Home » 介護の現場でテクノロジーが果たす役割とは、VRで切り開く“超高齢社会”の生き方


業界動向 2019.03.27

介護の現場でテクノロジーが果たす役割とは、VRで切り開く“超高齢社会”の生き方

未来を発明する人を応援するYahoo! JAPANの連載「Future Questions」の連動イベントが3月18日、Yahoo! JAPAN本社で行われました。テーマは「超高齢社会」。VRやAIが高齢化社会で果たす役割について議論するパネルディスカッションや、VRで認知症の症状を擬似体験したり、体が不自由でも楽しめるVR旅行コンテンツのワークショップが開催されました。

Mogura VR Newsでは当日紹介されたVRワークショップの模様や、ディスカッションについてレポートします。

「VR認知症」で症状を”自分ごと”に

「認知症」という言葉を知らない人はほとんどいないでしょう。しかし、具体的にどのような症状があり、認知症の人がいつ・どこで・どのように困るのかを理解している人は(取材した筆者も含め)まだまだ少ないのではないでしょうか。

この日ワークショップで参加者が体験した「VR認知症」は、まさにそうした疑問の解消を助けてくれるVRコンテンツでした。本イベントでは「VR認知症」を制作、高齢者施設の運営も行っている株式会社シルバーウッドから黒田麻衣子氏が登壇。参加者は会場に用意されたGear VRを装着し、黒田さんのガイダンスに沿って3つのコンテンツを体験しました。


(株式会社シルバーウッド・黒田麻衣子氏)

1.「私をどうするのですか」

ひとつめは、立った状態で体験するコンテンツ「私をどうするのですか」。VRが始まると、「私」(=VRコンテンツの体験者)の前に、介護士と思しき男女が立っており、「私」に向かって手を差し伸べています。二人は「だいじょうぶですよ、さ、こっちへ」と促します。

しかし「私」はなにやらビルの屋上のような高いところにいて、しかも足元がゆがんでよく見えず、うまく二人の方に近寄れません。じりじりと一歩ずつ足を前に出すのですが、なかなか思うように進めず。「だいたい、なんでこんな足場の悪いところにいるんだろう?」と不信感ばかりが募ります。

一方で目の前の二人は「私」が何に怯えているのか分からないらしく、あいかわらず「大丈夫ですよ、さあこっちへ」などと当たり前のように笑顔で促してきます。が、こちらとしては「そんなこと言われたって怖いものは怖いし、全然大丈夫じゃないよ!」といった状態。しかし、シーンが進むと、「私」がいるのはビルの屋上などではなく、ごく普通の車の内部で、目の前の男女は「私」に車から降りるよう促していただけだった……ということが分かります。

これは認知症の典型的な症状のひとつ、空間認識機能の低下を体験するVRコンテンツです。空間認識機能が低下している人に対し、「大丈夫ですよ」と声をかけるのはあまり効果的でない、ということが身をもって実感できました。それどころか、支えようとして差し伸べた手が時に「突き落とされる」という恐怖心を与えてしまうことさえあるそうです。

これに関し、黒田さんは「大切なのは客観的にどんな状況なのかを理解させることではなくて、当事者が何に混乱しているのかをたずね、その人の視点にたって無理のない動きを心がけることが大切」と話していました。

2.「ここはどこですか」

2つ目は、座った状態で体験する「ここはどこですか」というタイトルのコンテンツ。まず視界いっぱいに、ほどほどに混み合った電車内の様子が広がります。「私」は座席に座っていて、そのうちヘッドフォンから女性の声が聞こえてきます。「いけない、うたた寝しちゃった。……あれ? ここはどこだろう。わたし、どこで乗り換えるんだったかしら? また分からなくなっちゃった……」。どうやら女性のセリフは「私」の心の声のようです。

「私」は降りる駅をどうしても思い出せず、混乱してしばらくじっと座っていますが、大勢が降りる駅で「よし、とりあえず降りてみよう」と下車します。自分がどこにいるのか分からず混乱した「私」は、ホームにいた駅員に「ここはどこ?」と尋ねます。駅員は一瞬「は?」という不審げな顔をした後、「出口はあちらですよ」と答えてどこかへ行ってしまいました。違う、そうじゃない。聞きたいのはそういうことじゃない……のですが、何をどう聞いていいか分からない。孤独感がつのります。

人もまばらになったホームで「私」が途方に暮れていると、若い女性が「どうしましたか?」と優しく声をかけてくれました。「私」は「ここはどこですか? 乗り換え駅が分からなくなってしまったんです」と必死に訴えます。女性は穏やかに受け止め、行き先をたずねてくれ、私は「横浜」と答えます。女性は「それならここが乗換駅であってますよ。乗り換え口までご案内します」と言って、「私」がホッとしたところでコンテンツは終了です。

