愛称で知られる)に単独インタビューを行った。
(Nianticでエンジニアリング部門を率いるブライアン・マクレンドン氏。自身がポケモンGOとモンスターハンターNOWのヘビーユーザー。ポケモンGOはレベル50(2024年3月時点でレベル上限))
Nianticが3Dスキャンを無料で提供し続ける理由
——今回の「Scaniverse」アプリのアップデートで追加された、Gaussian Splattingという新機能について教えてください。
マクレンドン氏: Gaussian Splattingは「Scaniverse」における画期的な機能です。当初はiPhoneのLiDARセンサーを利用した高品質の3Dスキャンでした。2023年初めにはLiDARなしでのフォトグラメトリーによる3Dモデル生成にも対応しました。
従来手法に比べれば大幅に高速化したとはいえ、まだ3Dモデルの生成には時間がかかるのが課題でした。そこで開発チームは、オンデバイスでのGaussian Splatting処理の高速化に注力しました。その結果、空間を1分程度でスキャンし、従来のメッシュ処理では表現できなかった照明や透過効果も再現した美しい3Dモデルを生成できるようになったのです。
(新機能「Gaussian Splatting」で撮影した写真。従来の3Dスキャンに比べて、光の映り具合の再現度が高くなり、ガラスの透明感などが分かりやすくなっている。写真はステンドグラスをスキャンしたもの)
——世の中には様々な3Dスキャンアプリがありますが、Scaniverseはどのあたりが違うのでしょう?
マクレンドン氏: 他のアプリの多くは3Dモデルの生成をクラウドベースで処理しています。スキャンデータをアップロードしてクラウド上で3Dモデル化し、ダウンロードする。そのコストは利用料という形でユーザーに転嫁されます。
一方、Scaniverseは初めからオンデバイス処理にこだわっています。クラウドを介さないので、処理コストはかかりません。だからこそユーザーに3Dモデル生成の料金を請求する必要がないのです。
作成したモデルは様々なフォーマットで書き出せ、自由に共有・活用できます。ゲーム開発への利用やSNSでのシェア、動画作成など。私たちが目指すのは、誰もが手軽に3Dスキャンをできるようにすることです。ユーザーや開発者を制限したくない。クラウドに依存しない分、制限しなくてよいのです。
もちろんオンデバイスで他のアプリに引けを取らない処理速度と品質を実現するのは容易ではありません。しかしScaniverseは、それを可能にするためのアルゴリズムを追求し続けています。スキャンを誰もが気軽に活用できる世界を目指しており、オンデバイスと無料提供へのこだわりは揺るぎません。
——3Dスキャン自体が新しいユーザー体験ですよね。どのように広めていく予定ですか?
マクレンドン氏: その通り、3Dスキャンは写真や動画を撮る以上に新しい体験です。ユーザーにとって最適な方法でデータを取得し、その価値を理解してもらうには工夫が必要ですね。
動かない被写体、例えば赤ちゃんや犬の3Dスキャンは、これまでにない感動的な思い出の残し方になるでしょう。20年後に振り返ったときに価値がわかる。そんな3Dスキャンの新しい活用方法を、魅力的な事例と共に訴求していきたいと考えています。
もちろん、現在のデジタルカメラのように、ユーザーの操作ミスを補正して簡単に美しい結果を出せるレベルには至っていません。3Dスキャンのベストプラクティスを地道に周知しつつ、ユーザーの手間を最小限に抑えながらも品質を追求する改善は続けていくつもりです。
——そんな3Dスキャンですが、今回ScaniverseにはGaussian Splattingが「Splat」という名前でスキャン前に選択肢として提示されます。ユーザーにとってはさらにハードルが高いのではないでしょうか?
マクレンドン氏: 多くの人にとっては3Dスキャンの方法がGaussian Splattingだから何が違うか、なんて分からないものです。だから浸透していくには時間がかかると思います。
——Scaniverseの今後のロードマップが気になります。
マクレンドン氏: 正式な発表はまだですが、我々は多くのことに取り組んでいます。例えば、できるだけ多くの端末に対応させること。品質をさらに上げること。そして「ポケモンGO」のようにプレイヤーが訪れる主要なロケーションのデータを効率的に収集して世界の3Dマップを作っていくこと、等ですね。
基本的に開発者向けにはScaniverseを無料で提供し続けたいと考えています。一方で、スキャンしたデータを魅力的な形で共有・公開する方法を模索中です。例えば、Unity向けのLightship ARDKやウェブ向けの8th Wallといったプラットフォームと連携し、そこでのコンテンツ体験に3Dスキャンデータを活用できるようにすることも考えています。
ARコンテンツとプラットフォームの連動が進む
ーー Nianticは、「ポケモンGO」をはじめとした複数の人気コンテンツと、複数のARプラットフォーム、そして3Dスキャンのプラットフォームを有する類まれな企業です。コンテンツとプラットフォームの連携についての戦略を教えてください。
マクレンドン氏: 3Dオブジェクトをいかに活用するかが重要な課題です。我々はUnityやウェブベースのシステムを通じて、屋内外問わず、大規模な3Dオブジェクトやロケーションベースのインタラクション体験を実現するツール群の整備を進めています。
Visual Positioning System (VPS) が“見えない世界地図”だとすれば、Gaussian Splatsは“可視化された3D世界地図”のようなものです。スマホARだけでなく、将来のARグラスでの没入感のある体験にも生かせるでしょう。ソフトウェア開発者がこうした3Dデータを体験に組み込めるよう、プラットフォーム基盤を整えていくことが我々の役割だと考えています。
——最近、日産や伊藤園など「ポケモンGO」に8th Wallを使った広告が導入されましたね。
マクレンドン氏: ポイントなのは、アプリベースのポケモンGOにブラウザベースの8th Wallで動く広告を埋め込んでいるという点です。ブラウザベースのインターフェースは、アプリに比べて素早く反復的に改善できるのが大きな利点です。もしうまくいかなくても、JavaScriptを更新するだけですぐに修正が反映されます。
Pokémon GOチームも、広告体験をこの方式で実装したがっていました。広告の調整を広告チームに任せられ、アプリ本体への影響を最小限に抑えられるからです。ブラウザに依存することのリスクはありますが、他は何も気にしなくて済む。広告チームが全てをやってくれるのです。
——「ポケモンGO」は8年前のアプリです。最新のウェブARの技術を統合するのは難しくなかったのでしょうか?
