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VTuber 2019.05.26

VTuberには何ができるのか?その可能性をドラマ「四月一日さん家の」に見る

バーチャルYouTuberは、YouTuber以外にどんなことができるのだろう?

動画サイトでは「何をしてもVTuberになれる」からこそ、逆に「タレント」と呼びうる才能は見出されにくい側面がある。つまり(企業のプロデュースだとしても)プロとアマチュアの境目を曖昧にできることがVTuber文化のいいところでもある。

そんな中、例えば「音楽系VTuber」が注目されやすいのは、歌や音楽の才能に「アーティスト」としての分かりやすさや、メジャー市場との結びつきやすさがあるからだと言っていいかもしれない。

VTuberには何ができるのだろう?

タレントとして活動の幅を広げるためにも、これは常に問われ続けるテーマだろう。その可能性のひとつを私たちに見せてくれそうなシリーズが生まれている。テレビ東京系列「ドラマ25」の枠で2019年4月19日から始まった「四月一日さん家の」だ。

「四月一日さん家の」は、バーチャルYouTuberの「ときのそら」「猿楽町双葉」「響木アオ」が、ひとつ屋根の下で暮らす三姉妹を演じるドラマ番組である。

こどもの頃に、お母さんが亡くなり、そして去年、お父さんが死んで、私たち四月一日三姉妹だけの暮らしが始まった。

シットコムのスタイルとVTuberの共通点

ドラマのジャンルとしては「シチュエーション・コメディ」と言って、特にアメリカでは「シットコム」の通称で長く親しまれている番組形式だ。

「タナー家」の6人がひとつ屋根の下に暮らす海外ドラマフルハウスが特に有名だが、「四月一日さん家の」のプロデューサーは「やっぱり猫が好き」という日本産シットコムのドラマ(こちらも三姉妹の同居を描いている)を最初にイメージしていたそう。

アメリカン・スタイルのシットコムの特徴は、レギュラーの役が少なめで、撮影するセットが自宅のリビングなど、ほぼ固定されていること(たまに外出するシーンがある程度)。つまり、日常のシチュエーションを限定したコメディドラマであり、「ここは笑っていいところですよ」と視聴者に伝える「ガヤ笑い」が聞こえるのもお約束になっている。アメリカでは、実際に観客をスタジオに招いて笑い声を収録するか、効果音として後付けすることが多いようだ。

悲しいシーンでは嘆息の声が集まったり、カッコよく決めたシーンでは口笛や歓声が飛んだりもする。そんなガヤ笑いが、みんなでひとつのルームメイト(家族だけでなく、親しい友人や職場仲間のケースもある)を見守っているような距離の近さに繋がり、「まるで実際の知り合いみたいな身近な存在に感じられてくる」のが人気の秘訣だと言えるだろう。

そう、「実際に彼らが生活しているように感じさせる/視聴者との距離が近い」という点で、「実際に存在していると感じさせる/ファンとの距離が近い」VTuberと、シットコムのスタイルは似ているところもある。

アイドルドラマとしての挑戦

長女・一花役の「ときのそら」は、役者としては未経験でキャスティングされた時は不安もあったという。

彼女はVTuberとしてのデビューは2017年と早めで、立派なソロアーティストを目指す一環としてアイドルになるための活動もがんばっている……というのが普段のYouTubeで見られる姿だ。

2019年3月には初のソロアルバム「Dreaming!」でメジャーデビューし、目指す夢に向かって一歩ずつ前進している「まさにアイドル」である。

そして三女・三樹役として共演する「響木アオ」は「青空ラビッツ」というユニットをときのそらと組んだ経験もあり、自身も2018年8月にアイドルおよび作詞作曲家としてメジャーデビュー。同年に全国ライブツアーを実施した他、普段はバラエティ色溢れる動画を投稿しているなど、アイドル指向の強いVTuberだ。

VTuber界全体でも際立って「アイドル」しているこの二人を配役したことも、「四月一日さん家の」の企画のポイントなのだろう。

彼女たちもアイドル活動の一部として、シチュエーションセリフのチャレンジやサウンドドラマの収録など、「セリフを演じる」ことには慣れている。だが「四月一日さん家の」では、普段とは別人の役を舞台空間で動きながら演じる……しかも台本は全て暗記で覚えなければならないという初挑戦は大変だったようだ。

