ARグラスをかけて外に出ると、進行方向のガイドなどの便利な機能に加えて、視界いっぱいに広告が現れる——。ARが普及した未来の、ディストピア的日常を描いた作品「HYPER-REALITY」を見たことがある人も多いのではないだろうか。
(「HYPER-REALITY」)
2016年に公開され、1,000万回以上再生された「HYPER-REALITY」を作成したのは、ケイイチ・マツダ(Keiichi Matsuda)というクリエイターだ。彼は様々な作品を世に送り出すクリエイターであり、XRを中心とするテクノロジーの未来を描くビジョナリストでもある。いまでは買収されてUltraleapという企業になったLeap Motionにも参加していたし、マイクロソフトでもXRの未来図を描き続けてきた人物だ。
マツダ氏はその後独立し、Liquid Cityというクリエイティブスタジオを設立。2023年には、Nianticと共同で、WebARとAIを組み合わせたAR作品「Wol」を発表した(そして2024年、ウェビー賞のBest Use of Augmented Reality部門を受賞した)。かつてXRの普及したディストピアを描いた彼は、いまどんな未来を見ているのか。来日したマツダ氏に独占取材を行った。
ケイイチ・マツダ / Keiichi Matsuda
クリエイター、映像作家、デザイナー。クリエイティブスタジオLiquid Cityのディレクターを務める。主な作品は「Augmented City」「HYPER-REALITY」「Wol」など。
「こういう未来を作ろう」が人々を動かす
——Matsudaさんの作品の中でも、「HYPER-REALITY」(2016)は広く知られています。溢れんばかりのAR広告やナビゲーション、信用スコアが人々を支配している世界を描きました。その後に続く「Merger」(2019)も、生産性をひたすら向上させるために機械化・システム化してゆく人の姿が描写されています。遡れば十数年前の「Augmented (hyper)Reality: Domestic Robocop」(2009)もそうで、生活のためにAR広告を表示し続けるという、「あまり嬉しくない未来」を描いていますよね。
Matsuda:
僕が「Augmented (hyper)Reality: Domestic Robocop」を作った2009年は、iPhoneが出て間もない頃でした。当時のテクノロジーにまつわる話題はどれもポジティブな傾向が強く、どこか危ういところがあると思ったことが制作のきっかけになりました。
(水や電力を使うためにAR広告を視聴させられる「Augmented (hyper)Reality: Domestic Robocop」。この作品で示されたアイディアは、のちに「HYPER-REALITY」に結実する。)
——今まで挙げた作品はどれもディストピア的な傾向が強かったと思いますが、直近の「Reality Channels」(2022)や「Wol」(2023)といった作品はかなりフレンドリーで、どこか明るい。何か変化があったのでしょうか。
Matsuda:
2009年と2023年では、みんなの考え方やテクノロジーに対するイメージが大きく変化しましたよね。2023年の今は、ニュースを見ると「AIが人々の仕事を奪う」「ソーシャルメディアに依存し悪影響を及ぼす」といったネガティブな気分やイメージがとても支配的です。だから僕のレスポンスにも「人々のイマジネーションとは違うビジョンを見せたい」という変化が生まれたんです。
——かつてはテクノロジー楽観論が支配的でしたが、現代ではテクノロジーの危険性が強調されすぎていると。
Matsuda:
テクノロジーの行き先を決めるのはモノではなく、「どのようにテクノロジーを使うのか?」というイメージや想像力です。だからネガティブなものよりも、住みたい世界や、もっとよい何かを見せたい。最近では「AIがライターやデザイナーの仕事を奪う」なんて言われたりしますが、AI技術を使った「Wol」の制作にはライターの協力が欠かせませんでした。Wolというキャラクターが何を知っているか、どのように話すかを決めるのはライターの大切な——本当に大切な——仕事でした。僕は「Wol」を通して、作る側にも、使う側にも、テクノロジーによって新たな機会や体験が生まれることを示したかったんです。
(ARとAIを組み合わせた「Wol」。ポータルからフクロウのWolが現れ、森やそこに住む生き物について話し、歌を歌う。)
Matsuda:
今はディストピア的なものより、もっと良い世界のビジョンを作ろうと思っています。みんな作品を見たり体験したりして——もちろん反応はそれぞれに違いますが——「いいね! 一緒に作ってみようか?」と言ってくれる人もたくさんいます。「こんな未来を作らないようにしよう」よりも「こういう未来を作ろう」の方が強く人々を動かします。もし日本でも「一緒にやってみよう」と言っていただける人がいたら嬉しいです。
“機会”をもたらすものとしてのAR
——Matsudaさんは初期から一貫して消費資本主義社会に対して批判的な立場を取っていますよね。ダボス会議で目の当たりにした出来事についてのポスト、特に“ダボスへの道は善意で舗装されている(There are many good intentions paving the road to Davos)”という言葉には痛烈なものを感じました。
Matsuda:
消費資本主義の考え方はテクノロジー産業にすっかり浸透しています。どこもかしこも「買って、買って、買って!(Buy, Buy, Buy!)」ですから。でも、新しい時代になれば新しい考え方を導入することができると思います。
