>>
恩寵とは、下降運動の法則である。
ーーシモーヌ・ヴェイユ「重力と恩寵」
<<
VRChatで穴を見つけたら、とりあえず入ることにしている。
隠れるためではない。
落ちるためだ。
「Jacob’s Stairs」(by PhysisKITE)は天国に通じている。
見上げればわかる。円筒状の建物の内部、天井ではファンのようなものが回っていて、その隙間から青白く幻想的な光が射し、罪深いわたしたちのアバターを洗ってくれる。
建物の内側に金属質な螺旋階段がはりついている。登ると天井の間近まで届く。
ワールド名の元ネタである「ヤコブの梯子(Jacob’s Ladder)」は旧約聖書のエピソードだ。ヤコブというひとがいろいろあって夢を見る。その夢では天を摩するほどに高い梯子(一部訳では階段)があって、天使が昇り降りしていた。そこでヤコブは神の声を聞き、目覚めて「あれは神の家で天の門だったのだ」と思い至る。
頭の上でごうごうと回っているあのファンも天国への門なのだろうか。だがあの向こうへ脱ける手段はない。
下を覗く。床でファンの影が回っている。
上から見下ろす景色は下から見上げた景色とそっくりだ。逆さまにしても、天国。そうそう、そういえば、レッド・ツェッペリンの「天国への階段」にはある噂があって、あれを逆再生すると……どうなるのだったっけ?
気がついたら吸い込まれるようにして転落している。
時間にして数秒。ものすごい勢いで螺旋の輪をつぎつぎくぐり、何事もなくスタート地点である床に無傷で立つ。
気持ちいい。
もっと落ちたい。
*空の向こうから落ちる
約二十六秒。
自由落下する人体が終端速度に達するまでに要する時間だ。
人間が身一つで出せる最高速度はおよそ秒速五十五メートルと定まっていて、つまりあなたは新海誠が描く青春の千百倍の速度で落下する可能性を秘めている。
しかし、あなたの青春が新海誠でなかったように、落下についてもそのポテンシャルを発揮できる絶壁は自然界に存在しない。試しにそこいらの山壁から落ちてみるといい。突き出た岩や木に邪魔されるから。
遮るもののない垂直方向への高さと純粋な下降の運動は、摩天楼の時代から都市の占有物だ。あなたは旅に出る必要すらない。
では都庁なりハルカスから落ちればいいとして、ひとつ問題が出てくる。
落ちたら死んでしまう。
精確には、落ちて衝突して死ぬ。SF作家のダグラス・アダムスが言った(とされる)ように「落下することで死ぬのではない。最後に急に止まるから死ぬのだ」。
落ちて止まっても死なない世界がある。
VRChatであれば落下による死も痛みも衝撃も免除してくれる。『マトリックス』でネオがビルから落ちても死ななかったように。ヘッドセットという名のバイエンススーツを装着すれば、わたしたちは太陽に飛びこんだって不滅だ。
「Sol Station」(by Ethosaur)
*すべて上昇するものは宇宙から落ちる
落下するにはまず昇る必要がある。
昇れば昇るほどよい。なんならカルマン線を越えて宇宙まで届いてもいい。
それなら、宇宙エレベーターだ。
「SPACE ELEVATOR」(by lunar eclipse)は文字通り宇宙のエレベーターである。映画やアニメに出てくる軌道エレベーターだの何だのはゴツいけれど、これは見た目も観光用のエレベーターっぽい。シリンダー形の透明なカゴに入ると、数分かけてゆっくりと空を昇っていく。
和歌山あたりと思しき緑深い山々を足元に見つつ、途中で虹やヘリやステルス戦闘機と行き合う。牧歌的だ。
そうして、地球の衛星軌道上に浮かぶステーションに到着する。
どこの組織が運営しているのかはよくわからないけれど、ホスピタリティが行き届いた施設で、警告を無視して高重力ルームに入ると体と世界がゆがんで楽しい。さらに上のほうへ向かうエレベーターに乗れば、絶景も味わえる。
