Home » “散らかった机が片付くメガネ”から“そうめんを焼きそばの味にする技術”まで 人の「しあわせ」に貢献するXR研究の最前線【XR Kaigi Hub in 大阪レポート】


セミナー 2025.10.06

“散らかった机が片付くメガネ”から“そうめんを焼きそばの味にする技術”まで 人の「しあわせ」に貢献するXR研究の最前線【XR Kaigi Hub in 大阪レポート】

9月11日・12日、国内最大級のXRカンファレンス「XR Kaigi」の姉妹イベントである「XR Kaigi Hub in 大阪」が開催された。本稿では、同イベントで行われた奈良先端科学技術大学院大学 教授 清川清氏によるセッション「しあわせになるXR」の模様をレポートする。

XR技術を単なる映像表現のツールとしてではなく、人々の生活を豊かにし、ウェルビーイングを向上させるために活用する、ユニークで示唆に富んだ数々の研究事例が紹介された。

話者紹介:清川 清(きよかわ きよし)氏

奈良先端科学技術大学院大学 先端科学技術研究科 教授 。2017年に同研究室を立ち上げ、現在では50名以上の学生と共に、XRやAIを駆使して「人類を幸せにする未来の道具」を作ることを目指し、日々研究活動に取り組んでいる 。

XRで「生き方の選択肢を増やす」

本セッションは「『幸せになるXR』というふんわりしたタイトル」 という清川氏の率直な言葉から始まった。多くの講演が具体的な技術やビジネス活用をテーマとする中で、本セッションはXR技術が人々の幸福にどう貢献できるかという、より根源的な問いを探求するものであった。清川氏はサイバネティクス・リアリティ工学研究室での活動について、以下のように語る。

「XR技術を用いたコンテンツ制作とか、映像効果を上げるという発展だけではなくて、XR技術を使うことで、日常生活がちょっと豊かになったり、仕事が少しはかどったり。身の回りのものをプラスにするのに技術が使えないかといった活動をしています」

その活動は、学生の突拍子もないような発想から生まれることも多いという 。その一例として紹介されたのが、「自分で自分をくすぐる」研究である 。通常、人は自分の動きを脳が予測するため、自身をくすぐっても「くすぐったい」とは感じない 。そこで、VRヘッドセットを装着し、自分ではない他人のアバターが自分をくすぐっているかのように見せることで、脳をだます。すると、自分一人の行為であるにもかかわらず、くすぐったさを感じることができるというのだ。この「完全に学生の発想」 から生まれた研究は、孤独感を和らげたり、落ち込んだ気分を紛らわせたりする新たなエンターテインメントの可能性を示唆している。

このような研究の根底にあるのが「サイバネティクス・リアリティ」という概念である。これは、人と機械が一体となり、個々人にとって望ましい現実感を導き出してくれるシステムや、それによって生成される現実感そのものを指す 。清川氏は、この概念を用いて、一人ひとりに合わせて最適化された現実を創り出す世界の実現を目指しているのだ。清川氏は、時代の変化とXRの役割について次のように語る。

「平成は『人と違っていてもいい』という考え方が広がった時代かとおもいます。令和においてはXRを活用し、人間の能力を拡張できるのではないかという見方が示されています。生まれ持った体や能力も、ITやロボットなどの技術によって新たに作り替えることで、可能性を広げられるという考えです。要は諦めなくてもいい、人生に多様な選択肢を持てるようにすることですね」

XRは、人々が生まれ持った制約から解放され、より多くの「生き方の選択肢」 を手にするための技術である。本講演では、このビジョンを具現化するための「パーソナライズド・リアリティ」 の研究事例が、「便利・快適」「健康」「なりたい自分」という3つのテーマに沿って紹介された。

人をVRにより没入させる装置「どこかで見たドア」とは?

最初のテーマは、XRを用いて日常を「便利・快適」 にするための研究である。清川氏自身が「私のために開発したシステム」 と語るのが、散らかった机が片付いたように見える技術だ 。片付けが苦手な人にとって、雑然とした机は集中力の妨げになる。このシステムは、ARグラスをかけると、作業に関係のない物体が半透明で表示され、必要なものだけがはっきりと見えるようになる 。これにより、「邪魔なものが見えなくて、もうやるものだけが残っている」 という状態を作り出し、実際にLEGOブロックの組み立てタスクにおいて、作業完了時間が有意に短縮されることが実験で示されている 。

また、無機質な家電製品に愛着をわかせる「家電がペットに見える」研究もユニークだ 。冷蔵庫がキャラクターとしてAR表示され、庫内の食品の消費期限が近づくと「お腹が痛い」といったしぐさで知らせてくれる 。これにより、ユーザーは面倒なメンテナンスや食品管理を、ペットの世話をするような感覚で楽しく行えるようになるという 。

このセクションで特に詳しく紹介されたのが、VRへの没入感を飛躍的に高める「どこかで見たドア」 の研究である。VR体験は通常、ヘッドセットを装着した途端に全く別の空間へと移行するが、この唐突な場面転換は「心理的に信じきれないという違和感がある」 と清川氏は指摘する。そこで研究チームは、現実空間に物理的な木製のドアを設置し、そのドアを開けて通り抜けることでVR空間へ入る、という体験を設計した。

「眼鏡をかけた瞬間は何の変哲もない周りの景色がそのまま見えている。そこから自分の操作で、じわじわと現実からVRに入る。しかも自分の手で扉を開けて、匂いを感じて、キイィといった音を聞きながら入っていくと、VRの世界を信じやすくなることが分かってきて。それが心理的に顕著なんです」