黒田さんは、このコンテンツではより多くの人に共感してもらえるように意識したと言います。「たとえば知らない土地へ行った時や、居眠りから覚めたときなどに、とっさに自分がどこにいるか分からなくなることは誰にでもあると思う。そういう誰でも経験する日常の地続きに認知症を感じてもらうことで、認知症の人が何をされたらいやで、何をされたらほっとするかを想像しやすくなると考えました」(黒田さん)

シルバーウッドのVR認知症のコンテンツは全て、実際に認知症と診断された当事者へのインタビューをもとに制作されています。「ここはどこですか」の物語と同じような症状がある若年性アルツハイマー型認知症当事者の丹野智文さんは、通勤時に、電車の中でふと自分がどこにいるのか分からなくなることが度々あったとのこと。居合わせた通行人に「会社の場所を忘れてしまったので教えてください」と助力を求めても不審な顔をされるばかりでしたが、若年性認知症であると告げるようになってからは、みんな本当に親身になって協力してくれたと言います。「やはり隠すことは苦しい。隠せば隠すほどさらに失敗を犯すんじゃないかと不安が増して、よけい物忘れや混乱、失敗が増える。だから病気を隠す必要はないんです」(丹野さん)。

「認知症と言っても症状は本当に多様で症状の重さも人それぞれ。それなのに、認知症と診断された瞬間から、“何もできない人”というイメージを抱いてしまいがち。そのことが当事者から不当に人生の可能性を奪ってしまう。視力0.1の人が0.01の人のメガネをかけたら視力が悪化してしまうけれど、自分に合ったメガネをかければこれまで通りに生活できる。認知症も同じで、病名だけではなく、その人に合った適切な対応が必要なんです」(黒田さん)


(VR認知症を体験する参加者)

3.「レビー小体病 幻視編」

3つ目は、レビー小体型認知症と呼ばれる、認知症患者のおよそ5人に1人に見られるとされている症状を疑似体験するVRコンテンツです。このタイプの認知症は、実際にはその場に存在しないものが見えてしまう「幻視」の症状が特徴です。この「レビー小体病 幻視編」は、とある楽団のリーダーである「私」が仲間の家を訪問する、という設定です。

まず玄関で仲間が「私」を出迎えてくれます。そして、「よかったらここに楽器を置いてね」と小さな部屋の扉を開けてくれるのですが、その暗い部屋に一瞬、奇妙な人影が現れます。人影はすぐに消えるのですが、「私」は足がすくんでしまい、結局その小部屋には入れずじまい。気を取り直してリビングに行くと、先に来ていた仲間たちがソファーで和やかに談笑しています。その様子を見てホッとしたのもつかの間、ふと部屋の端を見ると、無表情な男が壁の方を向いて黙って立ち尽くしていたり、膝を抱えて床に座り込んでいる人がいるのです。

場違いなふたりに「私」はギョッとするのですが、どうも他の人たちには、壁の男も体育座りの人も見えていないようです。そしてお茶とともに出されたケーキにはなんと、気持ちの悪い虫がたかっています。でも周りはみんな楽しそうにお茶を飲んだりケーキを食べたりしているので、「私」は何も言い出せず、ただただ黙り込むばかりです。そのうち、仲間のひとりが「最近目の錯覚が多いって言ってたけど、何か怖いものでも見た?」と問いかけてくれました。VRを通したわずか5分ほどの疑似体験でしたが、この言葉で私はだいぶ気分が楽になりました。見えない壁の中にひとりだけ閉じ込められているような息苦しさから解放されて、一息つくことができたように感じました。

幻視は時と場所を選ばずに突然始まると言います。夜中に一人でいるときに知らない人が部屋の中に現れたらどれほど恐ろしいだろうと思います。ただし幻視にはいろいろな種類があり、必ずしも不気味なものや恐ろしいものばかりでなく、ときには美しいものやユーモラスなものが見えることもあるのだそうです。

このVRコンテンツを監修したレビー小体型認知症当事者の樋口直美さんは、幻視を否定しないでほしいと呼びかけます。「幻視は本物にしか見えません。自分がありありと見ているものを頭ごなしに否定されるととても辛いし、そのストレスが病気を悪化させることもある。異常視さえされなければ幻視とはうまく付き合っていけるので、どうかあたたかい気持ちと知的な好奇心で、何が見えているのか聞いてみてください」(樋口さん)。

「私をどうするのですか」「ここはどこですか」でもそうでしたが、認知症の当事者は、自分が見たり体験していることを否定されたり不審がられたりすると、本当になすすべがなく途方に暮れてしまうのだということがよく分かります。

また仮に、「どうしたの?」と思いやりを持って問いかけてくれる人がいたとしても、自分が不安で混乱しているときに、相手に状況を的確に伝えられるかどうか、私はまったく自信がありません。認知症の当事者と向き合う際大切なのは「客観的な状況」ではなく、目の前の相手がいま何を見て何を感じて何に困っているのか、「相手の主観」に寄り添うこと。そして仮に、助けようとした時に相手から意味不明な反応が返ってきたとしても、その人の主観のなかで今起きている「何か」を尊重し、できる限り想像することが必要なのだということを実感しました。

