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にじさんじ 2024.01.14

レオス・ヴィンセントの歌に込められた“再起”の意思 「SYMPHONIA」までの文脈をたどる

12月23日、「にじさんじフェス」期間中に実施された音楽イベント「SYMPHONIA」が大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。にじさんじ所属VTuberたちのパフォーマンスのクオリティは高く、長く応援してきたファンであるほど、彼ら彼女らの晴れの舞台に感動したことだろう。


画像はYouTubeチャンネルより引用

著者も有明の会場でイベントを目撃していたが、数ある楽曲の中で、他の演目とは何か空気の違いを一際感じられるものがあった。レオス・ヴィンセントの歌う『徒然モノクローム』だ。彼の歌うそれは、曲の合間の観客へのメッセージも含めて、こちらに向けて語りかけるような、異様な熱意のある歌い方であったように思う。

正直なところ観賞後すぐには、彼のどのような気持ちが歌に込められていたのかを想像するには至らなかった。しかし、どうしても気になってきたので、レオス・ヴィンセントのこれまでの歌に対するスタンスの変遷をアーカイブからたどっていくことにした。すると、あの舞台の歌に込められた意思が、ボンヤリと見えてきた気がする。まずは、デビュー当初から振り返ってみることにする。

歌うことを諦めていたレオス・ヴィンセント

デビュー当初、レオス・ヴィンセントは活動スタンスのひとつとして「歌わない」と語っていた。配信中少し歌う雰囲気になってもあえて「歌いません~!」と視聴者を茶化し、「歌ってほしい視聴者」と「あえて歌わないレオス」の間でプロレスのような掛け合いが行われた。著者は彼が「歌わない」ことを個性のひとつにしているのだろうと考え(にじさんじには様々な活動スタンスのVTuberがそろっているため)、特に気に留めていたりはしなかった。

しかし、しばらく活動を続けていくうちに、レオス・ヴィンセントの口から直接「歌わない」理由が語られることになった。2021年の8月の雑談配信。そこで、彼は「歌えない」と語った。一時期声を変えるために、お酒でうがいをしたり、煙草を過剰に吸った経験から、高音を出すことが難しくなり、自分の思った通りの歌唱ができなくなったという。好きなアーティストにフジファブリックを挙げ、邦ロックに対する愛情を見せていただけに、歌に関してのこだわりが強く、それゆえに満足な結果を出せないことへの憤りを本人が最も感じていたのだろう。「私自身の気持ちが全然盛り上がらない」と語るレオス・ヴィンセントの声が寂しげであることは、アーカイブを見れば伝わることと思う。

一方で視聴者の中には「今のレオスの声で歌って欲しい」という声があったことも確かだ。コメント欄には彼の低音にあった曲名を挙げたり、無理のない声の出し方をしてほしいという内容のものも少なくなかった。また、一部には彼をイメージしたオリジナル楽曲や手書きアニメMVも投稿されている。もちろん「歌えない」と語るレオス・ヴィンセントに無理強いをしたくないという葛藤も、ファンの側にはあったことだろう。それでもなお、いつかは……と期待を持ち続けていたことは間違いない。

そういったファンの声を汲み取ってのことなのか、もしくは別の心境の変化があったのかはうかがい知れない。2022年5月、レオス・ヴィンセントは、スタンスを変更し、はじめての生歌配信を行う(※厳密には、ニコニコの有料配信が初出だが現在はアーカイブ期限切れ)。そのレパートリーは、自分が好きだと語っていた邦ロックが中心。その歌唱は「今の自分ならどのように歌えるのか」を確かめるような歌い方だったように感じる。「この元気全開な歌い方本当に励みになる」「歌い方レオスらしくてすき」など、コメント欄には感謝の言葉ばかりが残っていた。

