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話題 2021.07.23

『竜とそばかすの姫』はVR社会をどう描いたか? 細田守のインターネット観を考える

「現実はひどくてネットは良い、ネットはひどくて現実は良いという二元論的なことになりがちですが、どちらにも良い悪いの両面がある」
「『デジモン~』から『サマー~』と、ずっとネットを肯定的に描いてきた世界で唯一の監督だと自分で思っています(笑)」(パンレットより)

細田守が現在公開中の作品竜とそばかすの姫のパンフレット内で語った言葉だ。

『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』ではインターネット内での子どもたちの戦いを描いた。『サマーウォーズ』では今でいうSNSにあたる仮想都市「OZ(オズ)」をビジュアル化し、多くの視聴者に夢を与えた。


(C)2021 スタジオ地図

この「ネットを肯定的に描いてきた」発言が出た時、Twitterでは細田守ファンが「本当にそうか?」とざわついた。というのも「OZ」に比べて、『竜とそばかすの姫』の舞台になるVR空間「U(ユー)」は、ネット上で悪口を言う様子が露骨に描かれていて、ヒロイン視点だとちょっと居心地が悪いからだ。

果たしてこの作品は、ひいては細田守はネットに肯定的なのかを『サマーウォーズ』から大幅進化した、作中のVR活用描写を元に追ってみたい。

致命的なネタバレはないが、まっさらな気持ちで映画を見たい人は、そこそこ内容に触れるので注意してほしい。

バーチャルシンガー

『竜とそばかすの姫』で重要な役割を果たしている存在が「Virtual Singer(バーチャルシンガー)」だ。これは作中でも単語として明示されている。

仮想空間「U」の中で歌を披露するシンガーのことで、作中ではヒロインの内藤鈴(ないとう・すず)「As(アズ・アバターのこと)」をまとった姿「Belle(ベル)」でこの役割を果たしている。

millennium parade – U – YouTube

バーチャルシンガーは彼女の他にも登場している。ペギースーというバーチャルシンガーはVR空間内メディアにも取り上げられる、ベルに並ぶこの世界での有名人。

「U」の中には独自のエンタテイメント媒体が構築されており、有名な存在はVR空間から現実に発信され話題になっているようだ。ただしベルやペギースーも、リアルでの姿は誰にも知られず、全く有名ではない。あくまでも人気があるのは「As」の姿のバーチャルシンガーだ。

一旦映画の内容から離れ、現在のネット文化について触れておくと、既にバーチャルシンガーとして活躍している存在は多数いる。花譜、YuNi、富士葵、樋口楓、MaiR、KMNZ、GEMS COMPANYなど音楽活動し、テレビにも露出しているバーチャルな存在は続出中だ。


(現在活躍中のバーチャル・シンガーたち)

番組のオープニングを「バーチャル」の名を冠さずに一人の歌手として歌うなど、既にリアルシンガーとの境界線はほぼない。そして世界中の視聴者は、バーチャルシンガーのアバターの姿しか知らない。

この映画のバーチャルシンガー像は、かなり現実のネット上で活動しているものと似通っている。

「U」でのバーチャルな音楽演出

『竜とそばかすの姫』はバーチャル空間での音楽ライブをダイナミックに描くことに成功している。

ベルが「U」の皆の前で歌うシーン、細田守が好む題材である空を飛ぶクジラに乗り、広大なVR空間を音と共に凱旋していく様子は一大スペクタクル。一般参加者から見るとまるで女神のように神々しい姿だ。また無数のスピーカーがついたクジラも登場しており、音響の立体性をうまく表現している。最近では、KDDI提供の「音のVR」や、銀座ソニーパークで開催された 「AUDIO GAME CENTER +」など、「音で仮想表現をする」という試みが増えているが、まさにそれをビジュアル表現したものだろう。

このバーチャルシンガーの魅力の表現だけでも、この映画は成功したと言えるほどの力の入ったクオリティなので、音響のいい劇場で見る価値は十分ある。そして現実でバーチャルシンガーとして活躍している方々なら、このライブのような光景を一度はやってみたいと感じるかもしれない。なんせ、頑張ればそこそこ可能なところまで現代の技術は既に来ているからだ。