そうして、ひとしきり未来を堪能したら、ふたたびエレベーターに乗って地上まで降る。また数分の旅だ。透明な壁に隔てられたカゴのなかで下界を臨みながら、またぞろあの欲求がめばえる。
落ちたい。
しかし一度動き出したエレベーターは絶対安心安全で、ドアは開かないし窓もない。お客様のご安全など、知るか。落ちたいんだ。落ちさせてくれ。
ラグれ。バグれ。と、念じながら透明な壁にガンガンぶつかると、すっと視界が開け、あ、これは外に出られたんだ、と認識したときにはすさまじい勢いで景色が縦に流れていく。
ぎゃ〜〜〜〜。
あ〜〜〜〜。
ほぼ一瞬だ。強烈な重力。およそ数十キロの高度を数秒で落ちきって、地面にたたきつけられる。
距離は足りている。速度はすでに超えている。
でも、二十六秒は遠い。
*階段から落ちる
印象に残る巨大ワールドはいずれも落下の要素を効果的に取り入れている。
たとえば「ORGANISM」(by DrMorro)、たとえば「Noratama’s room」(現在非公開)(by Noratama)。最近であれば「VRtebrae」(by Air In)。
もちろん空間を構築するにあたって経済性もあるのだろうけれど、体験として、歩くことが日常的な行為なのに対して、落ちることが非日常的な行為でもあるからだろう。人はふだん、物理的に落下したりはしない。
重力に縛られた人間たちにとって天上も地下も異界だった。アリスはウサギを追って穴に落ち、ドロシーは竜巻で空高く飛ばされる。
一見、異界である VRChat も例外ではない。自分のアバターに飛行機能を仕込むか、ワールドのほうでそうしたギミックが設置されてないかぎり、わたしたちは擬似的な重力に縛られている。そう、落ちるときだけでなくて、昇るときもまた重力には抗えない。
宇宙に行くのでもないかぎり、昇るには階段がいい。歩行することでゆるやかに登っていく、というのは日常の延長線の果てに非日常へたどり着くことであり、神社や寺にやたら長い階段が設置されているのもそのためだ。新海誠の映画のカップルが階段ですれ違うのもそのためだ。おそらく。
落ちるにしても同じことだ。自分の足(ヴァーチャルだが)で頂点までたどり着いたという事実が落下を神聖にしてくれる。一段一段、一歩一歩を踏みしめるその気持が未来の落下を神聖にしてくれる。逃れようとしたものに抱きしめられること、それを人は運命と呼ぶ。
さしあたって手軽な運命は「stair54」(by mikka-bouzu)にある。
いや、うそをついた。全然手軽ではない。
これを見てほしい。
高い。頂上が見えない。
これを登る。
もちろんワールド制作者も鬼ではないからワールドの方で飛行機能をつけてくれていて、数分ほどで上まで飛んでいける。
だが、そんな簡単な上昇でわたしたちが満たされるだろうか? そんな落下に恩寵が伴うだろうか?
そういうわけで、わたしは階段を使う。
蹴り込みが高すぎて一段ごとに歩けないので、ジャンプしながら進む。
さっそく落ちる。
やや重力の弱いこのワールドでは、うっかりすると跳びすぎて踊り場の向こうまでオーバーしてしまう。
慎重に行かねばならない。苦労は多ければ多いほど報われると信じよう。
再アタックして今度は順調に登っていく。順調なのだが。
十分ほど過ぎたところで、だんだん不安に陥っていく。
景色があまり変わらない。
もともとミニマリズムっぽく無数の階段が配置されているワールドで、それはそれで目に愉しいのだけれど、登るときには「果たしてちゃんと登れているのか」という気持ちになる。もしかして、エッシャーの絵のように無限にループする階段を登らされているだけなのでは?
それでも層のようになっている吹き抜けが次第に減っていくのに気づき、疑いは解消される。安心する。安心して、しばらく休憩を取り、のんびりお茶などを飲んでいると、いきなり「ブッ」という不吉な音が聞こえ、画面にこう表示される。
[Disconnected] VRChat is not responding.
