2023年11月に幕張メッセで開催された「DC EXPO」にて、Metaの研究開発チームはVRヘッドセット「Butterscotch Varifocal」を展示した。「Butterscotch Varifocal」は、2023年8月にMetaが発表した試作品の一つで、「人の目レベルの超高解像度」と「可変焦点」を特長としている。
本記事では、この「Butterscotch Varifocal」の体験レポートを交えつつ、これがいかなるデバイスなのかを解説する。そしてVRヘッドセット、ひいてはXRデバイスの今後について考えてみたい。
(Metaによるプロトタイプ「Butterscotch Varifocal」。展示会への出展はDC EXPoが2回目であり、アジアで展示が行われるのは初だ)
「超高解像度」と「可変焦点」
レポートに入る前に、「Butterscotch Varifocal」の技術的な解説をしておこう。「人の目レベルの超高解像度」と「可変焦点」だ。
まず「人の目レベルの超解像度」について。基本的には、「VRヘッドセットのディスプレイ解像度が高いほど良い」と考えられている。しかし、現行のVRヘッドセットの大半は、我々が肉眼で現実を見るときのようには見えない。シンプルにディスプレイの解像度が不足しているのだ。
ちなみに、VRヘッドセットの本当の「解像感」を語るとき、ディスプレイの解像度(=スペック表に書かれているピクセル数)で語るのは、正しいようで正しくない表現だ。VRヘッドセットは、小型のディスプレイに写っている映像を、レンズで視野いっぱいに広げて表示する。この「視野の広さ(視野角)」は、VRヘッドセットにより異なる。例えば同じ4Kディスプレイを採用しているVRヘッドセットでも、視野角が2倍になれば、同じピクセル数を2倍に引き伸ばして表示していることになる。したがって実際の「解像感」は半分になってしまう。正確には「視野角1度あたりの解像度」を比べるべきであり、これを表す単位「PPD」(Pixels Per Degree)が重要になる。
市販されているVRヘッドセットの例では、2020年に発売された「Meta Quest 2」が20PPD、最新の「Meta Quest 3」は25PPDだ。一方、人間の視力1.0に相当するのは60PPD。肉眼で見るのと同レベルのグラフィックスを実現するためには、この60PPDを目指す必要がある。
そして、「Butterscotch Varifocal」は56PPDと極めて高い数値を出している。なお、MetaのYang Zhao氏いわく、「使用しているディスプレイは『ほぼ3Kのものを、左右に1枚ずつ』」とのことだ。
(VRヘッドセットを使って文字を読む際の比較画像。左から「Oculus Rift(2016)」「Meta Quest 2(2020)」そして「Butterscotch Varifocal」の前身である「Butterscotch」。Oculus RiftやMeta Quest 2では文字がにじんでしまっているが、Butterscotchでは非常に鮮明だ)
もう一つの「可変焦点」は、VRヘッドセットを体験したことがない人には全くピンとこない要素かもしれない。これは「VRでピントを合わせるための技術」だ。従来のVRヘッドセットは、焦点が1.5mから2m前後で固定されているケースが大半であり、「手元の物体にピントを合わせる」機能を持っていない。結果として、VRで表示されている物体は、少し離れた位置にあるものは鮮明に見えるのだが、顔の近くに物体を持ってきた場合、焦点をきれいに合わせることができず、少なからず違和感が生じる。
(左が可変焦点オンの状態、右が可変焦点オフの状態。どちらも焦点が近い状態で撮影されたスクリーンショットだが、文字の鮮明さは全く異なる。)
そして、人間の目のピント調節の仕組みをVRでも実現する技術が可変焦点(Varifocal)と呼ばれている。VRヘッドセットを装着した人の視線を追跡することで、どこを・何を見ているかを検知し、ヘッドセットが自動でディスプレイを前後させ、焦点距離を調整する。これにより、近い距離の物体でも鮮明な映像が得られるというものだ。この仕組みを実現する方法は多数存在するが、「Butterscotch Varifocal」では、機械式の可変焦点システムを採用している。
