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VTuber 2024.10.18

バーチャルアーティスト達が新たに獲得し得る表現とは KAMITSUBAKI STUDIOのバーチャル舞台劇「御伽噺」

花譜・理芽をはじめとしたバーチャルアーティストを多く擁するクリエイティブレーベルKAMITSUBAKI STUDIOが、2024年10月4日かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホールにてバーチャル舞台劇「御伽噺(染) ver1.11_launch Feat. KAMITSUBAKI PHILHARMONIC ORCHESTRA」を上演した。

主要キャストにはV.W.Pの花譜、理芽、春猿火、ヰ世界情緒、幸祜が据えられている他、VALISのメンバーNEFFY、RARA、VITTEもキャストとして起用されている。また主人公役は声優の梶裕貴が務め、V.W.PとVALIS以外の配役にも非バーチャルの声優が起用されている。

まず今回の「御伽噺(染) ver1.11_launch Feat. KAMITSUBAKI PHILHARMONIC ORCHESTRA」がどういった形で公演を行ったかについて説明しておきたいと思う。

会場は前述の通り、かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール。本来はオーケストラ演奏を主目的にしたホールであり、客席の1~3列目にあたる部分をオーケストラピットとして使用することができる。そのため本公演では、KAMITSUBAKI STUDIOのオーケストラプロジェクト「KAMITSUBAKI PHILHARMONIC ORCHESTRA(カミフィル)」が、そのオーケストラピットで演奏を行っていた。

 

ステージには大きなスクリーンのみが設置されており、キャストの出演や舞台演出は全てそのスクリーンの映像内で完結している。モーツァルトホール自体のステージ照明の使用はなく、大道具・小道具等の設置等もなかった。

バーチャルアーティスト達は普段の本人と同じ姿のままで架空の役柄を演じ、非バーチャルの出演者には、役柄に応じた姿の3Dアバターが付与されて、両者が同じスクリーン内で演劇を行っていた。

したがって鑑賞後の体験の質感は、「劇伴がオーケストラ生演奏の映画鑑賞」と表現するのが一番近かったように思う。かと言って、演劇的な要素がまるでなかったかというとそうではなかった。映像はステージを俯瞰で見る中央定点で、アングルの切り替えはなく、舞台装置の転換等も映像上で表現されており、演劇的な映像に仕上がっていた。(ただし、後方の観客まで演者の表情を伝えるためか、スクリーン内左右上方に一台ずつ、発話中の演者のアップを抜く映像モニターが置かれる演出がなされていた)演者がステージを歩いた時の足音も、観客にまで聞こえてきており、映像のみならず、””音””でも演劇的な表現を行おうという試みを感じられた。

バーチャルな存在があらゆる舞台上でも保ち続けるアイデンティティ

今回の演劇では、「バーチャル本人が本人の姿のままで演技を行える」ということに改めて未来の可能性を感じた。様々な会社・グループ・個人がすでに各種媒体(映画やアニメ、ライブ配信、動画etc)で試み始めている分野だが、もし、このスタイルが一般化すれば、演技が得意なバーチャル存在がいたときに、声優業だけに留まらず俳優として、つまり、声だけでなくその姿や身体性にアイデンティティを持ちながら活動できる余地が広がることになる。

さらに、非バーチャルの声優陣に3Dアバターが付与されていた点も見逃せない。従来であれば「子どもの演技を完璧に行えるが、姿や背格好はあきらかに成人」という俳優・声優を子ども役として演劇に起用することは難しいことが多かったが、子どもの背格好のアバターを付与できれば、ごく自然に演劇で成人が子ども役を演じられる。

そうしたバーチャルな存在についての概念のアップデートや、それに見合うような技術革新が行われていけば、今まで見つけられなかった新たな才能を見出し、世に送り出せるようになっていくだろう。あるいは、現在すでに活躍しているVTuberやバーチャルアーティストのセカンドキャリアの創出にもなるだろう。そこにはこれまでのKAMITSUBAKI STUDIOの姿勢や実績が裏打ちされている。

普段、歌やダンスに取り組んでいるグループやプロジェクトが、所属タレントをキャストとして起用しながら定期的・不定期的な演劇公演に取り組む事例は、芸能界でもすでに多くあるが、そこで機能していることは場をバーチャルに移してもきちんと機能し得るということを今回の公演で感じた。