おそらく、レオス・ヴィンセントは、この配信をきっかけに「歌える」という実感を掴んだのではないだろうか。その後、ジョー・力一のオンラインライブをはじめ、にじさんじ公式主導のイベントでも歌を披露するようになり、10月には「天才ロック/カラスヤサボウ」のカバーを披露。この楽曲は、(デビュー直後の「歌わない」宣言を踏まえて制作された)人力ボーカロイド曲が先に公開されており、本人が後から実際に歌うことでファンの念願のひとつが叶ったと言える。

行き詰まった所がほら

ところで、「SYMPHONIA」で歌った曲が、なぜ『徒然モノクローム』なのかも気になっていたところだ。先述のとおり、フジファブリックはレオス・ヴィンセントの好きなバンドのひとつとして挙げられているが、数ある名曲の中で、この曲を選出したのには、意図を感じざるを得ない。というのも『徒然モノクローム』という曲自体が、さまざまな文脈の中に置かれた曲のためである。

この曲は2012年にフジファブリックの12枚目のシングルとして発表された曲だが、バンドファンにとっては「再出発後の初シングル」という印象の方が強いだろう。バンドの中心人物だったボーカル・志村正彦氏の逝去後、3人体制となった後に発表された曲だからである。フジファブリックは、もともと志村正彦氏がほぼ全ての楽曲の作詞作曲を手掛けていたバンドであったことから、この再起の道のりがどれだけ険しかったことかは、部外者には計り知れない。そんな流れで発表された『徒然モノクローム』は、従来のフジファブリックの魅力を引継ぎつつも、確実な変化を思わせるものとなっていた。

また『徒然モノクローム』には、もうひとつの文脈がある。それは、フジテレビで放映されたTVアニメ『つり球』の主題歌として制作されたものであるということだ。歌詞の中には、アニメの作中キャラクターの名前をそれとなく含ませるといった仕掛けが施されている。この『つり球』という、アニメもまた「再起」がひとつのテーマとなった印象の強い作品だ。あらすじに少し触れよう。

主人公の高校生・ユキは人前で極度のプレッシャーを感じると、海中で溺れるような感覚になることに苦しんでいた。そんな彼のもとに、宇宙人を自称する少年・ハルが現れ、一緒に釣りをしないかと誘われる。ユキはハルの強引さに抵抗を覚えながらも、渋々釣りに挑戦していくことになるが……というのが大枠のストーリーだ。物語の中で、ユキはこれまで苦手として避けていた人とのコミュニケーションにもう一度目を向け、スマホを見る以外によりどころのなかった閉塞的な状況から少しずつ脱却していく。また、ユキをはじめとした登場人物たちも、あらためて自分自身と向き合う出来事に遭遇し、少しずつ成長していく。物語全体を通して「変化」や「再起」をテーマの軸に置いた作品というのが、著者の印象だ。上記のフジファブリックの歌詞は、そんなアニメ全体を掴んだような内容になっていると思える。

https://www.youtube.com/watch?v=kp_jXYGMIZA

レオス・ヴィンセントがはたして上記のような流れを押さえたうえで、『徒然モノクローム』をソロ曲に採用したのかは分からない(少なくともアニメ作品自体は未視聴であったそうだ)。しかし、レオス・ヴィンセントのこれまでの歌の活動の変遷と、バンド・アニメの流れを合わせた際に、共鳴するものがあると感じてしまう。

後日の振り返り配信では、この曲のことを「特に好きな曲」と話しながら「希望感というのかな、その場で盛り上がるという感じもありつつ、先を見ていこうみたいな、応援ソングのようなかたちじゃないですか。そういう楽曲を選んで歌いたいなと思った」と語っていた。デビュー当初、歌の活動をあきらめていた彼が、歌う決心をしてから初のリアルライブに至るまで、どれだけファンのことを考えていたのかをうかがい知れる発言だったと思う。

最後に『徒然モノクローム』のサビ部分で何度も使われているフレーズを引用して、この文章を締めたい。

「あきらめるのはまだ早い 行き詰まった所がほら それが始まりです」


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