「輝夜月Live@ZeppVR 」(2018)

映画の中に描かれているように、巨大な空を飛ぶクジラを頭上はるか上に飛ばせることも、そこをステージにしてしまうことも、既にVRプラットホームであるVRChatやCluster内でできる演出だ。映画内の空を飛ぶ形式のライブは、かつて輝夜月がVRライブで、エビフライに乗って視聴者の上から語りかけていたのを思い出させる。

耳につけるVRデバイス

VRデバイスといえば頭にかぶるヘッドマウントディスプレイや、スマートフォンを装着するタイプのVRゴーグルなどが一般的だ。この映画では両耳につけるという、かなり変わった描写がされていた。

耳に「U」専用デバイスをはめると、視覚がハックされて「U」のVRワールドにダイブできるらしい。神経に直接干渉しているようだ。映画の中の描写を見ると、パソコンの画面など現実世界を見ながら、並行してVR世界にダイブすることが可能らしい。「U」世界にいながらPCをカチャカチャ操作する、スーパーハッカーのような鈴の友達・別役弘香(ヒロちゃん)の姿は印象的。

このデバイスは、残念ながらまだ現代では再現できない。今年の5月には脳波でPCを操作できるデバイス「NextMind」が発表されていたりと、感覚への機械の干渉の研究はされているようだが、脳へのリンクはそう簡単にはできない。

ただ「耳につける」というビジュアルはSF的な発想としてはとてもよくできている。というのも現実側の視覚が物理的に邪魔されないことで、物語をVR空間での活動と並行して動かせるからだ。また今回はバーチャルシンガーの歌が重要な鍵になっているので、聴覚に重点を置いているのも演出として理解しやすい。

『サマーウォーズ』では「OZ」にたくさんの人間がダイブしていた。しかしあれは端末上に見えている映像をイメージで空間化した映画としての表現で、実際に入り込めているわけではない。今作もあわせ、細田守作品では「仮想世界」に入っている人物が、現実世界でどういう姿勢をしているのかが、おそらく意図的に客観表現されていないので、個々のイメージで補うのが一番楽しいところだ。

広大な「U」のワールド

「U」の世界の利用者は50億人というとんでもない数字(「フォートナイト」は登録プレイヤー数3億以上、「Roblox」は月間アクティブユーザー数が1.5億人)。
常時利用している人がそんなにいないとしても、まず同時接続していたら「U」のサーバーが持たない。実際はなんらかのワールドがあるらしいが、感覚としては「インターネットをわかりやすくビジュアル化したもの」くらいの表現なのかもしれない。

「ようこそ<U>の世界へ <U>はもうひとつの現実。<As>はもうひとりのあなた。現実はやり直せない。しかし<U>ならやり直せる。さあ、もうひとりのあなたを生きよう。さあ、新しい人生を始めよう。さあ、世界を変えよう。」

「U」のうたい文句は「もうひとつの人生」。鈴がベルとしてバーチャルシンガーになり、田舎の女の子が一躍有名人になった、というのがその象徴だ。

ただものすごい情報量の作品のため、この「U」という場所で何ができるのかまでは、はっきりとは出てこない。「U」内独自の番組もあるし、大規模ライブも開催されたし、企業スポンサーも登場している。多分職業等もこの中で存在し、経済も「U」内で成立しているんだろう。もし、リアルとネットをまたがるかたちで、参加者によるモノの制作や保有、売買などがリアルタイムで可能だとすれば、メタバース的な世界を構築しているのかもしれない(メタバースの詳細は下記記事を参照)。

ただ映画内だけでは遊びに行く場所程度しか見られなかったので、「U」で働く人の話などを是非スピンオフなどで見てみたい。

気になるのは登場する企業が、「U」内で経営されているものか、現実社会で経営されているものか、という部分。現在、世界最大規模で行われているアバター展示即売会「Virtual Market(バーチャルマーケット)」ではセブンイレブンやパナソニックなどがスポンサーとしてついており、現実企業がVRChat内に宣伝を出している。これに類するものが「U」にもあったら面白いが、「<U>はもうひとつの現実」とまでいうのなら「U」内で働いてお金を稼ぐ会社があってもいいはずだ。『サマーウォーズ』では現実の資格などにリンクして「OZ」内でも職業があったが、「U」にはその描写はない。