要するに通信が切れたのでつなぎなおせという警告だ。つなぎなおすとなにもかもリセットされる。スタート地点に戻される。やりなおし、ということになる。
十数分間の苦労が吹き飛ばされる。
ちなみに警告に対する返答は「Okay」しか選べない。なにがオーケイだというのか。なにひとつとして大丈夫ではない。
やりなおす。
ふたたびオーバージャンプで脱落しそうになりながらも今度は休憩なしで駆け上がる。「そこ」に何があるのかは読者自身の眼で確かめてほしい。
いやしかし、そんなものよりもわたしが欲しいのは落下だ。てすりをひょいと乗り越えて、重力に身を任せる。眼下の構造物が幾重にも咲いた純白の花弁のようで、その中心へと落ちていく。一秒、二秒、三秒……。
十五秒。
そこで、止まる。
*永遠に落ちる
VRChat には古くから「VRC落下部」というコミュニティがあるそうで、複数で集まって落ちているらしい。人間がつぎつぎ落ちるさまを想像すると、映画『パプリカ』のワンシーンみたいでなんだか愉快な気がする。落ちることはヴァーチャルなひとびとにとってポピュラーな娯楽なのだ。そこにはなにか根源的な愉悦が隠されている。
ひとつには、落下は人生そのものであるということ。人間が産まれたときから死に向かっていて、その一方向的で無力な過程は落下の運動に似ている。これはなにもあなたの独創的な霊感というわけではなくて、たとえば、イタリアの小説家ブッツァーティも落下することに人生を重ねた話(「落ちる娘」)を書いている。安吾だってこう言って酒を飲んでいた、「人間は生き、人間は堕ちる」。
死の恐怖から離れた VRChat の落下には何があるのか。
「Tower」(by UOTI_1)ほど、純粋に階段と高さを希求したワールドはない。なにせ、説明文にこうある。
「高さ128000」。
小細工は一切ない。
頂上まで上がるのを助けてくれるようなギミックもない。
ただ、登る。ただ、上がる。
一段一段、アバターのその足で歩くしかない。
上がっているあいだの景色の変化は「stair54」に輪をかけて乏しいというか、ほぼ何も変わらない。ただ階段が無限に近い有限さで螺旋状に折り重なっているだけで、自分がいまどこにいるのか、頂上までどれくらいなのかを知る手立ては絶無だ。
登ることしかできない。
十分登っても二十分登ってもまだ終わらない。
三十分登ったところで自分がなんのために登っているのかわからなくなる。
とっくに二十六秒以上の落下時間は確保できているだろう。それでもまだ登るのか?
登らなければいけない。なぜなら階段は続いている。なぜなら落ちる場所が高ければ高いほど、わたしのたましいは救われる気がするからで……アッ。
落ちる〜〜〜。
最下層まで墜落する。
肉体は痛くはない。
だが、心が打ちのめされている。
帰ろう。
今日はもう帰ろう。
と、メニューを開こうとすると、なにかがおかしい。
メニュー画面がバグっている。
どうやらVRChatは高低差のヤバいところでメニューを開くとおかしくなるらしい。必死に「Go Home」ボタンを押すのだが、かなしいくらい反応してくれない。
おうちに戻れない。
ヤコブは夢から覚め、ドロシーやアリスは家に帰還できたというのに、わたしはこの世界に取り残されたままだ。
あるいはこの場所で死ぬまで昇降を繰り返すのだろうか?
天使のように?
【おまけ:落下専用ワールド】
「The Abyss Stairs」(by Grego Chego)
見た目上は無限に下り階段が続いているだけのワールド。ジャンプ禁止ワールドだが、がんばれば勢いでてすりを越えて落下できる。底なしに見えていちおう底がある。
「ORTH – Made in Abyss (メイドインアビス)」(by Sabo Ryubo)
つくしあきひとのマンガ『メイドインアビス』の世界をローポリで再現したファンワールド。画像に見える穴から何層にも渡って落下できる。かなり落ちれる。落ちるだけならVRChatでも随一の快楽を得られる。