マクレンドン氏: Unityベースのアプリから8th Wallの広告にほぼシームレスに遷移させるのは大変な試みでした。しかし日産やLunchables(※北米限定で実施されたキャンペーン)との大規模なキャンペーンを通じて実現できたことで、没入感のあるウェブARの可能性を示せたと自負しています。完璧にはまだまだ遠いですけどね。
——他の連携でいくと、「ポケモンGO」にはポケストップを3Dスキャンするフィールドリサーチ(ミッション)がありますよね。あれもScaniverseの3Dスキャン技術が使われるようになるのでしょうか。
マクレンドン氏: 実は「ポケモンGO」のスキャン機能のコードは、Scaniverseのサブルーチンをモジュール化したものなのです。同じ技術を使ってデータ収集しています。「ポケモンGO」ではGaussian Splatを生成せず、スキャンデータをアップロードしてVPS構築に役立てています。
さらにIngressでは、ポータルでのVPS活用を深化させた「ARハック」という機能も導入しました。プレイヤーがその場所に実際に訪れたことを証明でき、没入感のあるARを体験できます。導入から半年で基本的なゲームプレイの一部となり、ユーザーからは人気の機能となっています。
(2023年6月に「Ingress」に導入された「ARハック」)
——Nianticは今や何百人もの従業員を抱え、様々なコンテンツ、プラットフォームごとの専門チームがあると思います。社内の連携をどのように進めているのでしょうか?
マクレンドン氏: つい先日の2日半に渡る会議でもまさにそのことを議論していました。ゲームチームがやりたいことを出し合い、社内のプラットフォームチームがそれを精査し、優先順位をつけて共通基盤として提供する機能を決めていきます。
外部のパートナーに提供するLightship ARDKや8th Wallといったプラットフォームでも、全てのニーズに応えようとせず、注力する領域を適切に選んでいかねばなりません。社内ゲームとのシナジーも重要な判断基準の一つです。
——ARグラスでの体験など、究極的なARの実現にはまだ長い時間がかかります。Nianticは業界の長期的なレースに向けて、どのような戦略を描いていますか?
マクレンドン氏: 我々のプラットフォームを、できるだけ多くの開発者に採用しやすい形で提供したいと考えています。
現在、Unityベースのツールは無料で提供しています。もし大規模な利用が発生すれば、サーバーコストなどは個別に相談させていただくことになるかもしれません。いずれにせよ、多くの開発者に使ってもらうことが目標です。
一方、8th Wallでは利用料金がかかります。より多くの開発者に手が届く価格設定を模索中ですが、簡単に試せるだけでなく、実際のビジネス課題解決に役立つ機能も提供していかねばなりません。既にスーパーボウルの広告で8th Wallが採用されています。さらに利用しやすい形を追求していきたいですね。
——Nianticも最近のビッグテック企業におけるレイオフの波で、2023年にレイオフを実施していました。どのような影響がありましたか? 一部のプロジェクトを閉鎖してましたね。
マクレンドン氏: 2023年はレイオフを経験し、厳しくも学びの多い1年でした。「モンスターハンターNOW」のローンチとその後の成功に全社で注力する機会にもなりました。
結果としてNianticはより強靭な企業になったと感じています。近い将来、同様の施策を行うことはないでしょう。他社で今年も継続してレイオフを行っているニュースを目にしますが、正直驚いています。
——最後に、開発者やクリエイターに向けたメッセージをお願いします。
マクレンドン氏: 私たちは、あらゆるデバイスやロケーションで、ワクワクするような没入感のあるARを、開発者が簡単に構築してデプロイできるツール作りを目指しています。
Gaussian Splatsのような最先端技術と適切なツールを組み合わせることで、クリエイターがかつてないスピード感で魔法のような体験を生み出せるようサポートしていきます。その長い道のりを、開発者の皆さんと共に歩んでいけることを楽しみにしています。
——ありがとうございました!