刺し身とタンポポと修道院
その仕事は実在する。
パックの刺し身の上にタンポポをひとつ乗せる。やさしく、舞わせるように、落とす。早すぎても遅すぎてもいけない。形にはこだわらなくてもいい。きれいに真ん中へ落とそうが、パックのはじっこに落とそうが、不在の工場長は気にしない。
タンポポをひとつ乗せるたびに、ベルトコンベアの上に表示された仮想口座に0.5チップが
振りこまれる。
ここ、刺し身タンポポ工場こと「刺身の上にタンポポのせる仕事が始まるおUC⁄ sashimi tanpopo」(By __sliver)では、この積み上がった数字があなたの価値だ。
積み上げた給金をどう利用するかというと、ほら、そこに入場料30チップのゲートがある。その向こうにはゆったりとしたソファと芳醇な香りを放つワインが用意されていて、透明な仕切りの向こうでせっせと働くタンポポ労働者たちを優雅に眺めることができる。あなたは1人なので、他に働いている仲間などいないが。とはいえ、気分はタンポポドリーム。勤労は成功を保証してくれる。
でも、気をつけて。
うかうかしていると、すぐにゲートの外へ放り出される。
もう一度あの美酒を味わいたいなら、今度は40チップ支払わないといけない。より多くのタンポポを乗せなければいけない。なんというブルシット。そもそも、刺し身の上のタンポポなどだれが気にするのか。
しかも、これは断言してもよいとおもうのだが、このワールドで支給されるタンポポはそのコチコチな外見からしていわゆる食用菊(つま菊)ではない、プラスチック製だ。フレスコとかのやつだ。魚以外入ってないスーパー玉出よりは豪華かもしれないけれど、スーパーマツモトよりは格が落ちる。つま菊は可食であり文字通り刺し身のツマにできる余地があって、入れる意味もまだあるだろうが、なぜわざわざ食えないプラスチックたんぽぽなど入れるのか。だいたいVRだろ。タンポポどころか刺し身も食えないんだぞ。
しかし、文句をいおうにも抗議を行うべき上長はいない。団結すべき同僚もいない。あるのはただコンベアを流れつづける刺し身パックだけだ。その切り身のサーモンやカンパチやイカが無言でこう訴えかけてくる。
「乗せろ」と。
「乗せつづけろ」と。
80個のタンポポを乗せて40チップ稼ぎ、ゲートをくぐったところで、そのあとどうなるかはわかりきっている。
どうせまたすぐ、ワイングラスを傾ける時間すら与えられないままに叩き出され、今度は50チップ、100個のタンポポを要求されるのだ。実質的には報酬はゼロで、労働には終わりがない。
昔読んだ女工の日記を思い出す。「こういう生活がもたらすもっともつよい誘惑に、わたしもまた、ほとんどうちかつことができないようになった。それは、もはや考えることをしないという誘惑である。それだけが苦しまずにすむ、ただ一つの、唯一の方法なのだ」。
あなたはもう何も考えない。何も考えずにタンポポを乗せていく。思考しなくなっても感覚だけははらわたのどこかに重くのしかかっている。
その感じはなんだろう?
