「立体音響によって臨場感が拡張された菅野よう子サウンドをBGMに、河森正治監督の映像と演出をVRで味わえる、最高の没入体験をしてみたくはないか?」
この記事で伝えたいことは、この一言に尽きる。過去に鑑賞したVRの映像コンテンツの中でもトップクラスに入る体験を、まさか万博会場でできるとは思わなかった。
4月13日に開幕した、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)。今回はそのパビリオンの中から、河森正治監督がプロデュースする「いのちめぐる冒険」の目玉展示「超時空シアター『499秒 わたしの合体』」の体験レポートをお届けする。
(※前半の展開のネタバレが若干ありますが、実際の映像体験にはそこまで影響はないかと思われます。ただ、すでに予約をしていて行く予定がある人は、事前情報なしのほうが楽しめるかもしれません)
シグネチャーパビリオン「いのちめぐる冒険」とは
「万国博覧会」の名が指し示すように、世界各国の文化・技術展示をみることのできる大阪・関西万博。メディアではさまざまな国の海外パビリオンが話題になっているが、会場マップを見ると、その中に見慣れない名前のエリアがある。
それが、「シグネチャーパビリオン」だ。
万博会場の中心に位置するこのエリアにあるのは、全部で8つのパビリオン。それぞれのパビリオンを担当するのは、各界で活躍する8人のプロデューサーだ。EXPO2025のテーマである「いのち輝く未来社会のデザイン」を各々の視点で表現し、さまざまな切り口から「いのち」を考える、EXPO2025の象徴的なエリアとなっている。
そのパビリオンのうちの1つを担当するのが、『マクロス』シリーズや『アクエリオン』シリーズでおなじみのアニメーション監督・河森正治さんだ。
「いのちめぐる冒険」と題したパビリオンで待ち受けるのは、没入型のイマーシブ体験とリアリティ展示。音楽プロデューサー・菅野よう子さんとのタッグで生み出されたこのパビリオンの展示の1つが、「超時空シアター『499秒 わたしの合体』」だ。意外にメディアではあまり取り上げられていないこの展示の魅力を、本記事ではお伝えしたい。
来場者の一体感を演出する、MR体験からスタート
超時空シアター「499秒 わたしの合体」は、バーチャルと現実を行き来しながら宇宙スケールの食物連鎖を体感できる展示だ。
来場者が足を踏み入れることになるのは、円形の無機質なシアター。周囲の壁に沿うように最大30人が座れる場所があり、天井には無数の照明とスピーカーが設置されている。
シアターの音響設備には、SoVeCの立体音響ソリューション「音のXR体験」を、VRゴーグルのステレオスピーカーには、ソニーの立体音響技術を採用。大海原や大地などの壮大な空間の広がりはシアターのスピーカーで、生き物などの繊細な音はVRゴーグルのスピーカーでそれぞれ表現することで、「空間」を感じられるような立体感と臨場感を音で演出しているそうだ。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000094.000045734.html
めくるめく没入体験へと来場者を導いてくれるのは、席に用意されている「超時空デバイス」(Meta Quest 3)だ。このデバイスを装着することで、過去と未来、時間と空間を超えた、いのちめぐる冒険の旅へと繰り出せる。
早速、スタッフさんの案内に従ってデバイスを装着すると、空間の中央に水の球体が出現。この球体を大きくすることで、「超時空空間」へのゲートが開くのだそうだ。
では、どうやって水の球を大きくするのかと言えば、ここで来場者の力が必要になる。両手を前に出し、手のひらを向かい合わせるようにすると(いわゆる「ろくろ回し」のポーズ)、小さな水の球が出現。向かい合わせた両手をそのまま前に押し出すように動かすと、生成された水の球が中央の球体へと吸い込まれて大きくなる。この動作を繰り返すだけだ。
「手元で水を集めて、前方へ放つ」だけのシンプルな動作だが、この時点でちょっとしたおもしろさがあった。というのも、この段階では現実のシアターが見えているので、周囲の来場者の様子も丸わかりなのだ。