「VR世界での職業・経済」は現在、VRを考える人たちの間で仕組みが模索されている真っ最中だ。VirtualMarketを企画・運営しているVR法人HIKKY CVOのフィオは「独自の経済圏を作って、バーチャル空間を軸に生活する」ために試行し続けている(参考・https://qjweb.jp/feature/36930/)。

不自由なアバター

「U」でのアバター「As」は、現代社会で言われるVR空間のアバターとはちょっと異なっている。VR空間で現実と違う姿で動ける、という点は全く同じだが、選択やカスタマイズができない。本人の生体情報を機械が読み取って、自動生成するという形式らしい。

ここはかなり曖昧に描かれているので詳細はわからないが、一応「OK」「キャンセル」はできるので完全強制ではないらしい。ただ「好きな姿になれる」のが現実のアバターの面白さなので、これはなかなか厳しいシステム。望んでないスタイルになってしまう可能性は高い。現実でSNSのアイコンを勝手に決められてしまったら、かなり不自由に感じるのと同じだ。

現在では「AVATARIUM(アバタリウム)」と呼ばれるシステムで体験者の全身を撮影しそのまま3Dモデル化するシステムもあり、リアルに再現されたアバターで、バーチャルな町を歩くこともできるようになっている。このような「現実の自身」をVR上に再現したい人には、自分のオンリーワンな内面が反映される「U」のシステムは、あっているのかもしれない。渋谷区公認プラットホーム「バーチャル渋谷」を利用する層にはマッチしているようだが、理想の姿を選んで動かすVRChatでは自身の好んだアバターを使うことのほうが多い。使い方の目的と感覚に差が見られる。

作中に登場する「As」は比較的かわいらしい・かっこいいものが多いのでそこまで気を使う必要はないのかもしれない。ただクリーチャーのような姿の存在も、わずかに見受けられた。自身が望んだのか、そうされてしまったのか。

もし「U」レベルのVR世界ができたとしても、ここだけは自由を与えてほしい。「なりたい自分になる」のがVRの一番楽しい部分なのだから、奪われたくない。ネットの感想でも賛否両論生まれているこの設定だが、一応生体認証なので一人1アカウントは徹底されている、というのは書き添えておきたい。

VR空間でリアルを明かすこと

ぎょっとするのは、「U」経由で見つけた人のリアルの姿もどんどん出てくるところだ。VR世界やVTuber慣れしている人なら「アバターの中にいる人」の顔を見ようとするのは基本マナー違反だし、自ら出そうとする人は日本では少数派だろう。ところが割とこの世界ではひょいひょいと姿を見せる人がいる。

ネットをやっている人の中には個人情報は一切漏らさず、現実と切り分けている人は多数いる。またTikTokやインスタやTwitterで、自撮り写真を気軽に載せる人もいる。海外の場合、普段は自身の姿を映しているストリーマーが、たまに着る衣装のようにアバターを使って 配信する場合も見られる。

どちらが正しい・間違いではなく、その人のインターネットに向き合う価値基準の違いだ。「As」は「U」用の衣装、と考える人なら姿を見せるのはそんなに難しくはない。リアルとVRの距離感の差が、この映画の中でも出ているのだろう。

ただし悪として認識されてしまう「竜」に対しては辛辣だ。叩いていい存在だとわかった途端多くの人が「こいつの正体は誰だ!」と中の人を暴きたがる。権限を持つ存在は「As」を強制的に外す(アンベイル)こともできるようで、世界中にリアルの顔を晒されることになる。犯罪者の顔写真と個人情報をメディアに載せるのと感覚は近い。このあたりの「悪だから叩いていい、暴いていい」というノリをどう見るかが、この映画の受け止め方に大きく影響してくる。