(「DC EXPO」のMetaブース。Metaでは、XRやメタバースに関する部門は「Reality Labs」と名付けられており、そのR&Dチームということで「Meta Reality Labs Research」の名称が掲げられていた)
自然だからこその「静かな感動」
そんな「Butterscotch Varifocal」とブースでいざ対面。PC向けの初代「Oculus Rift」をベースにカスタマイズを重ねたデバイスだ。もちろん内部のパーツはことごとく変更されているので、サイズ感以外は似ても似つかないが、各種周辺機器は2016年のものを踏襲していた。頭部への固定のためのヘッドバンドには、Quest 2や3でお馴染みの「エリートストラップ」を装着し、不特定多数の体験者が体験しやすいようになっている。
スタッフに聞いたところ、Quest 2などの一体型VRヘッドセットを使わなかった理由は「Riftのほうがトラッキングの仕組みなどがシンプルで、研究開発に適していた」とのこと。あくまで「Butterscotch Varifocal」では、ディスプレイや可変焦点といった光学系の仕組みを検証できれば問題なし、ということらしい。このあたりの割り切り方は実にMetaらしい。
体験したデモは「少し離れたテーブルの上にある3Dモデルや文書を手元に引き寄せて見る」というシンプルなもの。文書には辞書のように細かい文字が連なっているが、人の目レベルの解像度のおかげで非常にくっきりとしており、難なく読むことができた。
コントローラーのボタンを押すと、可変焦点機能のON/OFFを切り替えられるのだが、これが効果バツグン。文書を手元に引き寄せると、可変焦点がOFFのときはぼんやりしていて読めないが、ONにした瞬間、文字がしっかり読めるようになる。小さなF1マシンのミラーに映っているものも、ボディにペイントされた文字も、コックピットの計器も読める。そして部屋の奥に置かれているものに視線を向けると、近くにあるものの解像度が下がり、奥にあるものにピントが合う。人間の目の仕組みさながらだ。
現実に近い解像度で、現実だと当たり前のようにできているピント調整ができるがゆえに、「自然なVR」が実現している。あまりに自然すぎて、注意深くデモを体験しなければ気づかないかもしれない。
ところで、筆者は極度の近視で視力は0.1未満、普段から眼鏡を使っている。この「Butterscotch Varifocal」は眼鏡を外さないと使えないのだが、眼鏡を外すと当然VRヘッドセットの映像も非常にぼやけてしまう。したがって、せっかくの超高解像度をフルパワーで体験することは叶わなかった。しかし面白いことに、眼鏡なしの状態でも、可変焦点がONのときには、手元に文書を持ってくるときちんと読めるのだ。これは現実で眼鏡がない状態とまったく同じ。それだけ「Butterscotch Varifocal」が実現している見え方が現実に近いということだ。
(3枚のレンズと1枚のフィルターを通して、機械式の可変焦点機構を実現している)
(アイトラッキング技術はTobii社のものを採用。同社の技術はソニーの「PlayStation VR2」等でも採用されているという)
(デモ展示やメンテナンスのためなのか、ヘッドセットはクリアパーツが使われていた。ゲーミングPCのようですらある)
(ヘッドセットの横もクリアパーツになっており、視線の移動に応じてディスプレイが近づいてくる様子が分かりやすい)
理想のXRを実現するための飽くなき探求
今回体験できた「Butterscotch Varifocal」は「人の目レベルの超高解像度」と「可変焦点」を実現しているが、あくまで研究開発中のプロトタイプだ。あらゆる面で、製品版には程遠い。
たとえば視野角。「Butterscotch Varifocal」の視野角は50度程度で、市販のVRヘッドセットと比べても半分程度と非常に狭い。可変焦点の機構はもっと広い視野角にも対応できるようだが、超高解像度のためのディスプレイやレンズは、Metaのスタッフ曰く「現時点では理想的なものがない」とのこと。もちろんそれを描画するためのマシンパワーが必要になるため、広視野角と超高解像度を組み合わせるには至っていない。ヘッドセット自体も巨大でこそないものの、Oculus Riftを一回り大きくしたような形状で、重さも500g以上ある。Quest 3で試みられたような薄型や、さらなる軽量化への挑戦はこれからだ。