この手元で生成される水の球は、時間をかければかけるほど大きくなる。そのため、限界まで大きくしてから送る人がいる一方で、小さな球を連射するように放つ人もいる。そのような、ある種の個人差が垣間見えるのがおもしろかった。それに、全員が共同作業を行うことで、来場者のあいだで一体感も生まれていたように思う。
また、水の質感がリアルなのは言わずもがなだが、特筆すべきはやはり「音」だろう。「手元の水の球が大きくなるブクブク音」と「中央の球体に吸い込まれた時のチャポン音」のそれぞれが、ちゃんと視界に映る物体と連動した位置から聞こえてくる。体験としてはまだ導入部分であるにもかかわらず、はっきりと「距離」を感じられる音響システムの臨場感を早くも実感することができた。
「今、ここにいる」という実在感
その場にいる全員の協力によって開かれた、超時空空間へのゲート。ここからいよいよ「いのちめぐる冒険」が始まる――のだが、正直に言って、あの体験の言語化は難しい。
「とにかくヤバい体験をした」というのが、率直な感想ではある。この日体験した複数のXR系コンテンツの中でも、段違いのヤバさ。
没入感に関して言えば間違いなく一番だったし、それどころか、これまでに鑑賞したVRの映像コンテンツの中でもトップレベルの体験だったと言っても過言ではない。
ただし、序盤の時点ではまだそこまでのインパクトはなく、「よくある360度映像」として見ていた部分もある。
映像の前半で描かれるのは、一口に言えば「食物連鎖」だ。水中で生きる微生物の主観に始まり、魚に食べられたかと思えば、次はその魚の目線に。魚群の中を泳ぐ映像の美麗さに興奮していたら、今度は鳥に食べられて、鳥の目線に。「自分よりも大きな生物に食われる」という一人称視点の映像はなかなかに迫力があるし、VRに慣れていてもビクッとしてしまう演出ではある。空を飛ぶ鳥の主観も爽快だ。
(デバイス越しに見る、魚の目線で泳ぐ海中の映像は、それだけでもかなりの臨場感がある。周囲を行き交う魚群に目を奪われていると、海上から飛び込んできた水鳥が眼前に迫り――そのままガブリ! わかっていても驚かずにはいられない)
とはいえ、それだけの映像ならば、まだ「きれいな360度映像」に過ぎない。いや、後ろを振り向こうとすると暗闇になる場面もあったので、視野角としては「240度映像」くらいだろうか。自分の足でその空間を歩き回れるわけではないし、周囲の来場者の姿も見えない。音の臨場感はたしかに凄まじいが、その音の演出がなければ、「大自然のVR映像を自宅で1人で見ている」のとさほど大差はない(実際はその「音」がすごいのだが)。
意識が切り替わったのは、飛んでいた鳥が別の大きな鳥に襲われ、落下した後のシーンだ。
ここで視界がVRから現実側へと切り替わり、目の前にはシアターと来場者たちの姿が映し出される。と同時に、全員が視線を向けるシアターの中央には、倒れた鳥の死骸がある。それがやがて朽ちていき、細胞レベルまで分解されていく様子を、息を呑んで見つめていると、光の粒子となった細胞が周囲へと拡散。来場者たちの足元に達したところで、いのちを巡る壮大な旅が始まる。
作品の演出面でも、それを鑑賞した自身の感情面でも、言語化が非常に難しく、筆舌に尽くしがたかったのが、ここから始まる一連の体験だ。
(※鳥の姿はデフォルメされており、それ以外でも生々しい描写や凄惨な演出はないのでご安心ください)
生まれる。芽吹く。花咲く。朽ちる。
泳ぐ。立つ。歩く。走る。飛ぶ。死ぬ。
――そして、合体する。
来場者たちの眼前で次から次へと繰り広げられるのは、いのちの営みと食物連鎖。それが、色とりどりのパーティクル――光の粒子によって描かれ、動き、脈打ち、繋がり、解けて、また合体する。あまりにも目まぐるしく展開するものだから、正直なところ、一度見ただけでは処理しきれていない。とにかく「凄まじい映像だった」としか言いようがないのだ。