しかしプロの俳優を使わない、アイドルの未成熟さを活かしたドラマの面白さにも歴史がある。実写映画では大林宣彦監督の作品で70年代から試されはじめ、2010年代に入ればAKB48出演の連続ドラマ「マジすか学園」が(同じくテレビ東京の「ドラマ24」枠で)制作されて人気を博した。

おそらく「四月一日さん家の」のスタッフ側も、こうしたアイドルドラマの面白さに則ってこの二人を起用したのではないだろうか。

それに、普段は十代の少女に見える容姿の彼女たちが、ハタチ以上の社会人や大学生の設定で演じること自体、「役者としての背伸び感」と「年齢的な背伸び感」が二重に合わさっているようで面白い。

実際には、スタッフも驚くほど彼女たちは自然にお芝居できており、キャラクターの役柄ともマッチした姿を楽しめるのだ。「背伸び」ではなく「ハマり役」へと印象が変わっていく過程もこのドラマの魅力のひとつだろう。

ところで「アイドルとは何か?」を端的に示すものとして、「人間的魅力が実力を上回っている人」という言葉が知られている。

これは、仮に「プロ級の実力派」だとしても当てはまる定義なのだが、実力よりも本人の魅力が上回ってしまっている以上、アイドルは常に今以上のステージを目指し続け、ファンはそれを応援し続けるという構造も生まれる。

「ソロアーティストを目指す」過程で「目指せアイドル」というチャレンジ企画も続けるときのそらを、「まさにアイドル」と評したのはそんな理由もあるのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=mBTjQcVg-BA

だから「何をしてもVTuberになれる」という、VTuberの具体性のなさとアイドルは、そもそも親和性が高かったとも言える。「目標はバーチャルアイドル」と名乗るVTuberが他に多いのも、自然な成り行きかもしれない。

「四月一日さん家の」では、セリフの演技だけでなく「YouTuber的な、画面越しに向けたオーバーになりがちの動き」「舞台セットにおける自然な動き」「画角に合わせた立ち位置」に演技指導されるといった試行錯誤も当然あったようだ。同じ3DCG空間でも、プロとしての「芝居」が求められる。

それは冒頭で問うたような、「YouTuber以外にどんなことができるのだろう?」というマルチタレントとしての資質がまさに試されているのだと言える。

さらに「四月一日さん家の」の第3話では、「漫才の素人である姉妹が、素人の三女が書いた漫才ネタを練習する」(ネタ自体はプロの元芸人である脚本家が「素人が背伸びして作った」というテイで書き下ろしたもの)という、背伸びにまた背伸びを重ねたような構造を見ることができて面白い。

そこで重要なのは、出演しているのが未完成な役者であっても、脚本や演技指導をするスタッフがその道のプロであるならば、充分にクオリティの高い作品が見られるという発見だろう。

リアルと同じ作り方から生まれる「ドラマの雰囲気」

「四月一日さん家の」出演記念生放送で、響木アオは「でもアニメと言って薦めると見た時に、違うっ!てなっちゃう気がするから」と、番組の紹介の仕方について真剣に考えていた。

そして、ときのそらと「(アニメだから)非・日常を見ている」と思って見るより「VTuberが演技をしている『フルハウス』みたいなドラマだと説明すれば伝わるかも」ともまとめている。

VTuberが出演する作品を「ドラマ」として企画したのは、この番組による発明のひとつだろう。

この出演のために、四月一日三姉妹には専用の私服衣装モデルも新調されている。これはスタイリストの伊賀大介氏にリアルの衣装を用意してもらいながらデザインを決定したという。さらに脚本家や演出家も含めて、TVドラマと同じスタッフと制作の流れで進行するなど、その道のプロフェッショナルたちが「TVドラマとして作る」ことはこだわり抜かれているようだ。

これにはどんな意味があるのだろう?