出演者は自分のスキルを生かしながら演劇作品に参加して芝居のスキルも新たに獲得し、それを持ち帰って本業に生かせる(場合によってはそのまま俳優業がセカンドキャリアになることも十分あり得る)。

ファン側の視点に立つと、応援しているタレント・アーティストの、普段の歌唱やトークなどからでは表出し得ない喜怒哀楽の感情表現をステージ上の演技から垣間見ることができる。そして現実の関係性とは違う(あるいは現実とある程度の連動がある)、IFの関係性の元に対話する出演者同士を鑑賞できるのも、フィクション作品ならではの醍醐味だ。

一回性の表現を成し得る存在に至るまで

実際鑑賞してみると、バーチャルの演者がそのままの姿で出演していることによって、「普段の活動での本人も気になる!」と感じるところも大きかった。特にVALISメンバーNEFFY、RARA、VITTEのビジュアルや演技がヴィランポジションとして非常に舞台映えしていて印象に残ったのと、理芽のリアリティのある感情表現が印象的だった。

ストーリーに関してはネタバレ禁止公演のため詳細は伏せるが、場面転換とそれによる場所や時系列の移動が多いこと、そして特殊な固有名詞が多いため1度の鑑賞だけで全てを理解することは難しく、真の理解のためには複数回の鑑賞が必要だと感じた。

演出に関しては、明確な正解やお手本がない中で、スクリーンによる映像表現の自由度をどこまでどのように生かして演劇のフォーマットに落とし込むか、どこまで従来の演劇の制約を踏襲するか、何よりそれらをKAMITSUBAKI PHILHARMONIC ORCHESTRAの生演奏の力を借りながら、どのように本作の「観測者」達の体験の良さに繋げていくかについて、多くの苦慮や検討を重ねながら本作が作り上げられたように感じた。

映画と違う演劇独自の特徴は、「複製芸術ではない、一回性の芸術である」というところにあり、従来の演劇であれば「役者と観客が生身で同じ場所に集い上演される、それが自動的に一回性の芸術になるのはあまりにも自明のことだ」という話で済んでいたような(もしくは「それで済まされていたような」)側面もある。しかし、演者がスクリーン越しに登壇するとなると話は変わってくる。どこにその一回性があるのか、引いては「観客が劇場に足を運んで集い、生でそれを鑑賞する価値はどこにあるのか」について極めて自覚的になる必要がある。

そしてVTuberやバーチャルアーティスト、バーチャルシンガーの歴史を考えると、それは彼ら・彼女らが「一回性の表現を成し得る存在である」という認知を得ていく歴史とも言えよう。「従来のアニメと何が違うのか?」に対しては、視聴者のコメントにも応答しつつその場で即興のトークを行う生配信によって、そして音楽ライブという場においては、リアリティを表出させるための様々な演出手法により、さらにはファンが会場に集い、演者とコール&レスポンスを行いながら、ペンライトや身体、声を使って感情の高まりを各々に表現できる場であることによって、それが「バーチャル存在のライブはMVの鑑賞やライブ風映像の鑑賞ではなく、””ライブ””そのものである」という認知を広げてきた。

それを演劇の場にも広げて行きたいというのが、KAMITSUBAKI STUDIOの試みなのかもしれない。現在徐々に形式が確立されつつあるバーチャル存在の音楽ライブの源流の一つがKAMITSUBAKI STUDIOにあるように、まだまだ模索の時期が続くバーチャル舞台劇の手法がいつか確立される時期が来るだろう。その時に、オリジンとして存在するのがKAMITSUBAKI STUDIOになっている未来も、十分にあり得ると感じられる舞台だった。

本作は「回を重ねるごとに少しずつ内容をアップデートしていく、成長型作品」と謳(うた)っており、公演後アンケートも実施し感想や改善点についての要望なども幅広く募っている。(実際、本公演も今年8月に行われた「御伽噺(染) ver0.92_prototype」での公演の経験を生かして多くの改善やアップデートが行われた上での上演となったようだ)

すでに来年1月2月に大阪・福岡での「御伽噺(染)ver1.25_Alternative Feat. KAMITSUBAKI PHILHARMONIC ORCHESTRA」の上演も告知された「御伽噺」がここからさらにどのように成長の過程を辿り、完成の日を迎えるのか、今後に期待したい。


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