加えて、2023年現在、VRヘッドセットは、バッテリーやプロセッサー、そしてトラッキングシステムをすべて詰め込んだ「一体型」が主流だ。これと超高解像度や可変焦点を両立させるためには、まだまだ課題がある。
とはいえ、それもそのはず。「Butterscotch Varifocal」は、「超高解像度かつ可変焦点」という2つの技術的なチャレンジを達成するためのデバイスなのだ。Metaは究極のVRヘッドセットの光学系を実現するため、4つの技術課題がある、と2022年6月に公表している。それが、「解像度」「可変焦点」「歪みの補正」「HDR(ハイダイナミックレンジ)」だ。「Butterscotch Varifocal」はそのうちの「解像度」「可変焦点」にフォーカスしたデバイス、というわけだ。
一方、「HDR(ハイダイナミックレンジ)」については、「Starburst」という別のプロトタイプを作り、最大20,000ニトという非常に明るい明度を実現している。また、2022年のQuest Pro以降Metaが注目しているパススルーのMR機能については「Flamera」というプロトタイプが2023年8月にお披露目された。
(Metaがこれまで発表してきたVRヘッドセットの研究開発の流れを整理した図。解像度、可変焦点、歪みの補正、HDR等の要素別に研究を進めていることがわかる。これらがやがて統合され、最終的な製品レベルにまで引き上げられることになる)
ここまで述べてきたように、Metaは究極のVRを実現するため、研究開発に全方位で取り組んでいる。繰り返しになるが、「Butterscotch Varifocal」は、あくまでもMetaが取り組んでいる研究開発の「氷山の一角」にすぎない。ここまで述べてきたのは、基本的に「どう見えるか」の話であり、VRを作り上げているのはディスプレイやレンズだけではない。
VRだけに絞ってみても、光学系に加え、音響や触覚(ハプティクス)、コントローラー、各種トラッキング、エルゴノミクス、操作系など、多様な技術要素が必要だ。さらにMetaがソフトウェアやコンテンツ、そしてARグラスの開発を行っていることとも考えると、彼らがXR/メタバース分野において、いかに膨大かつ濃密な研究開発を続けているかが伺い知れる。
Metaは未来を切り拓けるのか
MetaのYang Zhao氏も、「マスプロダクション(製品化に向けた大量生産)に向けてはまだまだ課題が多い」と語る。可変焦点の技術にも、「Butterscotch Varifocal」で見せた機械式以外の解決方法があり、Metaはこれまでのプロトタイプで他の方式を採用したことがある。とはいえ、Zhao氏いわく「今回のプロトタイプは、他と比べてもベストだと思っている」と、一定の手応えはあるようだ。
今まで「超高解像度はまだしも、可変焦点という技術は本当にVRに必須なのだろうか?」という疑問はたびたび呈されてきたものの、いざ体験してみると「可変焦点はあったほうがいい」と思うようになる。Metaは2018年、さらに初期のプロトタイプの時点でアンケートを行っており、「可変焦点があったほうがVR体験の質が向上する」というポジティブな結果を得ている。
Zhao氏いわく、「個人的には、解像度が上がれば上がるほど可変焦点のニーズが高まると思っている。40から50ppdくらいがその目安になるのではないか」とのこと。確かに2016年頃の初期に発売されたVRヘッドセットは、今と比較するとそもそも全体がややぼやけ気味に思える。解像度(そしてPPD)が向上していくほど、「現実と同じような遠近感が欲しい」と思うようになるかもしれない。
Metaがこのように研究開発の成果を定期的に公開するのには理由がある。そもそも、他のXR/メタバース企業で、このレベルで研究成果の発表と情報公開を行っている企業は皆無だ。MetaのR&Dチームを率いるチーフ・サイエンティストのマイケル・エイブラッシュ氏は、理想のVRヘッドセットの技術要件や研究開発の状況を自ら語りながら、VRの開発者に向けて、あるメッセージを発した。「いつか未来から遡れば、いまは古き良き時代だったと思えるだろう。一緒に未来をつくろう」と。メッセージを発する力こそ弱くなっているものの、いまのMetaからも、その姿勢は感じられる。
今後、「Butterscotch Varifocal」の超高解像度と可変焦点が製品化されることを楽しみにしながら、研究開発の動向に注目したい。
(参考)Meta