NTTドコモとの共同研究 で行われた実験では、この「ドア」を体験したユーザーは、単に空間に穴が空いているだけの「ポータル」や、画面が暗転する「フェード」でVRに移行した場合と比較して、より高いリアリティを感じることが示された。

さらに興味深いのは、ドアをくぐったユーザーは、バーチャル空間内を自発的により長い距離歩き回り、探索する傾向が見られたことだ。これは、物理的な行為を伴う移行体験が、バーチャルな世界に対する能動的な関与、すなわち「その世界をより実感したくなる、体験したくなるという効果があるのではないか」 という可能性を示している。

そうめんが焼きそばの味に? 脳を騙す食体験

次に、健康、すなわちウェルビーイングの領域におけるXR研究が紹介された。医療分野では、深刻な課題を解決する研究が進められている。例えば「斜視」は、左右の目がそれぞれ違う方向を向いてしまう症状だが、ビデオシースルー型のARグラスを用い、片方の目に映る映像の角度をソフトウェアで補正することで、両目で立体的に物が見えるようになるという。

また、アルツハイマー病の一因とされる脳内の老廃物「アミロイドβ」が、特定の周波数(40Hz)の光刺激によって減少する可能性があるという研究に基づき、日常生活で不快感なく(ちらつきを感じることなく)その光刺激を受けられる特殊なLEDデバイスの開発も行われている。

そして、このセクションで特に注目を集めたのが、食体験を変容させる研究だ。これは東京大学の中野萌士氏、電気通信大学の柳井啓司氏らとの共同研究で 、AR技術によって「食べたい物を食べた気になる」 ことを目指すものである。

このシステムでは、ヘッドセットのカメラで捉えた現実の食べ物の上に、別の食べ物の映像をリアルタイムで重畳表示する 。例えば、目の前にあるのは低カロリーな「そうめん」だが、ARグラス越しにはこってりとした「焼きそば」に見える、といった具合だ。

「味覚は感覚の総合的な作用があって、記憶と見たものに合わせ、感じている味、風味が変わってしまうということが言われています。実際に真面目な実験をしてみると、そうめんをソース焼きそばに見た目を変えることで、ほとんどそうめんでは感じずに、ソース焼きそばだと感じる人が増えるということは証明されています」

この「脳をダマして」 食事の満足感を得る技術は、カロリー制限が必要な人々のダイエットを「無理せず」 支援するツールになるかもしれない。視覚情報がいかに味覚に大きな影響を与えるかを示す興味深い事例である。

VRでマッチョに変身すると本当に力が強くなる

最後のテーマは、XRによって「なりたい自分になる」 ための研究、すなわち自己変革や能力拡張に関するものである。例えば、ARグラスに複数のカメラを仕込み、ユーザーが遠くを見ようと「目を細める」しぐさを認識すると、自動的に視界がズームアップするシステムが開発されている。

清川氏は「5分10分ぐらい使った後グラスを外すと、すごく残念な気分になります。さっきまで使えた機能がなくなるという感じですね」 と語り、人間が新たな能力にいかに素早く適応するか(可塑性)を指摘する。

また、自己認識に働きかける研究も行われている。「うそつき鏡」 と名付けられたシステムは、デジタルミラーに映る自分の姿を、意図的に少し猫背にしたり、笑顔を減らしたりして表示する。するとユーザーは、その「良くない姿」を直そうと無意識に姿勢を正したり、笑顔を増やしたりする。その結果、対面している相手からの印象が向上するという、ユニークなコミュニケーション支援ツールである。

バーチャル空間でのアバター変身がユーザーの行動に影響を与える「プロテウス効果」も、重要な研究テーマだ。VR内で筋肉質なアバターに変身すると、現実の身体能力まで向上し、重いものを持ち上げられるようになるという研究も存在する。清川氏の研究室ではさらに一歩進め、VRに入った直後は自身の体型に近いアバターだが、力を入れる動作(拳を握るなど)に応じて徐々にマッチョな姿へと変身していくプロセスを体験させる。この「変身の過程を経る」 ことで、アバターとの一体感、すなわち「自分が本当にマッチョになったんだという気分がさらに高まる」 という。

そして、こうした自己変革の技術は、メンタルヘルスの分野にも応用され始めている。それが、メタバース空間で行う「ドラマセラピー」 である。ドラマセラピーは、演劇である役を演じることを通じて、固定化された自己の視点から離れ、新たな気づきを得る心理療法だ。これをメタバースで行うことには、多くの利点がある。

「同じことをリアルでやろうと思うと、どうしても自分のアイデンティティを明かさなかったりと、ハードルが高い。オンラインであれば、分が誰かということを明かさずにいられますし、いろんな姿に変わることによって、効果絶大です」

XRは「現実を着替える」技術である

講演の最後、清川氏はこれまで紹介した研究事例を振り返りつつ、このように語る。

「VR、AR、XRは現実を着替える技術とすることによって、柔軟な発想で生き方の選択肢を増やす。そういった技術を開発していきたいと考えています。全ての人々が能力を最大限に発揮でき輝ける社会にしていきたいです」

散らかった机を片付け、そうめんをラーメンに変え、内気な自分を大胆なクマに変身させる……。一見すると奇抜なこれらの研究はすべて、XR技術を用いて一人ひとりの「しあわせ」を最大化し、「誰もが能力を発揮し輝ける社会」 を実現するというビジョンへと繋がっているのである。

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