罵詈雑言と価値観の差

歌姫ベルは「U」でもリアルでも大人気になるバーチャルシンガーだが、(鈴の感覚では)半分は否定的というのが興味深い。『サマーウォーズ』では戦う夏希先輩を世界中が応援したのに、ベルは応援半分、アンチ半分。

「U」の世界は「心地よい場所」とは言い切れない。吹き出しで世界各国から有象無象の言葉が飛んでくるシーンがいくつか出てくる。その中には辛辣な言葉がめちゃくちゃ多い。鈴・ベルのことを知らずに、竜のことをわからずに、とりあえず文句言っとけというノリは極めてインターネット的だ。加えてちょっといいことがあると、みんなが一斉に手のひらを返すのもこれまたインターネット的。

視聴者の感想では、Twitterやネット記事のコメント欄などを見ているようだ、という意見が散見された。これは公式サイトのストーリー紹介で「美しくも残酷な仮想世界」と表現されていることからも、意図的な人間表現なのがわかる。

「サマーウォーズ」 劇場用予告 – YouTube

ここも『サマーウォーズ』の逆転になっているのが面白い。知識欲を持つAIのラブマシーンをみんなで倒すのが爽快なこちらの作品。視点をひっくり返すと、ラブマシーンはただ本能を持って作られて動いていただけなのに世界中から悪者にされちゃった、という孤独でかわいそうな存在だ。

今回は追われる竜側に視点が寄っているため、袋叩きにしてくる世界の恐ろしさが描かれることになった。AIのキャラクターが正義の名の下踏み荒らされるシーンもあるので、『サマーウォーズ』との対比はかなり意識されていそうだ。

ただヒロちゃんが作中で言っているように、悪意に対して残り半分は善意や好意なのは忘れてはいけないポイント。二元論的ではない、というのはしばしば強調される。

そして善意や好意もまた、無数の人間の声だとノイズたりうる、というのが細田守のインターネット観だ。『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』では戦う子どもたちを応援するためあらゆるところから優しいメッセージが届くのだが、それによってサーバーが重くなってラグが起きて戦えなくなるシーンがある。『竜とそばかすの姫』では好意がどう描かれているか確認してみてほしい。

細田守はインターネットを肯定するのか?

ベルの歌唱シーン、「U」の広大さなどを見ると、VRに対して細田守は非常にプラスな理想を描いているのがわかる。では「インターネット」に対してはどうなのか。

インターネットの厳しい声が大きすぎて『サマーウォーズ』よりはるかに目立つので、なにもかも後味がいい作品とは言いづらい。ただ優しさと攻撃性両方をひっくるめているからこそ、人間の本性がそのまま出て集まるカオスなインターネットは面白い、というのが細田守のスタンスに思える。

ベルのような優しい存在もいれば、無責任に悪口を言う人々もいる。でもそれは、各々の正義感や、ネットへの向き合い方のスタンスにズレがあるだけだ。もしインターネットの善意だけを描く映画だったら、それは現実のインターネットに対して批判的だ、ということになる。

細田守作品では老若男女どの世代でもインターネットに入っており、世界が総アバター化するビジョンを描き続けている。SNSでアイコンを使う延長線上だと考えれば、そんなに難しいことではない。ただリアルを出す人、出さない人、現実社会と繋がる人、切り分ける人、価値観はバラバラだ。これを一つの場所にまとめた時VRで許容するためには、まだまだ新しい理解が必要になる。混沌の状態を肯定することができるか否かが、世界中の人がVRで第二の自分と歩む際の課題になるはずだ。

VTuberの剣持刀也がインターネットを題材にしたゲームをプレイした際、冗談混じりながらも自身のネット観を語っていたことがあったので参照しておきたい。

(1:26:00から)

「手つかずな世界がめちゃめちゃ好きなんですよ」「清濁併せのむんですよ。自分に納得行かないことがあったら不満を書くというのもね、それだって本来いいんですよ」「本来何も制御できない場所ですからね。」

ネットの清を求めて暮らす自由、奔放に濁を楽しむ自由、あえてネットに入らない自由。『竜とそばかすの姫』ではすべてが否定されないので、是非個々のキャラクターのネット使用方法をチェックしてみてほしい。

執筆:たまごまご


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