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メタバース 2022.04.26

「メタバースとは何か?」定義を“作る”ところから考える――京都大学准教授・松永伸司氏インタビュー

「メタバース」の定義とはなんでしょうか?

「人によって定義が違う」「あの人の言う『メタバース』は間違っている」、「ただバズワードとして言いたいだけでは?」……メタバースという言葉が口にされるたび、あれはどういう意味なんだろうかと考えてしまう人は多いはず。

今回Mogura VRでは、「メタバースとは何か」という問いに答えるための道具(=考え方)を提供することを目的として、分析美学とゲーム研究を専門とする京都大学准教授の松永伸司氏に話を伺いました。なお、松永氏にはMoguraが主催した「XR Kaigi 2020」にて「VRはリアルかフィクションか、あるいはその問いは何を問うているのか?」と題した講演を行っていただいています。

本記事では、「メタバースとは何か」を考える前に一歩引き、どのような条件をクリアすれば「メタバースとは何か」に答えたことになるのか、「メタバースとは何か」に対する良い答え(悪い答え)とはどんなものか、そもそも定義とはなんなのか……について考えます。

この記事を最後まで読んだとしても「メタバースとは〇〇である」という「今すぐ使える分かりやすい答え」は出てきません。しかし、それは残念なことではありません。その理由も記事の中で語られています。本記事がメタバースに携わる多くの人に届き、業界全体で有意義な議論が蓄積されることを願っています。


松永伸司 / Shinji Matsunaga
京都大学 文学部 メディア文化学専修 准教授。2015年より立命館大学ゲーム研究センター客員研究員。2015年に東京藝術大学大学院美術研究科 博士後期課程を修了。博士(美術)。東京藝術大学美術学部教育研究助手、東京大学非常勤講師などを経て、現在に至る。著書に、芸術形式の一つとしてのビデオゲームの諸特徴を論じた『ビデオゲームの美学』(慶應義塾大学出版会、2018年)。訳書に、イェスパー・ユール『ハーフリアル――虚実のあいだのビデオゲーム』(ニューゲームズオーダー、2016年)、ネルソン・グッドマン『芸術の言語』(慶應義塾大学出版会、2017年)。『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』(フィルムアート社、2019年)。

定義とは何か? 造語の意味を考える

——最初に「定義とはなんなのか、どうすればそれが可能になるのか」という話から伺わせてください。そもそも「メタバース」は、SF小説『スノウ・クラッシュ』に登場する造語です。『スノウ・クラッシュ』の中での「メタバース」は、コンピュータが生成した三次元空間性を持つ没入環境で、両眼立体視を用いたVRヘッドセットを通じてアクセスするサービスとして描かれています。一人の作家が考案した言葉が、現在ではバズワードとして大勢の人に使われています。こうした造語の定義を考えるには、オリジナルとなる小説を参照するべきなのでしょうか?

松永:
ひとまず、大きく2つのパターンが考えられます。1つは、 もともとの意味を参照すること。仰ったように、ニール・スティーヴンスンが初めて「メタバース」という言葉を発明した時に、どういう意味で使ったのか。その最初の意味まで遡って調べてみることです。

造語の例として、アメリカの知覚心理学者ジェームズ・ギブソンが提唱した「アフォーダンス(affordance)」について考えてみましょう。affordは「与える、供給する」という意味で、もとから英語にある動詞です。ただ、ギブソンはこの語の名詞形に「環境が動物の個体に対して与える行為の可能性」といった独特の意味を込めて使いました。

この意味でのアフォーダンスは、その環境のおかげで何ができるようになるか(あるいはできなくなるか)ということです。例えば、ドアがあることで人は部屋の出入り口を開け閉めするという行為ができるようになるわけです。

「アフォーダンス」という言葉をどういう意味で使うべきかが仮に議論になったとして、このギブソンのもともとの意味まで遡るというのが1つめの考え方です。

ただ、この考え方は「メタバース」の場合にはあまり当てはまらないかもしれません。現在の「メタバース」を、ニール・スティーヴンスンの「メタバース」と同じ意味で使わなければならない理由はとくになさそうだからです。

もう1つのパターンは、その言葉の意味が歴史的にどう変わっていったかや、現在どのような意味で使われているのかを調べることです。

ある言葉と意味のセットを誰かが発明したとしても、時間と共に意味や用法が変化することは珍しくありません。例えば、ギブソンの「アフォーダンス」は、後にドナルド・ノーマン(アメリカの認知科学者)によってデザインの文脈に持ち込まれた時に、少し別の意味に変えられました。

