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業界動向 2023.06.05

AppleがXRデバイスを発表したら、何が起きるのか

いよいよAppleがXR(VR/AR)デバイスを発表する瞬間が近づいている……ようだ。

Appleの年次開発者会議「WWDC」では、iPhoneやMacといったハードウェアやそのOS、プラットフォームに関わる新発表がたびたび行われてきた。日本向けに初めて発売されたiPhoneこと「iPhone 3G」、直近ではAppleシリコン(いわゆるM1やM2チップ)のMacがお披露目されている。

そして、WWDCの時期が近づくと、毎年必ずと言っていいほど“ある噂”が流れる。「Appleが、ついにXRデバイスを発表する」というものだ。

これまでAppleは、XRデバイスに関係する企業の買収、特許の取得などを10年近くかけて進めてきた。また、2017年にはiOS向けのARフレームワーク「ARKit」を発表。スマホやタブレットを使ったAR体験の展開を可能にしてきた。下準備は着々と進められている。

この状況を前にして、「AppleがXRデバイスを出す」噂が出てくるのは自然な反応だろう。SF映画に出てくるような“最高のARグラス”にはじまり、ヘッドセットの前面にカメラを搭載し、現実の風景とバーチャルなものを合成できるMRデバイスの噂も、まことしやかに囁かれている。

噂の定番パターンは「Apple専門のアナリストの発言」「部品メーカーからのリーク」「北米の大手メディアが情報提供を受けた」というものだが、結局は噂のままWWDCを迎え——そして、何も発表されないまま終わる、というものだった。筆者も、毎年日本時間で午前2時からの基調講演を毎年聴き、デバイスの発表はないことを確認し、ARKitなどソフトウェアのアップデートについての記事を書くのが常だった。

だが、今年は違う。

5月末、北米地域のVR専門メディアが、おそらく史上初となる「現地会場への招待」を受け取った。VRヘッドセット「Oculus Rift」を発明したOculus創業者のパルマー・ラッキーは、「Appleのヘッドセットは素晴らしい」とツイートした。PodcastやTwitterスペースでAppleのヘッドセットを体験したという著名人も現れはじめている。

本当にAppleがXRデバイスを発表するのか? 発表するとして、どのようなデバイスなのか?

その内容についての議論はしない。なぜなら、この記事が投稿されてから数時間後には答え合わせは終わっているからだ。代わりに「もしAppleが何らかのXRデバイスを発表したら、その後、XR領域で起きること」を筆者なりに推測して書いてみたい。

AppleのXRデバイス発表が意味すること

Appleはいわゆる「GAFA」、シリコンバレー発テックジャイアントの中でも最大規模であり、世界の時価総額トップをひた走っている。彼らがXRデバイスを発表することは、そのまま“世界最大の企業がXR領域に本格参入する”ことを意味する。

テックジャイアントといえど、XRのハードウェア、そしてプラットフォームに関しては苦戦が続いてきた。例えばGoogleはスマホからVR分野に参入し、その後VR専用OS「Daydream」で攻勢をかけたが、結果としてそれは白昼夢に終わった。現在はスマートフォン向けのARに集中している。


(2014年に発表されたGoogleのダンボール製VRゴーグル「Google Cardboard」。VR初体験はこれだった、という方も多いのではないだろうか)

マイクロソフトは7年以上かけてMRデバイス「HoloLens」を開発し第2世代を展開、VRについても「Windows MR」というVRヘッドセットの規格を打ち出した。彼らはWindows PCとVR/ARのOSレベルでの統合を図ったが、最終的にWindows MRは縮小、HoloLensは産業向けデバイスとしての道を歩んでいる。


(マイクロソフトの「HoloLens 2」。現実の物体や風景とバーチャルな情報を重ねることで、データの可視化や業務の効率化などを図る)