まだ360度映像を見ているような感覚が強かった前半との違いとしては、現実とバーチャルを行き来しながら映像が展開していく点が挙げられる。空間の隅々まで作り込まれた3DCGのVR映像が中心となるのだが、その合間合間に、現実世界のシアター内で同じものを見ている来場者たちの姿がシームレスに挿入される場面があった。
このようなリアルとバーチャルを行き来する表現は、場合によっては、没入感を削いでしまうリスクがある。せっかくVRの仮想世界に没入していたのに、急にリアルな室内と生身の人間の姿が視界に飛び込んでくることで、現実に引き戻されかねないからだ。解像度も情報量も異なる両者を、違和感なく共存させた状態で観客を没入させるのは難しい。
ところがこの超時空シアターでは、その両空間を行き来する表現こそが、体験における没入感を高めてくれていた。より正確に表現するなら、「“いのちめぐる冒険”という体験そのものへの没入感」だろうか。加えて、ある種の「実在感」も高めてくれていたように思う。
ここで言う「実在感」とは、「自分が今、ここにいる」そして「自分以外の人間も、一緒にここにいる」という感覚を指すものだ。この感覚によって、「自分が今、万博会場の、超時空シアターの中にいる」という事実を確認させられると同時に、没入感の高いVR体験によって、「この映像で表現されている生態系の中に、自分も組み込まれている」ということを、自ずと実感させられる。
さらに、ヘッドセット越しに周囲にいる生身の人間の存在を描写することで、自分もまた、その一員として“実在”していることを自覚させられる。そう、この体験には、自宅で1人で見るVR映像にはない、生身の人間の存在感がある。
他者の存在を認めることで、自身もその世界に存在していることが、脈々と連なる生態系の一部であることが、この世界で生きる“いのち”であることが、自分ごととしてはっきりと捉えられるようになる。
(「木の生えたシアター」と「生身の人間(周囲の来場者)」を描写した後に、シームレスに、VRで同じような光景を映し出す。すると、視界に映っている人間はVR空間に配置された3DCGのアバターに過ぎないはずなのに、直前までそこには生身の人間が座っていたため、それが「自分と同じ来場者」だと錯覚してしまう。その錯覚した状態でアバターが浮かび上がり、“いのち”の渦へと飲み込まれていくのを見ると、自分も彼らと同じように飲み込まれているように感じられる。そのような意味での「没入感」と「実在感」――と言えば、少しは伝わるだろうか)
要するに、「食物連鎖と生態系、そして“いのち”をテーマにした体験に没入させる要素として、生身の“いのち”である来場者の存在が一役買っている」というわけだ。
視覚と聴覚に特化した、圧倒的没入体験
ここまでビジュアル面の話をしてきたが、この体験の肝として、やはり「音」は外せない。普段からVRに親しんでいる人は、「大げさに書いてはいるが、個人でも買えるMeta Quest 3レベルの映像でしょう?」と怪訝に思うかもしれない。
ただ、そこにハイクオリティな「音」の演出が加わると言われたら――どうだろう。むしろVRに慣れている人ほど、「音」の重要性は身にしみて理解しているのではないだろうか。
それになんといっても、「立体音響によって臨場感が拡張された菅野よう子サウンドをBGMに、河森正治監督の映像と演出をVRで味わえる」のだ。こんな体験、そうそうできるものではない。
「たかがQuest 3」と思うかもしれないが、そのQuest 3の性能を最大限に発揮した状態で、立体音響×菅野よう子楽曲のブーストがかかっている。別にメカやキャラクターが登場するわけでもないし、2人の歌姫が織り成すメドレーが鳴り響いているわけでもないのだが、そこで筆者は想像してしまったのだ。「『マクロスF』の最終決戦をVRで体験すると、このくらい興奮&感動するのではないか」と。
菅野よう子さんが作編曲を担当し、中島愛さんが歌う「499秒」。クライマックスで主題歌が流れ、盛り上がらないわけがない。しかもそれが凄まじい映像表現と共に繰り出されるものだから、興奮のあまり涙ぐみそうになるほどだった。ヤック・デカルチャー……!