ギブソンが「アフォーダンス」という言葉で問題にしていたのは単に「行為の可能性」なのですが、ノーマンはそこに「行為の可能性についての知覚」というニュアンスを付け足しました。これは「何ができるかできないか」から「何ができるかできないかをどうやって伝えるか」にフォーカスが移ったということです。

このノーマンの意味だと、例えば「ドアを開け閉めできることがわかりやすく伝わるようなドアノブ」がアフォーダンスの例ということになります。ノーマンは、自分の使う「アフォーダンス」がギブソンのそれとは異なることを認めており、後に「シグニファイア」という別の言葉で説明し直しています(※1)。

いま世の中に出回っている「アフォーダンス」は、どちらかというとノーマンの用法だと思います。なので、2つめの考え方をとれば、ギブソンのもともとの意味ではなく、ノーマンの意味を参照すべきということになるでしょう。

ここで重要なのは、ギブソンとノーマンの「アフォーダンス」は、それぞれ別の意味を持った言葉として使われていること、そして「どちらの方がより正しい」とは言えないことです。

「メタバース」という言葉についても同様で、『スノウ・クラッシュ』ではこういう意味だったという切り口もあれば、その後どのように使われていったか、現時点ではどのように使われているか、という方向での検討も考えられます。

(※1……詳細は『誰のためのデザイン?』を参照)

メタバースを定義するとはどういうことか?

——『スノウ・クラッシュ』を読んだり、ニール・スティーヴンスンに話を聞いたりすることで原義を調べられる一方で、現在では小説とは異なる性質を持つ「メタバース」の用法も登場していますね。しかし、大勢の人がさまざまな説明を試みており、統一的な見解はまだ存在していないように思えます。このような現在の「メタバース」に定義を与えることはできるのでしょうか?

松永:
定義には実はさまざまな種類があります(※2)が、ここでは2つだけ紹介します。1つめは「記述的定義」です。これは、ある語の既存の使われ方に合致するようにその語の意味を定めること。既に存在している概念を分析するという方法です。

例えば「知識とは何か?」を考える場合、一般に「知識」という言葉がどのような意味で使われているのかを観察し、検討します。ただし「メタバース」の意味が人によって違ったり、そもそもメタバースの実例がはっきりしていない現状では、この方向での定義は難しいかもしれません。

一方で「改訂的定義」というものがあります。これは、ある語の既存の使い方をある程度尊重しつつも、それをより有用なものに改善するという方向です。いわば概念の作り替えです。

改訂的定義が行われる理由には、既に存在する概念をより便利にするため(条件をはっきりさせて分かりやすくするとか、他の概念と区別しやすくするなど)、あるいは何か政治的な事情(他者との差別化を図る、その言葉がまとっている魅力や権威を利用したいなど)、本質を求める学問的追究(実態にあわせるかたちで惑星や魚類の定義が変わるなど)などさまざまなものがあります。

現在の「メタバース」では、どちらかというと改訂的定義が行われている印象です。つまり、「その語をこれこれの意味で使っていくことで何かいいことがある」という仕方で、いろいろな定義が提案されているように思えます。「メタバース」の性質をどのように説明すれば他の類似概念と明確に区別できるか、あるいはユーザーに自分たちのビジョンを分かりやすく伝えられるかに関心が寄せられているのではないでしょうか。

(※2「Stanford Encyclopedia of Philosophy」の“Definitions”の項目を参照)

——現状ではまだ、言葉の意味だけでなく、「これがメタバースだ」と言えるほど充分にコンセンサスの取れた実例も存在していません。「メタバース」の改訂的定義が誰かによって提案されたとしても、その定義が「どれだけ実際のメタバースを綺麗に説明できているのか」という評価はしばらくできないということでしょうか。

松永:
そうですね。実例が充分に存在していない場合、ある定義がどれくらいその概念を言い当てているのかを評価することは難しいです。そういった評価は、例えば「Second Lifeは含む」「MMORPGも含む」「『あつまれ どうぶつの森』は含まない」などといった実例の線引きについての共通認識ができて初めて可能になります。

その意味では、現在さまざまに言われている「メタバース」の定義も、今後どのような実例が登場するか、それらがユーザーや社会にどのように受け止められるかを見た後で、改めて評価するしかないものでしょう。

「定義を作る」良い定義と悪い定義

——ここまで定義とは何かについて伺い、現在の「メタバース」は、他の類似概念から明確に区別するための改訂的定義を皆で開発している状況にあると分かりました。続いて「定義を作る」ことに関する話をお聞きします。「メタバース」の新たな定義を誰かが提案したとして、その定義の良し悪しはどのように評価できるのでしょうか?