テクノロジーが切り開く高齢者のあらたな生き方

本イベントの後半は「2040年、わたしの面倒、誰が見る!?」と題したパネルディスカッションが行われました。登壇したのは甲南大学 知能情報学部 4年の漫才ロボット開発者の 原口和貴さん、Mogura VR Newsでの連載でもおなじみ、高齢者向け旅行VR開発者で東京大学 先端科学技術研究センター 登嶋健太さん、株式会社シルバーウッド 黒田麻衣子さん、そして介護福祉士の上条百里奈さんです。

これまでさまざまな立場で高齢者と向き合ってきた4名が、「介護の現場でテクノロジーが果たす役割」や「介護する人とされる人の理想的な関係とは」などのテーマについてディスカッションしました。


(向かって左から上条百里奈さん、登嶋健太さん、黒田麻衣子さん、原口和貴さん)

介護現場でのテクノロジーの可能性について原口さんは、漫才ロボットで高齢者を楽しませたいという一方で、高齢者同士の自然な交流が大切と考えています。「笑いは人それぞれなので、全員が好きなものを作るのは難しい。人工知能で漫才を作ってそれが面白いかどうかは、まだ研究途上です。正直こちらから働きかけるより、病院の待合室でおばあちゃん同士の会話が盛り上がって大爆笑、みたいな状態が本当はベストなんだと思う」(原口さん)。

登嶋さんは、肉体的なハンディキャップをVRで補完し、仕事を続けている要介護5の男性コラムニスト神足裕司さんの事例を紹介しました。「神足さんは記憶障害があり、取材先では写真やメモで記憶を補完していた。ある時、取材先に360度カメラを車椅子につけていったら、自分が見た風景だけでなく、自分自身がそれを見たときのリアクションの顔も映っていて、それが記憶を補強するツールになったとおっしゃる。体調を崩して入退院を繰り返されているが、入院している時はたいがいVRの記録を見返してベッドの上で働いている。その姿がカッコよくて。これは一例ですが、テクノロジーが人の弱さを補完してくれることで人生の可能性はまだまだ広げられると思うんです」(登嶋さん)。

一方、14歳からボランティアで介護の現場に立ち、現在も介護福祉士として働く上条さんは、社会が高齢者と関わることに魅力を感じていない以上、テクノロジーでは介護現場の問題は解決しないとシビアな見方を示しました。「今はスマホとかタブレットとかコミュニケーションツールが増えて、施設入居者と家族は本当はいつだってコミュニケーションが取れるはずなのに、実際のところそうしている家族は少ない。心配はしているのだけれど、高齢の家族にかける時間とエネルギーが捻出できない。高齢者と繋がりたい気持ちが薄いんです。年を重ねることへのネガティブなイメージを払拭して、誰もがいくつになっても自分らしく楽しく生きられる、そういう価値観に社会全体が変わらなければ」(上条さん)。

また黒田さんは、VRなどで高齢者が抱える困難をよりよく理解するとともに、介護施設を地域に向けてオープンにしていくことの大切さを訴えました。「弊社で運営している高齢者施設では共有スペースを地域の人たちに解放しています。子供連れのお母さんとか、近所の高校生が勉強しに来たりして、自然なコミュニケーションが生まれている。施設を特別な人のための特別な場所ではなく、楽しいから、知り合いが住んでいるから日常的に足を運ぶ、そういう場所にしていくことが大切だと思う」(黒田さん)。

アクティブシニアが支える「旅行VR」

パネルディスカッションの後には、登嶋さんの旅行VRコンテンツを参加者が体験。Oculus Goを使い、世界中の名所旧跡で撮影された360度映像を鑑賞しました。なおVR酔いをしやすい高齢者の特性に配慮し、よりVR酔いしにくいとされるスチールでの提供でした。


(旅行VRを楽しむ参加者)

参加者は大きな水牛がいる竹富島ののどかな風景や、緑深い屋久島、梅が咲き乱れる湯島天神など美しい景色を堪能しました。登嶋さんによると、高齢者にとって画質はそれほど重要ではないとのこと。むしろそのVR画像を誰が撮って来たのか、撮って来たときにどんなことがあったかなどに関心が集まり、そうした情報を含めてみんなで一緒に楽しむことでお互いに刺激しあったり、楽しみが増すのだそうです。「元気なアクティブシニアの方たちにはあちこちに出かけて行って撮影をしてもらい、体の自由がきかない人はそれを見て楽しむ。”あそこへ行きたい”というモチベーションにもなるし、アクティブシニアがいつか体が不自由になった場合にも、かつて自分が撮った映像は支えになるんです」

どんな病気や障害があってもみんなが普通に、その人らしく生活していける。そういう社会をつくるためにも、VRのようなテクノロジーが果たせる役割は今後ますます大きくなりそうです。


VR/AR/VTuber専門メディア「Mogura」が今注目するキーワード