XR領域のスタートアップ企業が集合するピッチイベント「XR Future Pitch 2024」。その登壇式でのプレゼンで会場から熱い視線を集め、オーディエンス賞を受賞したのは、株式会社Rootでした。
その場で発表されたのは、AR技術を活用して農作業を効率化するアプリ「Agri-AR」、VR/MRヘッドセット「Meta Quest 3」を屋外の畑で装着し、収穫物をハンドトラッキングで計測する「サイズ計測」や、仮想の畝をデバイスのスクリーン上にAR表示し、株数などを自動計算する「畝・苗シミュレーション」など、今までのXR活用とは一線を画す、シンプルかつ”現場第一主義”のアプリ開発です。
このXR開発における着眼点の面白さと可能性を、もっと深掘りしたい。そう感じたMogura編集部は同社を訪問し、代表取締役の岸圭介氏を取材しました。
アプリで体験した農作業がそのまま現実と繋がる
Rootを経営する岸さんは実際に農作業をしながら、委託なしのアプリ開発を自ら行っています。我々を出迎えてくれた際には、XR関連取材ではまず目にしない農作業向きの長靴を履いた作業着姿で登場。取材冒頭から「現場の人」を感じさせます。
まず紹介されたのは、MRアプリ利用・開発プラットフォーム「M・Root」。ユーザーは月額制のサブスクリプションに登録することで、独自のアプリプラットフォームを利用できます。また同社ではアプリ開発も受託しています。
早速、編集部メンバーはM・Rootアプリの一つ『トマト収穫箱詰め・食べ放題!』を体験しました。
Meta Quest3を装着すると、現実の世界に重なったトマト畑が広がります。コントローラーは使わないハンドトラッキング仕様のアプリなので、指先でトマトをつまんで左手で持った箱に詰めると、収穫は完了。非常にシンプルながら、誰に言われずとも淡々と箱詰めを完了してしまうゲーム性が魅力です。MR/VRを切り替え可能で、VRモードではのどかな農園風景を楽しめます。
「このアプリが単なるゲームと違う点は、その先に現実があること。ゲーム内で箱詰めしたトマトは、現実の農家から商品として配送されます。また新規事業創出の実証実験として、アプリを介護施設でも提供しています。高齢者の方が椅子に座りながら、ちょっと汗をかくぐらいの運動ができるんですよ。介護施設からすると運動機能のいい向上も見込めて、楽しいし安全。職員の人も一緒に楽しめるということで好評です。“農業と介護とMR”はベストミックスです」(岸氏)
(熊本県による新規事業創出プロジェクト「UX Project」の実証実験としてアプリを介護施設で実施する様子。検討を経て、2025年4月から熊本県限定のサービスとして立ち上げる予定)
他にもシャインマスカットの収穫体験や真鯛の漁獲体験、ジャガイモの種芋の植え付けから収穫まで体験できるアプリもあります。これらは農園や自治体から依頼を受け開発されたそう。
「受託いただいた農家さんと一緒に、物産展の販促でアプリの体験ブースを設けると行列ができるんです。価値のある現実がすでに商品やコンテンツとして存在するので、MR技術を使う相乗効果を感じます」(岸氏)
今後は、鳥獣対策のドローン教習MRアプリ開発にも取り組む予定だといいます。
「鳥獣対策のハンタードローンは騒音が発生するため、実機での訓練が非常に困難です。世の中には、教習動画を見たらぶっつけ本番という講習はたくさん存在します。例えば林業の倒木・玉掛け作業などもそう。動画の一歩先としてMRは使い勝手のいいツールです」(岸氏)
スキャンの精度を高めるのではなく、現状でちょうどよく使える領域を探す
岸さんの話を聞いていると、いい意味での「コンテンツ完成度への執着のなさ」に気づきます。例えば、『トマト収穫箱詰め・食べ放題!』ではトラクターを動かせる要素がありますが、このトラクターのアセットは、Nianticの無料3Dスキャンサービス「Scaniverse(スキャニバース)」で岸さん自身がスマホで短時間で撮影し、加工せずそのままアプリに取り込んだもの。漁獲体験アプリの鯛も、購入したアセットでした。
次に紹介された林業支援作業ツールも、すぐに現場で使える点を意識した開発機能です。
「林業作業では山中で基準となる杭を打ち、水平面積を測ります。その面積が予算申請基準になったり、部材を調達するシミュレーションに使われます。今まではそれなりの額の機器を使って計測していましたが、それでも作業員が二人必要など課題がありました。スマホ一つで一人で作業できる簡易ツールによりこの課題を解決するために開発しました」(岸氏)
このツールは2025年1月に、RootのAR農作業補助アプリサービス「Agri-AR」の拡張機能として、公開されました。
