狭い路地にあやしげなネオンサインが雑然と乱立している。路地は細い別の路地へと枝分かれし、どこにつながっているかもわからない。迷うために設計されたような空間、失踪するために歩くような街だ。
散策していると位置感覚が狂い、気がつけば最初のいた地点のようなそうでないような場所に戻っている。
ワールド紹介文にはこうある。「かつて存在していたかもしれない九龍城をここに。」
(九龍城塞路 Kowloon-walledstreet By Mikawaya_Aoi)
九龍城砦は香港に実在したスラム街だ。イギリスの植民地となった香港一帯において例外的に中国(当時は清朝)側の管轄として残されたものの、日本軍の進駐と終戦に伴う混乱により、イギリスも中国も掌握できない権力的な空白が生じた。その隙間に中国本土や台湾からの政治犯や経済難民、さらには三合会などの香港マフィアが入りこみ、ほとんど治外法権と化した。そうした混沌を、一九四〇年代から五〇年代にかけて香港総督を務めたアレクサンダー・グランサム卿は、「汚物と売春宿とヘロイン中毒者で満たされた不潔な掃き溜め」と憎々しげに記した。
最初はバラックが立ち並ぶだけだった九龍城砦一帯は、住民が増えて過密状況を加速させていくにつれ、居住スペースの不足から高層ビル化していく。高層ビルといっても香港中心部や、いまの深圳に建っているようなこぎれいで直線的な建物ではない。バラックを積みあげたような、直方体の集積だ。
もちろん自治体や政府へ計画を提出するなどといった行儀のよろしい工程を踏まないので、階層ごとの奥行きに凹凸があったり、同じ階層のブロック同士で奇妙な隙間が生じていたりと、崩れかけのジェンガみたいな有様だったらしい。そうしたビルが300棟以上密集した0.02平方キロメートルの空間に、3万人とも5万人ともいわれる住民が住んでいた。最盛期の人口密度は1キロ平方メートルあたり200万人に達していたという説もある。
また、上下水道も電気網もろくに整備されていなかったため、井戸から水を引くためのポンプや盗電するための電線がビル同士の間やビル内の通路に無法に張りめぐらされ、独特な風景を成した。
このダークでワイアードでケイオティックなイメージにとりわけ魅了されたのが、80年代から90年代にかけての作家たちだった。ウィリアム・ギブスンは九龍城砦を「夢の巣(hive of a dream)」とインターネットの未来を見出して〈橋〉三部作(1993〜96年)でネット空間に仮想九龍城を建設し、押井守は『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)で意識の拡張と情報の氾濫を象徴するため、街に九龍城砦の外観を取り入れた。
また、97年に発売されたプレイステーション用ソフト『クーロンズ・ゲート』もサイケデリックで乱雑に接続された空間としての九龍城砦を舞台にしている。興味深いのは、九龍城砦自体は香港の中国返還を前にした93年に解体されてしまっていることだ。
いってみれば、近代化に伴って失われてしまったものを通して未来の情報空間を幻視していたわけで、そこには顛倒したノスタルジーなどと一語にはくくれないなにかがひそんでいる。
そのなにかの残り香はインターネットが普及し、完成し、腐敗し、それでもグズグズと永続する二十一世紀にあってもわれわれのまわりを漂いつづけ、九龍城砦の完全撤去から三十年以上を閲した今でもひとびとのフェティシュの対象でありつづけている。
近年でもポストアポカリプティックサイバーパンク猫アクションゲームとして高評価を受けた『STRAY』が、当初「HK_Project」というプロジェクト名で、九龍城砦のイメージを前提に制作が進められたと開発者自身が語っている。ちなみに、元住民が『STRAY』のプレイを実況する動画もある。
(九龍街 by わふわっふる)
九龍城砦は、外からは神秘的なブラックホールであったとしても、内からは日々の生活空間であったりもした。実際、中国への香港返還を正式に認めた84年の英中共同声明以降は九龍城砦内部に司法や福祉の手が及ぶようになり、「ヤク中とマフィアの巣窟」といったイメージからは次第に離れていく(生活や日常の場としての九龍城砦を知りたいなら今も参照されつづける名著、グレッグ・ジラードとイアン・ランボットの『九龍城砦探訪』[イースト・プレス]がオススメだ)。
当然ながら、VRChatにある九龍城砦オマージュワールドには居住者がいない。九龍城砦であるかのようにデザインされた空間があるだけで、そのデザインとはだいたい外部からの視線に基づくイメージだ。
たとえば、Bar kowloon 【PPC】(by PAPICO)と Kowloon shisha night(by 縛(ふう_FU)では似たような青くライティングされた街路が出てくる。
(Bar kowloon 【PPC】 by PAPICO)
(Kowloon shisha night by 縛(ふう_FU))
この「青い街路」は88年のジャン=クロード・ヴァンダム主演アクション映画『ブラッドスポーツ』の一場面、一人称のカメラが九龍城砦をドローンのように漂いながら雰囲気たっぷりに撮っていくシーンを(無意識的にであれ)受け継いでいる。
Unity のストアで販売されている九龍城砦モデルの人気アセットでも、紹介動画で『ブラッドスポーツ』を意識したと思しき場面がある。
わたしたちはそうして、イメージに対する欲望を継承し、純化させていく。九龍城砦的な雑駁さという点では、Cloma の傑作ポストアポカリプスワールド「New World Order」や、DrMorro の「ORGANISM」もその系譜にある。
もともとどこかにあった概念に、自分たちの持っているソースや欲望を継ぎ足していく、そんなメタボリズム的な創作行為そのものが、異形の建築であった九龍城砦的な営みであるといえるのかもしれない。
香港ノワール映画の巨匠、ジョニー・トーは、たしか『スリ』のソフトに入っていたメイキングだったとおもうのだけれど、映画を撮りつづける理由として「返還以降に失われていく香港の風景を映像に留めておくこと」を挙げていた。『スリ』の撮影時点では返還から十年も経っていなかったはずだが、それでも香港の変化は驚くほど激しかったらしい。
かつて数万人の集った九龍城砦は今は完全に取り壊され、清潔な公園になっているという。九龍城砦といえば映画『省港旗兵・九龍の獅子』(1984年)での、行き場のないアウトローたちが警察に屋根裏へ追い詰められ、ドブネズミと重ねられる死に様を晒す姿が印象的だった。おそらく、もうその公園からはドブネズミも底辺から這い上がろうとするアウトローも駆逐されきっているのだろう。
(Kowloon shisha night by 縛(ふう_FU))
しかし、かつて九龍城砦で撮られた映像や写真、記憶を語るひとびとのことばは断片となり、次の場所のための建材となっていく。たとえば、前に挙げた Kowloon shisha night というワールドではその名の通り、シーシャを嗜み、ビールをあおることができる。
すてきじゃないか?
シーシャが実際に九龍城砦内で吸われていたかはわからないけれど(人種の坩堝でもあったことを考えると可能性はある)、ワールド制作者は「九龍城砦でシーシャが吸いたかったから作った」という。
そのような欲望で作られたどこにもない世界がここにはあり、そして、わたしたちはその世界で過ごすことができる。インターネットにおける陳腐化の速度を考えると、この居心地もいずれは失われてしまうのだけど、VRヘッドセットあるいはディスプレイという眼があり、なんとなればボタン一つで思い出をスクショできる。
その記憶に、次の記憶を、次の次の記憶を重ねていき、わたしたちは自分だけの九龍城砦を作りあげていく。