松永:
定義の良し悪しは、基本的には目的に依存します。何のために定義をするのか。その目的に照らし合わせて、その達成度合いを評価するということです。仮に「メタバース」を定義する目的が「これまでにない未来のビジョンを示す」だとすると、その定義がどれくらい未来のビジョンや既存の物事との違いをはっきりと示せているかで評価できるでしょうね。

たまに見かけることですが、「メタバースは “meta” + “verse” だからどうのこうの」といったように、語の成り立ちにもとづいて定義を正当化しようとするのはナンセンスだなと思います。例えば、投資家マシュー・ボールは有名な記事の中で、「virtual worldはmeta(ギリシア語でbeyondの意)なuniverseではないからメタバースではない」としています。

たしかにmetaにbeyondの意味があるのは事実ですが、だからといって即「メタバース」の正しい意味がbeyondなuniverseであるということにはなりません。言葉の作りとその意味内容は別の事柄だからです。

A “virtual world” – Virtual worlds and games with AI-driven characters have existed for decades, as have those populated with “real” humans in real-time. This isn’t a “meta” (Greek for “beyond”) universe, just a synthetic and fictional one designed for a single purpose (a game).

(日本語訳)
「バーチャルワールド」:AIで動くキャラクターが登場する仮想世界やゲームは何十年も前から存在し、リアルタイムで「本物の」人間が登場するものもあった。これは「メタ」(ギリシャ語で「向こう側」の意)宇宙ではなく、ただ一つの目的(ゲーム)のために設計された合成で架空のものである。

(Matthew Ball: The Metaverse: What It Is, Where to Find it, and Who Will Build It

——確かに、ニール・スティーヴンスンが「メタバース」という語にどういう意味を託したかは分かるかもしれませんが、現在「メタバース」がどのような意味で使われているかとはあまり関係なさそうですね。

松永:
猫という概念を表すのに「猫」と呼んでも「cat」と呼んでも構わないように、1つの概念にいろいろな語(ラベル)を割り当てることができます。概念とそれの呼び名は、原理的にはどうとでもなる関係だということです。なので、「メタバース」を定義しようとする時に“meta”とか“verse”とかいう言葉にこだわることにはほとんど意味がないのではないでしょうか。

——極端に考えれば「メタバース」という概念を別の言葉で表しても良かったと。

松永:
そう思います。スマホの通信量のことを俗に「ギガ」と呼ぶのと同じようなもので、原義に照らして間違っていようがいまいが、その言葉の生きた意味とは関係ありません。言葉の用法は生き物のようなもので、本来の意味からずれた用法が不思議と定着してしまうことがよくあるのです。

もちろん、もともとの意味はつねに参照できるので、それに引きずられて結局原義に近い用法に収束していくということもありえます。なので、“meta” + “verse”という語の組み合わせにまったく意味がないと断定することもできません。現に「メタバース」はおそらくその響きのゆえに新しい何かを示すバズワードとして多くの人を引きつけていて、いわばその言葉のおかげで多額のお金が集まっている面もあるのかもしれません。

現時点では「メタバース」という言葉にまだはっきりとした使い方がない以上、誰もが自由にその定義を提案すればいいんじゃないかとは思いますが、語源とか語の構成を持ち出してきて「これが正しい定義だ」と主張するのは無理筋だと思います。人を丸め込むレトリックとしては理解できますが。

人々の期待を背負える定義を考える

——松永さんがある企業から「メタバースを定義してほしい」とお願いされたら、どうしますか?

松永:
難しいですね……。「他の概念とは違うものだ」ということをはっきりと伝えることができ、かつそれを聞いた人がメタバースにどんな有用さがあるのかを具体的に想像できるような定義が、改訂的定義としては優秀だと思います。「今はまだないかもしれないけど、確かにそういうものがあったら良いね」と言ってもらえるような定義が望ましいでしょうね。

難しいのは、具体的にどういう定義を示せば、「メタバース」という言葉に現在の人々が潜在的に期待しているものに応えられるのかがはっきりしないということ。特に、バーチャル世界やSNSといった他の既存の概念と比べたときのメタバースならではの特徴をきちんと差異化するのは大変だと思います。

逆に言うと、おそらくそういった差異化こそが「メタバース」を掲げる企業にとって重要なのだろうと思います。例えば、ゲームではなくソーシャルサービスを事業にしている企業が「メタバース」を推進する場合、MMORPGではなくメタバースだからこそ実現できる価値を明確に説明できる方が良いでしょう。

——定義を作る際に、手続きとして気をつけるべき点はありますか?