Agri-ARは農作業の効率化を目指したアプリサービスで、AR技術を活用し安価で誰でもどこでも使えることをコンセプトに開発されました。「サイズ計測」や「畝・苗シミュレーション」のほか、「平行直線・外周計算」「面積計測」「距離計測」「(平坦度の)レベル計測」「体積計測」「AI果樹熟度判定」「空間マッピング」など、全12種類の機能が提供されています。
M・Rootと同様に有料プランに申し込むとこれらの機能が利用可能となり、全機能利用プランで税込9,900円(2ヵ月)と、導入しやすい価格設定です。推奨デバイスはLiDAR搭載のiPhone Pro/iPad及びMeta Quest 3で、同社ではMeta Quest 3を月額4千円で利用できるレンタルサービスも提供しています。
iPadを使った距離や水平計測を実際に見せてもらうと、画面に表示される現実空間にAR上の点という直感的に作業しやすいアプリでした。高精細なAR機能ではなく、メジャーのような使い勝手のいい機能といった印象を受けました。
Meta Quest 3を装着し、両手を使った計測も体験。親指と人差し指といった指先同士での計測も、アプリ内で切り替えて使用できます。
「(スキャンの)精度を高めていくのではなく、この精度でちょうどいい分野や現場を見つけていく。私が現場作業をしていて、かつ、職人的なプライドがないことが功を奏しているのかもしれません」(岸氏)
Rootは海外農園に向けAgri-AR英語版を年間60USドルで提供しています。すでにフィリピンの小規模農園でも利用されており、ベトナムやインドネシアでも普及を進めています。
「特に東南アジア圏は日本に比べたらまだまだ整備されていない農地が多く、そもそも現状の計測精度も高くない。手元のハードウェアで利用できるなら、逆にこれくらいの精度がちょうどいいようです」(岸氏)
外部サービスとの連携も進めています。栽培管理システム「xarvio® FIELD MANAGER」は衛生画像データからその農地に適した散布農薬マップを作成する農業DXツールです。岸さんはこのマップを農地に重ねてAR表示することで、一目で散布マップを確認できるようにしました。
「衛星とARの掛け合わせも、非常に面白いですね。xarvio FIELD MANAGERは欧米の大規模農園向けに作られたサービスで、このマップデータをトラクターに取り込み、農薬散布を自動化・最適化する目的で開発されています。しかし日本は自動化トラクターの導入が難しい小規模農地が大多数です。だからこそ、マップを人が読み取る必要性があった。日本ならではの機能ですね」(岸氏)
農業から建築、あらゆる現場で求められるAR
Agri-ARの技術は農業以外の分野にも応用可能です。作業補助アプリサービス「Work-AR」は、Agri-ARとほぼ同様の機能を作業支援にピボットして提供しています。特に、建築分野への導入には大きな手応えを感じているといいます。
「大規模な建設現場や設計事務所とともに、より現場に近い小規模な作業者からも良い反応をいただいています。3Dオブジェクトと2D図面を組み合わせて屋外でAR表示したり、Scaniverseで取り込んだ3DオブジェクトをARで配置して位置やサイズを検討したり、『こういう機能がほしい。ああいう機能もほしい』といった現場の声に応えていたら、結果的に機能が充実しました。外国人労働者の方も増えているので、ランゲージフリーで現場の状況や図面・手順を共有できるような機能も喜ばれます。ファイル形式が違うデータを『違いますね』 で終わせるのではなく、どう組み合わせて表示するのかが知恵の出しどころです」(岸氏)
(Scaniverseで撮影したトラックをAR空間上に置いて、配置場所を検討)
作業上でよく見る「看板」もMR技術で置換可能です。農業林業建設など現場作業では物理的な看板が様々な業務の起点になりますが、管理コストも現場の負担になります。
そこで岸さんは、看板をバーチャル空間上に設置し、位置情報とリンクさせる機能を開発。看板の情報はクラウドに保存されカレンダーに紐づくので、作業者同士の引き継ぎや日報代わりにも使えます。
また、看板への情報記載のUIはシンプルでありながら、パネル追従の切り替えや作業中の誤入力を防ぐロック機能など、細やかな配慮も目立ちます。これらの機能は、すべて自身の体感や現場の声を開発に活かした結果とのこと。
(iPad、スマートフォン、Meta Quest 3、PC、どのデバイスからも位置情報と紐づけられた看板の内容を確認できる)
岸さんによると、体積測定機能は土砂崩れの予想を行う自治体の防災担当者に、水平測定機能は工務店の現場作業者に、看板マッビング機能は遺跡発掘現場の担当者に、と様々な分野から関心が寄せられているといいます。
