8月22日、国内最大級のXRカンファレンス「XR Kaigi」の姉妹イベントとして「XR Kaigi Hub in 札幌」が開催された。
この記事では株式会社Rootの代表取締役・岸圭介氏による「実用的なXRアプリの可能性 〜農業から、防災・遺跡調査まで〜」の模様をレポート。農業歴10年以上という異色の経歴を持つフルスタックエンジニアである岸氏。現場を知り尽くした開発者が見据える、XRのリアルな価値と未来とは?
登壇者紹介:岸圭介(株式会社Root 代表取締役)
神奈川県南足柄市を拠点に、自身も10年以上にわたり農業現場に立つ。和牛、酪農、稲作から体験農園まで幅広く経験。その傍ら、フルスタックエンジニアとしてAR/MRアプリ開発などを手掛ける。英オックスフォード大学MBAという経歴も持つ、現場と開発、経営の視点を併せ持った実践者である。
「年間1万円で2万円の効果」を目指す
「自動運転トラクターは1000万、ドローンは300万円」。岸氏の講演は、現代のスマート農業が抱える課題の指摘から始まった。大規模な農地であれば投資価値のあるこれらの技術も、日本の多くを占める小〜中規模の農家にとっては高嶺の花である。
岸氏自身も小規模な農業を営む中で、同じ課題に直面していた。「ドローンもやるほどではないし、トラクターも買うほどではない」。そこから生まれたのが、「安価で、誰でも、どんな圃場でも使えるツールでスマート農業をやりたい」という発想だった。
そのコンセプトは極めて明快だ。「年間1万円を払って2万円の効果を得るツール」。家庭菜園でも使いたくなるような、費用対効果の高い農業効率化をARで実現することを目指し、農作業補助アプリ「Agri-AR」は生まれた。スマートフォン、スマートグラスの双方に対応し、2024年4月からサービスを提供。農林水産省の開発案件にも採択されている。
農作業を効率化する「Agri-AR」とは?
「Agri-AR」は、農業現場の「ちょっとした不便」を解決する機能が複数搭載されている。例えば、「平行直線ガイド」機能では、スマートグラスやスマートフォンのカメラを通して見る現実の圃(ほじょう)の上に、正確な平行直線をAR表示できる。これにより、一人でも簡単かつ正確に作業の基準線が引けるようになるのだ。
通常、畑に苗を植える際は、まっすぐな線を引くために、2人で畑の両端に立ち、紐を張って目印をつける「紐引き(水引き)」という作業がある。単純だが手間のかかるこの作業を、岸氏は「ARでやってしまった方がいいのではないか」と考えたのである。
さらに、デジタルならではの拡張性も持つ。単純な直線だけでなく、畝(うね)や苗のシミュレーションも可能だ。苗の数やビニールマルチの量はこれまでExcelなどで計算しても合わないことが多かったが、この機能により、現場の空間で正確にシミュレーションできる。これは、小規模な圃場であっても大きな効率化とコスト削減に繋がる。
また、農作業では、作物のサイズや畝の長さ、畑の面積など、様々なものを計測する機会が多い。しかし、岸氏は「単純に測ることと、メモして保存することはとても面倒」と指摘する。特に、土や汗で汚れた手でスマートフォンを操作するのは現実的ではない。
「Agri-AR」は、距離、面積、体積、サイズなどを手軽に計測できる機能を備えている。スマートグラス版では、自身の指先を定規のように使って対象物のサイズを測り、手のジェスチャーだけでデータを保存できる。これにより、何百個という単位の計測・記録作業も、完全ハンズフリーでストレスなく行える。この技術は研究機関など、大量のデータ収集が必要な現場で特に重宝されているという。
ARを活用した農業の課題解決はこれだけではない。例えば、農業現場では、物理的な看板は邪魔になりがちだ。また、畑を耕してしまうと、以前そこに何を植えていたかの情報が失われてしまうという問題もある。
そこで役立つのが、AR空間上にテキストや画像を配置できる「空間マッピング(AR看板作成)」機能だ。位置情報と紐づけて情報を保存・再現できるため、物理的な看板を立てる必要がなくなる。「(畑が)グチャグチャになっても再現できる」ため、いつ、どこに、何を植えたのかという栽培履歴を正確に管理することが可能になる。岸氏は「看板を作らなくてもいいというのは本当にいろんなところで使える機能」とその汎用性を語った。

さらに、「Agri-AR」は、外部サービスとの連携によってさらなる価値を生み出す。その一例が、衛星画像から圃場の地力などを分析するサービス「xarvio® Field Manager」との連携だ。
従来、PCやスマートフォンの画面上で確認するしかなかった施肥量のマップを、「Agri-AR」に取り込むことで、現実の圃場の上に重ねて表示できる。これにより「現実空間の上でここが境界線であることがしっかり分かるようになる」ため、肥料の配分も把握できる。誤差数センチの高精度な位置情報(GNSS-RTK)を利用すれば、その精度はさらに向上し、トラクターを運転しながらリアルタイムで肥料の量を調整するといった、高度な作業も可能になる。