松永:
まず1つ目に、満たすべき条件を複数列挙している定義の場合、その条件を満たすものが同じ種類の実体である必要があります。

例えば「メタバース」の定義として(1)「永続的に存在する」、(2)「経済活動が可能になる」、(3)「幅広いコントリビュータによって創造、運営される」……といった条件が列挙された時、(1)はシステムが満たすべき条件であるのに対して、(3)はシステムの運用体制が満たすべき条件になっています。こういう定義は何についての定義であるかがはっきりしないので、単純によくないですね。そこで定義されているメタバースがどういう種類の実体なのかがわからないということです。

これに加えて、厳密な定義を作り上げる際には、定義が含んでいる複数の条件がどのような論理関係にあるのかを明確にする必要もあります。全てがAND(かつ)で結ばれているのか、OR(または)も含まれているのか。仮に「(1)かつ(2)かつ(3)」という定義だとすると、それらのうち1つでも満たしてないものは「メタバース」ではないことになります。他方、「(1)かつ((2)または(3))」のような定義を作れば、(2)と(3)のどちらか一方が満たされなくとも「メタバース」である可能性があります。

”定義”はどこへ行くのか

——ところで、「メタバース」は一般にテクノロジーが実現するメディアとしての側面を持っているように思います。抽象的な概念ではなく、システムとしてどのような実装になっているか、という「メタバース」の定義もあり得るのでしょうか。

松永:
「ビデオゲーム」という概念を例にとってお話ししましょう。仮に「ビデオゲーム」を純粋にテクノロジーの観点から記述すると、「コントローラーを通じてユーザーからインプットされた情報を、計算機が演算・シミュレーションし、その結果をユーザーにアウトプットする」という説明になるでしょうか。

しかしこれでは、ビデオゲームは一般的なコンピューターと全く同じということになってしまいます。つまり、他の概念からビデオゲームを区別する特徴を正確に示そうとすれば、そのメディアについての技術的な説明だけではまったく不十分で、それに加えて例えばそのメディアを通じて得られるコンテンツや経験のあり方といった事柄も重要になるということです。

先ほど、どういう種類の実体についての定義なのかをはっきりさせたほうがよいと言いましたが、これは言い換えると、定義したい事柄の上位概念をはっきりさせるということです。上位概念というのは、例えば「猫」や「タヌキ」に対する「動物」みたいなことです。

ちゃんとした定義では、定義されるものの上位概念がなんなのかが明らかです。自分が定義しようとしているものは「技術」の一種なのか、「コンテンツ」の一種なのか、「人々のメディアに対する態度や体験」の一種なのか、あるいはそれらが混ざり合った何かなのか。「技術」の一種として定義しようとしていたはずなのに、いつの間にかその技術が提供する「体験」の説明にすり替わってしまうのは、よく起こる混乱です。

——「メタバース」についてのさまざまな言及を見比べると、大きく2つの方向が混在しているように見受けられます。ひとつは、実世界とは全く異なる規範の存在するもうひとつの自立した世界の実現した「VRが進んだ先」という方向。もうひとつは、実世界と密接に結びついた情報レイヤーが構築され、フィジカルとデジタルが高度に融合した世界が実現した「ARが進んだ先」という方向です。例えばMeta(旧Facebook)は公式Webサイトの中で「時には3次元に拡張され、時には現実世界に投影される、それがメタバースです」といった言及もしています(Meta: ソーシャルテクノロジー企業)。このように、さまざまに乱立している定義は、どのような変遷を辿ると予想されますか?

松永:
概念というのはようするに複数のものをひとまとめにするカテゴライゼーションのことなのですが、あるカテゴリーが新しく提案されたとしても、誰もそれを使わなければ定着はしません。最終的には、人々が受け入れたカテゴリーが「メタバース」として普及することになるでしょう。

ジャンルなどはわかりやすい例だと思います。ビデオゲームにおけるRPGやアドベンチャーゲームは、その名称も含めてかなり明確に確立しているジャンルですが、それらのジャンルにも多少の混乱期がありました。例えば初期のファミコンのゲームなどに対して、何でもかんでも「ロールプレイング」や「アドベンチャー」と呼ぶという時期がありました。『頭脳戦艦ガル』はわかりやすい例で、現代の意味では全くRPGではないのに「RPG」を名乗っていたのです。

ビデオゲーム史的には、その後ドラクエやFFが大ヒットし、人々の「RPG」に対するイメージが固まっていきます。つまり、何と何をひとまとめにして「RPG」と呼ぶかというカテゴライゼーションが定着したということです。そうなって初めて、後から振り返る形で「あれは「RPG」を自称していたけどRPGではなかったよね」という話ができるようになるわけです。

——洗練されていった定義は、一つに収束していくのでしょうか?