唯一、Meta(旧Facebook)は2014年のOculus買収以来、半ばパワープレイとも言うべき勢いで、XRの全方位へ莫大な投資を続けている。ハードウェアの開発と販売、プラットフォームの構築、エコシステムの形成と開発者支援……その結果、Metaは一般消費者向けVRの市場を前進させ、2020年の「Meta Quest 2」で圧倒的な市場シェアを獲得することに成功した。


(Metaの「Meta Quest 2」。出荷台数は1,500万台以上と推定されており、VRヘッドセットとしては異例のヒット製品となった)

Appleの参入は、XR市場においてMetaを凌駕しうる巨人の登場を意味する。加えて、AppleがXR関連の研究開発に多くの歳月と費用をかけていることは明確であるがゆえに、早期の撤退は考えにくい。ある程度以上の期間にわたって、市場に大きな影響を及ぼすだろう。

XR関連では、2021年頃後半からの“メタバース”のビジネストレンドが大きな荒波となっていた。海外(特に英語圏)ではすっかりトレンドが落ち着いてきたが、中国や韓国では、新たな産業向けインフラとして、企業のみならず、国や自治体を挙げた取り組みが継続されている。さらに日本国内では、引き続き企業や自治体の関心も高く、ユースケースの創出は続いている。そこに、Appleのデバイスによる波がやってくる。その影響は決して小さくないはずだ。

大きな期待に、Appleはどう応えるか?

もう一点、特筆すべきことがある。Appleへの期待は非常に大きいということだ。筆者がMogura VRを立ち上げて以来、色々な場に数えきれないくらい立ってきたが、最も尋ねられてきた問いの一つは「Appleはいつデバイスを出すのか?」なことは間違いない。

MacによってPCの一時代を切り拓き、そしてモバイルの時代では圧倒的な勝者となったApple。iPhoneを世に送り出し、アプリストアの巨大なエコシステムを形成した。その成功の要因は、ただハードウェアを開発して発売しているだけではなく、UXを洗練させ、エコシステムを構築してきたからだ。彼らはPCとモバイルで並外れたことをやってのけた。その功績が、「Appleなら、きっとうまくやってくれる」という期待感につながっている。

XRのハードウェアは茨の道だ。2016年に「PlayStation VR」や「Oculus Rift」「HTC VIVE」といったVRヘッドセットが一般向けに発売されたが、2023年の今、ようやく数千万台レベルでの普及が始まった段階だ。ARグラスに関してはさらにその後を追っている。課題は山積しており、世界トップクラスの企業でさえ、ゆっくりと、ひとつひとつ解決する道を歩んでいる。

AppleがXRのデバイスを世に送り出すということは、「他の企業ができなかったことをやってのけるに違いない」「他社のXRデバイスが直面してきた課題を超えてくるに違いない」という期待に向き合うことを意味する。彼らがそれに応えられるのかどうかは未知数だ。

歓迎ムードのXR業界

さて、Appleの参入を業界はどのように受け止めるのだろうか。少なくとも筆者の知る限りでは歓迎ムードだ。

発表会に先んじて、5月31日から6月2日に米国・サンタクララで開催されたXR業界イベントAWE2023には、XRの旗頭のもと300社以上が出展、5,000人以上が集った。初日の基調講演、個別企業の講演、そして出展社との会話の中でも、Appleの話題が必ずと言っていいほど出てきた。「いよいよAppleがこの業界に入ってくる」というワクワクした感覚がそこにあった。


(AWE2023、基調講演前の高揚感漂う会場)

XR業界では、プラットフォーム同士も競合しながら切磋琢磨している。XRの普及という壁に何年、いや何十年も苦労してきた業界からすると、Appleの参入が大きな追い風となることは間違いない。だからこそ皆「Appleがどんなことをやってのけるのだろうか」とワクワクしているのだ。


(これまでのXR市場の拡大をグラフにしたもの)

VR/ARヘッドセットを見る目は変わるのか

かつて、2016年にVRのブームがあった。「PlayStation VR」をはじめとするVRヘッドセットが一般発売されることで、VRが一気に普及するのではないかという期待のもと、多くの企業が我先にとVRの活用に乗り出した。一方で「物好きが使うもの」「一部のコアユーザー向け」といった見方も根強く残っている。