かつて、古代ギリシャでは労働のことをポノスと呼んだ。
この言葉は労働以外にも肉体労働や、仕事によって生み出されたモノなどの意味も持っていた。犬儒派の哲学者たちにとっては、物乞いなどの厳しい生活をあえて選ぶことも指した。現代ギリシャ語において、ポノスが表す状態は一つだけだ。
”苦痛”。
VRChat のワールドでは労働を疑似体験できる。なぜわざわざVRで? と思う人もいるかもしれない。まったく同じ疑問を、中世ヨーロッパの庶民はカトリックの修道僧たちに対して抱いた。本来労働を免除された支配階級であったはずの修道僧たちは、必要もないのに荒れ地を開墾し、修道院を建て、そこで額に汗して自給自足の質素な生活を送った。
なぜそんな奇行を走ったかといえば、苦痛が欲しかったからだ。
キリスト教の文脈において、労働とは神から人類にくだされた罰にほかならなかった。そのせいで労働は聖職者たちから蔑まれていたのだけれど、欧州で権力を得た教会が腐敗していくにつれ、それを嘆いた一部の改革派は自分たちを叩き直し精神を養う必要があると考えた。
その手段が修道院であり、労働だった。「無意味」で苦痛に満ちた労働が魂を浄めてくれる、というロジックだ。ロジックといってもマゾヒストの論理なので、科学の時代に生まれたわれわれには正直よくわからない。
まあ、VRChat はだいたい現代の修道院のようなものだといえる。無の土地を囲って勤勉に独自の空間を作り出して、はたから見れば奇妙な儀式を行い、理解不能な呪言をみなで交わす。
俗世からすれば、「どうして」/「そんな」/「わざわざ」/「無意味」/「なぜ」で溢れた場所だ。
VRChat で労働を模倣するのは無意味であるからこそ、歴史に鑑みて理に適っている。
そういうわけで、モスバーガー公式がお仕事体験ワールドを設置したのも当然だった。
なあ君、モスバーガーを享受せよ。
地下のタンポポ工場から脱出したあなたは月へ飛び出す。
月面に建つモスバーガーは、地球と変わらない落ち着いたグリーンカラーであなたを出迎えてくれる。
[MOS BURGER ON THE MOON(By yoshiyoshidai)]
ところが、スマイルを無料で配ってくれる店員はいない。
かたや、店の裏ではギグワーカーのウサギたちがウーだのバーだのそれっぽいリュックを背負って、配達品を要求している。
月にはこういう格言がある。”モスバーガーに店員が見当たらない場合、その日のモスバーガーの店員はあなただ”。
お誂え向きに、厨房にはバーガーの作り方が書いてある。
めんどくさい。
どうりでどこのモスも提供に30分くらいかかるはずだ。
しかし、バンズやマヨネーズはすでに用意されていて、ウサギたちの視線がキツい。あなたがバーガーを用意しなければ、かれらもまた飢えて死ぬ運命にある。昔のドイツ人がいうところの「人間は働かなければいけない唯一の動物である」というのは完全なウソだ。
バンズを焼き、冷蔵庫から取り出したパティを焼き、焼いたバンズにトマトやパティを乗せ、マスタードを塗る。ことばにすれば簡単だが、あるいは地球の重力下では実際簡単なのかもしれないが、1/6Gしかない月の表面重力では野菜やバンズが宙に浮いてままらない。
なんだか、浮いたところで浮遊せずに静止している気もするけれど、宇宙なのでそういうこともあるかもしれない。
そんなこんなでようやくバーガーが完成する。創業から五十年間変わらぬ味。そして変わらず滴りまくって袋溜まる汁気。どうやったらきれいに食べられるのかご存知かとあなたはウ
サギに問うが、ウサギは知らない。
あなたは呆れてためいきをつく。
おいおい知らないのかよ…… 。
まず上の右手と逆の角を持つだろ、そんできちんとはしを重ね、くるっと向きを変える。
で、下のとがってる部分が 出るように(反対側から)持って手前に回す、ぴったりにだ。
するとちょうど開くから、そこからおもむろにガブリ。
これで絶対ふくろに溜まらない。ばっちりでつ。
ってか、おまえが食うんかい。
しかし、月面は貧しい土地だろうに、よくパティに使う新鮮な肉が用意できたものだ。このワールドに牛は見当たらないのに……。
まあ、あまり深く考えないほうがいいのかもしれない。
あなただけとコンビニ
望むのならば、VRChatではあなたは豊かなキャリアを築ける。
正確にいえば、コンビニのレジ係としての多様なキャリアを、だ。
たとえば、メキシコの有名コンビニチェーン、OXXO。
たとえば、深夜のセブンイレブン in ガソリンスタンド。
[7 Eleven -REDUX-(By CoffeeBanditVRC)]
永遠に誰もこない店内でぼんやり過ごす。
暇をつぶしたいなら、バーコード読み取り機でてきとうな商品をピッとし、POSを混乱に陥れることができる。
客はやっぱりこない。
暇をつぶしたいのなら、カウンターの下にバットが転がっている。万一、小さな鉛のボールを秒速340メートルで発射できるピッチングマシーンを携えた野球好きがコンビニに迷い込んできた場合には、これで野球をプレイできる。
強盗もやっぱりこない。
怪談においてコンビニが舞台となるのもだいたい夜間だ。ネットロアに不審人物が深夜のコンビニに現れて店員や客の生命を要求し、断られると笑いながら奇妙な針金細工を置いて去っていく話がある。もちろんその針金細工のせいで不穏な出来事が発生していくわけだが、深夜の人のいないコンビニには、そうした荒唐無稽な怪異の実在がリアルに感じられるような空気がある。
不快と苦痛と隔絶が労働の本義であるならば、こうして虚ろに立っているだけでも立派に賃金に値するのかもしれない。
それでもあなたは逡巡する。
もっとビッグなビジネスで一発当てて、ドリームをつかむべきではないのか?