松永:
時間が経てばそれもありえると思いますが、「メタバース」に関して言えばまだ時間がかかりそうですね。ある言葉の用法が広く浸透する条件はシンプルで、「そのような意味でその語を使うことで何かが便利になるか否か」です。

例えば、料理人にとっては包丁ごとの種類の違いはかなり重要なはずなので、包丁に関するさまざまな概念が必要とされます。いろいろな包丁が定義されていれば、細かな違いをきちんと呼び分けることが可能になり、便利なわけですね。他方で、あまり料理をしない人にとって、包丁に関する豊かなボキャブラリーは不要です。ひょっとすると、「包丁」というざっくりした概念が一つだけあれば困らないかもしれない。

まとめると、言葉の用法の収束、つまりカテゴライゼーションの収束は、明確な定義が提案されていようがいまいが、そのように物事を切り分けることが有用かどうかについての人々のコンセンサスで決まる、ということ。また、その有用さの判断は、誰がどんな文脈で使うかによる、ということです。

——確かに、「メタバース」に改訂的定義を提案したとしても、大勢の人々の間に定着しなければあまり意味がないですね。ただその一方で、大勢の人々の間に誤った意味で広まってしまった概念もあります。例えばMixed Reality(MR)は、90年代に学術的に定義された概念(※3)ですが、現在では多くの人がそれぞれ微妙に異なる意味で用いているという研究報告もあります(※4)。定義が誤解されてしまった場合、どうすれば良いのでしょうか?

松永:
そこで記述的定義の出番になるでしょうね。「言葉は広まったけど、みんなそれぞれ微妙に違う概念を指してるぞ」という状況に気づいた時、さまざまに混在している用法を整理するのが記述的定義の、ひいては哲学者の仕事になるのでしょう。

逆に言えば、すでに通用している概念の分析を行う記述的定義は、ある程度言葉と用法が広まった後で初めて役に立つものなので、現在のように「メタバース」という言葉の使い方があまり定まっていない状況では、やっても仕方のないことだと思います。

(※3:Paul Milgram and Fumio Kishino. 1994. A taxonomy of mixed reality visual displays. IEICE Trans. Information and Systems 77, 12 (1994), 1321–1329.)
(※4:Maximilian Speicher et al. 2019.  What is Mixed Reality? DOI.)

——まず改訂的定義によるトップダウン的な概念の決定があり、それから時間とともに当初の定義から微妙にズレた用法が増えてくる。そしてある時点で、記述的定義によってボトムアップ的に整理がなされる。その後で、概念はもう一度、より使いやすい形へと改訂的に定義される……。

松永:
そうですね。少なくとも造語などの最初に定義がある言葉に関しては、そういったことの繰り返しなのだと思います。

——松永さんが専門的に研究されている「ビデオゲーム」の定義は、現在では収束しているのですか?

松永:
むしろ今まさに議論が活発化しているようなところがあります。特に、「ノベルゲーム」や「ソシャゲ」の登場は、人々に「ビデオゲーム」とは何かを改めて考えさせるきっかけとなりました。さらに近年では、「ビデオゲーム」をより広くコミュニケーションプラットフォームとして捉え直す動きもあります。

一般的に言えば、既存の分類体系におけるボーダーライン的な事例が出てきた時に、概念は改訂を迫られるのだと思います。例えばカモノハシは比較的最近になって発見された動物ですが、哺乳類でありながら卵を産むということで、それまでの生物学の分類体系について大きな論争を巻き起こしたと言います。

現実に対して概念が追いついていない時、既存の概念体系を改訂する必要が生じるのです。これは新しいものが次々に登場する文化やテクノロジーの世界でも、よく見られる現象だと思います。

——最後に、「メタバース」に携わっている人は、しばらくの間この概念とどのように付き合っていくのが良いのでしょうか?

松永:
言葉にとらわれないことが大事だと思います。自分たちは具体的に何を実現したいのか、どういう未来のビジョンを持っているのかを真剣に考えていれば、それにどんな名前が付くのか、それがどのように分類されるのかといったことは、本質的には重要ではないからです。

もちろん、「メタバース」というバズワードが持つ魅力や、それと紐づくムーブメントがあるのは確かなので、ビジネスやある種の政治として上手に使っていくのは戦略的にはアリだと思います。しかし一番大事なのは、名前に踊らされることなく、自分たちが描くビジョンを実現することではないでしょうか。

——本日はありがとうございました。何年後かにまた、ぜひ「メタバースの美学」をお願いします。

(聞き手・執筆:yunoLv3、編集:ゆりいか・水原由紀)


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