Appleの業界参入は、XRヘッドセットに対する世間からの視線が変わる節目となる可能性を秘めている。「Appleほどの企業が、XR市場に参入するに足る価値があると考えている」というメッセージとなり、多くの人々や企業が、XRに注目するようになるだろう。VR/ARヘッドセットは、ともすれば「変なもの」扱いされることもあったが、急に広く肯定されるようなこともあるかもしれない。再び注目を集めるXR市場に向け、企業が鼻息荒く検討を始める……という筋書きも十分ありえそうだ。

2021年から続くメタバースのトレンドにも影響を及ぼすかもしれない。メタバースへの急激に高まった関心は、具体的な実装が進むにつれて、ネガティブな見方も少しずつ増えてきた。いわゆる幻滅期である。XRヘッドセットは、メタバースにアクセスするための最も没入感の高い方法であり、Appleはここに新しい風を吹き込む可能性もある。

トレンドに「乗る」段階ではない、「作る」段階だ

ここまで、AppleのXRデバイスがもたらすであろうプラスの影響について話してきた。仮に大きな波がこの業界に押し寄せるとして、どんなことに気をつけなければいけないのだろうか。

特に気になるのは「期待」の部分だ。期待は時に過剰になる。期待がさらなる期待を呼ぶことで、実態に即さないほどに膨れ上がる。仮にAppleがXRデバイスを発売したからといって、急速な普及が約束されているわけではない。先ほど例に出したVRは、2017年に「過剰な期待」が崩れ去った。一段階上の広がりを得るには、2020年の「Meta Quest 2」を待たねばならなかったし、「軽くて高解像度で使いやすく、パッと買える値段で、コンテンツが山ほどある、夢のVRヘッドセット」はまだ先の話だ。目先の勢いに惑わされるべきではないだろう。


(Metaが開発した技術テスト・概念実証用プロトタイプの一部。XR業界のトップを走っているMetaも、長年の試行錯誤を繰り返してここまで来た)

「時間軸」にも注意が必要だ。XRのハードウェアは「性能が高く使い勝手のいいハードウェアが発売され、いきなり売れるようになる」ことはない。ハードウェアに加え、開発者が集まり、エコシステムが形成され、魅力的なコンテンツやサービスが登場して、ようやく前に進み始める。

何らかの空間を舞台とし、我々の身体がインタフェースとなるXRでは、コンテンツは多チャンネルかつ双方向的な「体験」であり、その制作手法は長きに渡って世界中で試行錯誤されてきた。それは一般消費者向けのゲームやSNSでも、法人や企業向けのトレーニングや研修でも等しく同じだ。特に、Appleのデバイスへの搭載が噂されている「パススルーAR」を使った分野は事例も少なく、一朝一夕で最適なユースケースが出てくる可能性は低いだろう。これからも着実な積み重ねが必要とされるはずだ。「たった一日では、世界は変わらない」ということには留意したい。

“メタバース”のトレンドで顕著だったのは、その本質的な価値ではなく、流行りに乗るかのように「とりあえず」「メタバースを何らか使うことを目的に」で取り組んでしまう例だ。筆者は、まだXR領域は「トレンドに乗っかる」のではなく「自分たちがトレンドを作る」段階だと考えている。一日で世界は変わらないかもしれない。しかし、いつかのための一歩を生み出して世界を変えるのはAppleではなく、私たちなのだ。

 

●関連イベント「XRの最新動向を語る「AWE&WWDC報告会」(主催:Mogura NEXT)
世界最大のXR業界カンファレンス「AWE USA 2023」と、Appleの年次開発者会議「WWDC 2023」の報告会をウェビナーで実施します。
6月12日(月)の19:00から、参加費は1,500円です。参加申込はこちらのリンク(Peatix)から。
(登壇者:西田宗千佳(ITジャーナリスト)、久保田瞬(Mogura VR編集長))


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