すべての野菜に感謝を
さてここに、合法のナイフ、合法のバケツ、合法の種、合法の水、合法の土がある。
まったくもって(カリフォルニアやオレゴン、あるいはオランダなどでは)適法な野菜栽培のためのスターターキットだ。
奴隷労働から抜け出し、サクセスするぞ。
壁には栽培と加工のプロセスが懇切丁寧にマニュアル化されている。バーガーの作り方よりわかりやすい。
手順通りに種を植えて水をまくと、さっそく芽が出てすくすく育っていく。
農耕は資本主義のはじまりであるけれど、人間のはじまりでもある。いますぐ吸いたいという欲望を抑えて、種を撒いて収穫する。道具を通して生産を最大化し、また別の道具を通して煙をふかす。この道具の仕様と豊かな実りが人類と動物を分けるのだ、と昔のドイツ人はいった。
叡智の勝利だ。
こうしてようやくタンポポの悪夢から抜け出せる……。
とおもったのだけれど、このワールドは加工過程を完全には実装できてないようで、収穫までで終わってしまう。
やはり夢は夢のままなのだろうか?
むしゃくしゃするのでテキーラでも飲んですべてを曖昧にしたい。
深い酔いが眠気をもたらしてくれるだろう。
ようこそ怠惰へ。
目覚めたあなたはこぎれいなオフィスに佇んでいる。
[Virtual Office(By CitrusXue)]
いつのまにか、そこそこいい感じのホワイトワーカーに昇りつめていたようだ。裏世界の豪農としての地位は築けなかったが、福利厚生が保障されている身分なら、よほどそちらのほうがいい。
もはやタンポポや深夜のコンビニの夢を見る必要はない。
あなたは高層ビルで働き、高層マンションで寝起きするハイライズ族になる。地べたに足をつけない高貴な階級の一員だ。
しかし……はたして、これが「ゴール」なのだろうか?
結局はこの職場でも椅子に座ってパソコンと向き合い、労働に勤しまねばならない。
これが刺身の上にタンポポを乗せる仕事とどう違うというのだろう?
古代ギリシャでは労働に従事するかぎりはたとえ自由な身分であっても、奴隷と同程度の徳しか持たないとされた。働かないやつが偉かった時代である。
わたしたちはもう一度、自分の徳を高める方法を考えていかねばならないのではないか。
あなたのパソコンの画面にはそのための脱出口が示されている。
ビル・ゲイツをもっとも高給取りの社内ニートに変えたあの麻薬、マインスイーパだ。
こうしてあなたは仕事のふりをしてこっそりサボる術を手にした。
サボるとはサボタージュの略であり、もともとは破壊活動としての怠業のことだ。
あなたは怠けることであなたを孤立させ、搾取しようとするすべての権力に反逆できる。
さあ、一切合財怠けようではないか。
恋するときと、飲むときと、怠けるときをのぞいては。
うぎゃー(爆死)