農業から多分野へ広がるXR
農業向けに開発された「Agri-AR」だが、その汎用性の高さから、林業、水産業、建設業など、多分野へと活用の幅を広げている。例えば林業には、指定されたエリア内の樹木の本数や直径、高さを測定する「標準地調査」という作業がある。「Agri-AR」は、この調査を効率化する機能を実装。LiDARスキャンで木の直径を瞬時に計測したり、AR技術で樹高を測定したりと、これまで手間のかかっていた作業を大幅に省力化する。
また、岸氏が「XRの本当に面白いと思うところ」と語るのが、水産業への応用だ。養殖などで海上に目印をつけたいとき、海には物理的な線を引くことが不可能である。しかし、高精度な位置情報(GNSS-RTK)とARを組み合わせれば、海の上に正確な位置で仮想の線や看板を設置することが可能になるのだ。さらに、デジタルデータであるため、物理的には不可能な巨大なオブジェクトを設置することもできる。
「30mでなく1km、100kmにしても全然良いわけです」と岸氏は語る。また、山の向こう側など、障害物で見えない場所にあるサインもARなら可視化できる。「物体の向こうも見える、土の中も見える」といった点は、デジタルならではの大きな利点であり、XRが現場で役立つ新たな可能性を示している。
現場に行けないからこのAR・MR
「Agri-AR」から派生した技術は、作業補助だけでなく、体験や教育といった分野でも新たな価値を生み出している。
岸氏は、自身が栽培した作物を3Dスキャンし、リアルな収穫体験ができるMR(複合現実)アプリも開発している。熊本県の介護施設でミニトマトの収穫体験を実証したところ、参加した高齢者から「見ているだけで楽しい」と、大変な好評を得たという。
介護施設側にとっても「本当に安全で楽なレクリエーション」であるというメリットがある。指先が動かして脳に刺激を与えることが重要だというリハビリテーションの観点からも、有効である可能性も示されたそうだ。
他にも、北海道の自動車学校と共同で、MRドローン教習アプリを開発。ドローンの操縦練習には場所の確保や安全性の問題がつきまとう。特に農薬散布の練習は、現実にはほぼ不可能だ。この教習アプリでは、ゲームコントローラーではなく、実際の操縦で使う送信機で練習できるため、極めて実践的な教習が可能になる。
岸氏は、「現場に行ってやれるならやった方がいいわけです。それに勝るものはありません」と断言する。その上で「現場に行けないからこのAR、MRでやる」「本物ができないから意味がある」と語る。介護施設の高齢者、練習場所のないドローン操縦者、一度しかできない剪定作業を学ぶ農業研修生など、現場では体験できない状況にいる人たちに向けたサービスだからこそ価値が生まれるのだ。
「現場を共有する」メタバースにこそ価値がある
岸氏は、XRが拓く未来の現場について、遺跡調査とメタバースの可能性を例に挙げて語った。例えば、全国で年間7,000件行われるという遺跡調査は、専門の研究員の数が圧倒的に不足しており、調査の遅れがその後の工事の遅延に繋がるという深刻な課題を抱えている。この課題に対し、現場を3Dスキャンしてデータ化し、遠隔地にいる研究員がその3D空間内で調査や作業指示を行えるようにする取り組みが進んでおり、研究員が現場に赴くまでの時間を大幅に短縮できる可能性があるという。
さらに岸氏は、この3Dスキャンされた遺跡調査の現場に、複数人が同時にアクセスし、会議をしながら調査を進めるという未来像を示す。コミュニケーションやエンターテインメント目的のものとは違った「現場を共有する」という明確な目的を持った、産業分野におけるメタバース活用と言えるだろう。この仕組みは、ドローンの遠隔教習など、他の分野にも応用が可能だ。
農業現場のリアルな課題解決から始まった岸氏の挑戦は、今や防災、教育、文化財保護といった多様な領域へと広がり、XR技術の実用的な価値を証明している。
「XR Kaigi Hub」の熱気は、次なる都市へ
2025年9月2日、福岡・天神にあるレソラホールにて「XR Kaigi Hub in 福岡」が開催されます。大丸松坂屋百貨店といったXR業界をリードする企業による最新技術の体験ブースや、地元企業HMS、業界のキーパーソンによるセッションが予定されています。福岡のXR・AI・メタバースに関心のある皆様、この貴重な機会をお見逃しなく。参加は無料ですので、ぜひご来場ください。
●XR Kaigi Hub in 福岡
開催日程:2025年9月2日(火)
会場:レソラホール
〒810-0001 福岡県福岡市中央区天神2丁目5-55
https://hubinfukuoka.peatix.com/view●XR Kaigi Hub in 大阪
開催日程:2025年9月11日(木) / 12日(金)
会場:eスタジアム なんば本店
https://hubinosaka.peatix.com/view