今の時代は何をするにもディスプレイがベースで、そこからいろんな世界に入っていける一方で、自分の住んでいる場所や周りにいる人を忘れてしまいがちです。ARには、このような現状を変える機会(Opportunity)があると思っています。
——しかし、現状のままARのテクノロジーが発達しても、すべてが良いものになるわけではありませんよね。例えば「HYPER-REALITY」で描かれた世界のように。
Matsuda:
ええ。しかし、デザインのしかたが変われば結果はまったく違いますし、デザイナーが介入する余地はまだまだあるでしょう。Nianticとコラボレーションして作った「Stories from The Real World Metaverse」(2022)という作品があります。彼らの提唱するリアルワールドメタバースというビジョンを物語にして表現しました。
この作品には出てくる4つの物語が出てくるのですが、その中の「Festival」という物語は、「Web3」ブームで企業がデジタルスペースを売り込もうとしていたことと呼応しています。この動きがもっと進んだらどんな世界になるのか、あるいはどのようにコミュニティや地域とのつながりを構築したり復活させたりするのか。どのようにしたら「良い使い方」ができるかを考えました。
デザイナーにできることは「将来の機会に人々を出会わせること」です。どうやってその未来に進むか、その方向性を示すこと。最近発表した「Agents」はその例のひとつです。
——「Agents」は非常に印象的でした。人間と様々なAIが共に暮らしている風景が描かれています。特に、主人公がグリッチ気味な、「完璧でないAI」を受け入れるシーンは示唆的でした。
Matsuda:
「Agents」は「Wol」のコンセプトをより広げたものです。企業や法人の手伝いをしているAI、クラブで音楽を選ぶのを手伝ってくれたり、曲に合わせて照明の調節をするAI、ナビゲーションAI、レコメンドAI……いろんなAI=エージェントがいて、エージェント同士が協力したり、彼らと一緒に話したりできる世界です。手伝ってくれるエージェントもいれば、ただそこにいるだけのエージェントもいます。
(複数のAI=エージェントが登場する「Agents」。主人公はエージェントを作る仕事をしながら、多数のエージェントと協力して生活している)
——どのエージェントも非常にかわいらしいですよね。
Matsuda:
「ひとつの神様のようなAI」ではなく、「いろんな妖怪みたいなAI」がいるほうが面白いだろうなと思って。「ひとつの神様」には介入する余地がほとんどありませんが、「妖怪」のようにたくさんいるのであれば、自分が信頼するエージェントと信頼しないエージェントを選べますし、自分で作ることもできます。そしてこの作品にはたくさんのエージェントと暮らす人だけでなく、「エージェントはひとりしかいらない」という人も出てきます。複数の、異なる角度からテクノロジーの使い方を描写してみたかったんです。
Matsuda:
もちろん「Agents」の世界にも問題があるかもしれません。それでも、「HYPER-REALITY」より、ずっと住みたいと思ってもらえる世界だと思います。
——先ほどからMatsudaさんは「機会(Opportunity)」という言葉をたびたび使われています。
Matsuda:
インターネットはその最たるもののひとつでした。世界中の人々とつながる機会を与えてくれましたが、それと同時に、自分はどこか疎外されている、よそものである——特に都市部で——と感じる人々を多く生み出しているように思います。むしろ機会は奪われてさえいます。
例えば、かつてのイギリスでは、人々は毎週教会に行き、友人やコミュニティの人々と話し、新しい友人を作っていました。これは特別なことではなく、ごくありふれた風景です。しかし現代のソーシャルメディアでは、とても奇妙なことに、「リアリティ」が与えられているものの、それはその人にとっての「リアル」とは遠い。人々が“ローカルなつながり”から切り離され、お互いが近くに住んでいるにも関わらず“距離が近い”という以上の存在ではなくなり、孤独を感じていることは、本当に大きな問題です。最近は、ARやAIは、こうした「つながりから疎外されている人々」の求めに応えられる「機会」になるかもしれない、と考えています。
——人々がローカルなつながりを取り戻すきっかけのひとつとして、ARやAIを考えている。
Matsuda:
ええ。かつてARやAIを使うには多額の資金、そして大型の装置が必要でしたが、今ではAIもARも非常に使いやすく、そして作りやすくなりました。僕の手に持っているスマートフォンを通して使えるほどに。これは大きな変化で、先ほど話した「新たな機会」を生み出していると思います。
同時に、これは言うほど簡単なことではありません。SNSのようなネットワークを介したコミュニケーションは非常にスケールしやすく、一方でローカルなネットワークやコミュニケーションは、限定的な空間・限定的なメンバーによって作られ、経験されるものです。
——となると、ARやAIが実際に「機会」になるには、空間的ないし時間的な蓄積が必要とされていると。
Matsuda:
多くの企業は、短時間で注目を集めるビジネスモデルを構築しようとしています。もっと人々を注目させよう、もっと刺激的なものを作ろう、とか。でも、私たちが目指すべきなのはそういうものではないんです。人々の品位を保ちながらポジティブな機能を構築したい。それにはどうしても時間がかかります。巨大な産業の内と外を行ったり来たりして、最終的に独立したデザインスタジオとしてLiquid Cityを立ち上げたのもそうした理由からです。自立してやるにはとても時間がかかるし、難しいことですが(笑)少しずつ、異なった角度から世界を見せることで、新たな機会を生み出していきたいと思っています。
(了)
(取材・執筆: 水原由紀、写真撮影: 冨澤倖之介)