(主題歌「499秒」はPVでも使われているので、ぜひ聞いてみてほしい)
万博全体を俯瞰して見ると、このようなXR体験それ自体は決して珍しいものではない。
この日、いくつかのパビリオンをまわっていて何度もヘッドセットを見かけたし、中には身体を動かして遊べるような体験もあった。たとえば、『モンスターハンター ブリッジ』。専用のARデバイスを装着して歩き回れるだけでなく、360度シアター+イマーシブサウンド+床振動によって、全身で『モンハン』の世界観を味わえる。それはそれで刺激的な、心躍る体験だった。
そのような身体的な体験ができるコンテンツ比べると、「超時空シアター」は比較的シンプルでおとなしい展示のように映るかもしれない。体験中は座りっぱなしで、冒頭で「水の球を生成する」というアクションはあるものの、それ以降は目の前で展開する映像を鑑賞するだけ。使う身体感覚と言えば、視覚と聴覚だけだ。
にもかかわらず――繰り返しになるが――この日体験したXR系コンテンツの中で一番の没入感を感じられたのは、間違いなくこの「超時空シアター」での体験だった。むしろ視覚と聴覚に限定したからこその、この2点に特化した体験のために環境を構築したがゆえの、圧倒的な没入感。それほどに素晴らしい「音」の体験ができた点は、声を大にして伝えたい。
(「いのちめぐる冒険」で味わえる、もうひとつのイマーシブ展示「ANIMA!」(YouTube動画)。こちらはソニーの床型ハプティクスと立体音響技術を使った、全身を動かして楽しめる体験となっている)
万博会場で“焚き火”を囲み、“いのち”に思いを馳せる
(大阪・関西万博「いのちめぐる冒険」ALL CONTENTS これを見れば河森正治プロデュース パビリオンが全てわかる! – YouTubeより)
「いのちは合体・変形だ!」
シグネチャーパビリオン「いのちめぐる冒険」のコンセプトだ。ロボやメカの影が一切ないパビリオンで、最初に聞いたときはピンときていなかったのだが、超時空シアターでの体験を経た今ならわかる。
いのちは、変形と合体を繰り返しながら紡がれている。それも、無限に等しいほどの試行回数を重ねて。生態系の大きな枠で捉えてもそうだし、生物の肉体ひとつ取ってもそうだ。超時空シアターは、万博のテーマとも通じるその実感を、これ以上ないほどに得られる空間だった。万博に行く予定がある人は、ぜひとも訪れてみてほしい。
超時空シアターでのいのちをめぐる旅が終わり、軽い放心状態になりながらヘッドセットを外した瞬間に、ふと込み上げてきた既視感があった。その時はそれが何かわからなかったのだが、あとでメディア向け資料を読んでいた時に、その既視感の正体がわかった。以下、河森監督と菅野さんのスペシャルトークから一部抜粋する。
菅野 監督が、どこかの洞窟で、太古に描かれた絵を見たときのことを以前話して下さったのだけど、このシアターに来ると自分が本当に原始の人になって、雨宿りか何かで洞窟にたまたま集まった生き物のひとりのような気持ちになります。焚き火を囲んで一瞬を過ごすっていう、ただそこに、共にいる、そういう感じまでなんかこう思い出す、、、その読後感、それが本当に素敵です。
河森 1万年以上前の巨大な洞窟とか、そこに描かれている壁画とかってかなりの思いを込めていて、当時のVRですよね。VRとかXRだったりとかってした、そういう原初の魂みたいなのが表現できたらいいなと思いました。
菅野 できてると思う。1万年前に巨大洞窟にいたことないけど、できてる気がする。万博会場では、見知らぬ人、外国の方とかと隣り合うと思うんですけど、同じ空間で同じ焚き火をしたみたいな、この空間独特の懐かしい何かが生まれる感じはありますよね。
(メディア向け資料「河森正治×菅野よう子 Special Talk」より)
原始の人類が描いた洞窟壁画は当時のVRであり、円形シアターは焚き火である――。たしかにそうかもしれない。複数人で輪になって座り、その中央を見つめる構図は、まさに焚き火のそれだ。そして、火は“いのち”そのものではないが、誕生したいのちを育み、より進歩させる技術であり、数々の文化を生み出してきた、人類にとって欠かせない存在でもある。
人を人たらしめる「文化」をやがて芽吹かせることになる、焚き火。その炎を囲むような構図で、いのちめぐる冒険へと繰り出していく体験。これこそまさに、「デカルチャー」ではなかろうか。ここでしか味わえない極上のデカルチャーを、ぜひ体感しに行ってみてほしい。
©Shoji Kawamori / Vector Vision / EXPO2025
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