特定の分野に特化したツールではなく、XRをあらゆる作業現場で手軽に誰もが使える道具にする。この発想が私たちがピッチで感じたRootの面白さや可能性の核にあると感じました。
異色の経歴から開発者に
岸さんが本格的にRootにおける機能開発、事業化に本腰を入れ始めたのは2022年ごろ。約2年でここまでの多機能実装を達成した秘訣は、小回りの効く1人体制にあるといいます。
「社員は私1人だけなので、事務作業も開発も撮影も自らやります。例えばデモ動画を撮るにしても、農地管理者との許諾のやりとりなど手間も時間もかかるので、いつでも使える畑を作ってしまいました。機能開発も、指示を出して、農地で確認してという時間があれば私が作った方が早い。むしろ1人でやらなければ、2年間でここまでスピードを出せませんでした。安価なサービスを提供できますし、皆さんが思っているよりも1人体制はポジティブな面が多いです」(岸氏)
岸さんの経歴は、一風変わっています。小田原市で生まれ育ち地元の高校から国立大学に進学。大学在学中に休学し、北海道の農場での1年間の住み込み就農を経験します。
「大学でやりたいことがなくて行き詰まった感じがあり、遠くに行って1人で働こうと考えました。当時は酪農の住み込みバイトの募集が多かったので、せっかくだから北海道で働いてみようと。そこで農業に出会うんですが、その生活が本当に楽しかったんです。朝4時に起きて、牛舎の掃除をして昼に少し休んで、夕方には搾乳とまた掃除をやるだけの毎日ですが、衝撃的に楽しかった。それが農業への思いの原点です」(岸氏)
大学卒業後は大きいビジネスを経験したいと製鉄所に入社し、生産管理に5年間従事しました。その後、茨城県の農業生産法人で2年間勤務し、英国でMBA取得を経て2017年に株式会社Rootを設立。開発やプログラミングは、2014年頃から独学で勉強してきました。
「最初はWebサイト構築から始まり、2年間ほどでARを試してみたいなと思ってUnityをノーコードで触り始めました。起業後に1年間だけ外部のエンジニアに入ってもらい、横で見ているうちに自分でもできそうだということで本格的に開発に取り組みました」(岸氏)
目的ドリブンで、今すぐ使える技術をフル活用
取材の最後には、屋外でRTKを活用したデモも行いました。
RTKとは「リアルタイムキネマティック(Real Time Kinematic)」の略称で、相対測位と呼ばれる測定方法の一つです。一方、測位システムとしてよく知られているGPSは単独測位にあたります。
RTKは、4つ以上の衛星から信号を受信しつつ、固定された受信機と移動する受信機の間で情報をやりとりしてズレを補正するため、単独測位よりも精度の高い位置情報を得ることができます。発生する誤差は数センチメートル以内。岸さんは、このRTKを活かしたソフトバンク提供の高精度測位サービス「ichimill」を自社アプリに掛け合わせて活用しています。
(ソフトバンク公式ブログより引用)
Agri-ARやWork-ARの空間マッピング機能ではRTK方式で画像の読み込みが可能です。その上で、基準となる2点をマップで設定するとAR空間で画像が表示される仕組みとなっています。
また専用受信機を持ち歩いて、面積を測定することも可能です。RTKは衛星情報を扱うので、屋外での使用の方が精度があがります。現場作業向きの技術といえるでしょう。
「マッピングする位置ポイントをつないだ図形はもちろん、正確な四角や三角でなくてもいい。仮にエラーが起こっても、どの位置ポイントで不具合が発生しているのかすぐき確認できるのも利点です」(岸氏)
(受信機をスマートフォンに固定するのは文房具のクリップ。この組み合わせ方も岸さんらしい)
「RTKとARを組み合わせると、データ容量を多く使わないのに、精度が高いサービスが提供できます。MRやARで3Dモデルを再現しようとすると、非常に大変です。でも別に3Dモデルじゃなくていいんじゃないか、ビルの名前のテキストだけでもいいんじゃないか。条件は整ってるから、あとはやりたいことに合わせて効率よく組み合わせればいいと思うんです」(岸氏)
今後、組み合わせたい機能には「音声操作」があるそう。
「先日、岩手で作業したら本当に寒くて寒くて。厚い手袋をしたまま作業を続けたいなと思ったんです。だから次は音声操作を実装したいですね」(岸氏)
小回りの効く1人体制を維持しながらどこまでも現場主義、目的ドリブンの開発を貫く岸さん。実際の現場で感じた不便さをすぐに解決する姿勢から、XR業界が学べることは多いのでは。そう感じた取材でした。