「アニメ」として扱われてきたVTuber以前のバーチャルキャラクター

「バーチャルYouTuber」という存在は、2016年にデビューした「キズナアイ」から始まると言っても過言ではないが、それ以前からバーチャル的なキャラクターは「アニメキャラと似たもの」として扱われることが多かった。

例えばVTuberの前身となる、2014年に公開された「こちら娘島高等学校ほーそお部(こちむす)」は「ライブコミュニケーティングアニメーション」と称して「アニメキャラと会話できる」というPRが行われていた。

実験的な作品としては、同じ2014年に「みならいディーバ(※生アニメ)」の放送があり、こちらも番組名に「アニメ」を入れようとしている。

確かに3DCGの技術的には「アニメーション」と呼べるのだが、その延長で当時の人々は「アニメキャラ」と認識するのが一番手っ取り早かった(それ以外の適切なコトバがなかった)のだと思われる。

そんな状況におけるキズナアイの功績とは、「アニメーション技術」ではなく「VR技術」などの「バーチャル」、そしてアニメキャラではなく「YouTuber」をはっきり名乗ることで、それ以前にあったキャラクターのイメージを一新したことにある。

その上で、バーチャル/Virtualという語は「VR」や「仮想現実」の意味にかぎらず、原語に近い「(実在しないが)実質的な」というニュアンスが強まり、「実質的に存在していると感じる」という幅広いイメージでVTuber全体に用いられるよう進化していったのだ。

そこで一度考えてみてもらいたいのが、「アニメーション」というものが元々「動いていないものを動いているように見せる」技術であることだ。

それに対し、実写はドキュメンタリーや報道のような「記録映像」が可能だ。逆に「記録アニメーション」というのは考えてみようとしてもピン、と来ないのではないだろうか。
どうやっても「記録を元にしたアニメ」にしかなりえないはずだ。それは、実写で言う「再現映像」に当てはまるだろう。

「すでに存在する動くもの」を直に撮影するのが実写だが、アニメーションは映像の上で「動かす」ものだという原理の違いがある。

そしてVTuberは「実質的な存在」のことを指していて、そうすると3DモデルのVTuberが立つ仮想空間(舞台)も「実質的に存在する舞台」を意味するはずだ。さらにそのVTuberと空間を「撮影」して記録する仮想カメラが「実質的なカメラ」なのだとすれば、VTuberの撮影とは「実質的な実写」となるはずではないだろうか。

だから「バーチャルYouTuberドラマ」と冠する「四月一日さん家の」は、「実質的なドラマ」だと思うのが言葉の意味でとても正しい。

その一方で、ときのそらの所属する「ホロライブ」の公式では、「ホロアニメ」と呼ぶ動画のシリーズも企画されている。

https://www.youtube.com/watch?v=ZEKp1niFfcw

再生リスト

ただしこちらは、非・日常的なCG演出も多用されており、響木アオも言っていたように、そこが「ドラマ」ではなく「アニメ」と感じさせる要素になっていると言えそうだ。
現実のハリウッド大作映画でも、CG技術があまりにも発達しすぎたために「実写がどんどんアニメに近付いている」と評される傾向があるのと似た現象であるかもしれない。

付け加えれば、VTuberの実質感は自身の3Dモデル以上に「背景」との一体感こそが重要ではないかと感じている。この点で、木製のぬくもりのある暖色で統一された「四月一日さん家の」の映像の色味は、今まで見たことのないリアリティを与えることにも成功している。

「このドラマはフィクションです」

「四月一日さん家の」の第1話を見終わってまず感じたのは、VTuberたちが「フィクションを演じる」ことで、これまで以上に「本人たちが生きている」実感がもっと増したように思えることだった。

「実質的に存在するが、その姿は現実世界に実在もしていない」という相反した状態をファンが両方受け入れる……それが、VTuber界のお約束、根本的なルールなのだとも言える。

だからこそ、かえって「実在感、実際に生きている感じ」はVTuberにとって大切な生命線となるのだが、筆者は以前から、実在感を高める手段として「VTuberが何かを演じること」に注目し続けていた。

普通なら、動画やライブ配信、SNSでの発信などで長い時間をかけて人々に刷り込ませる必要があったのが「そこに本人がいる感じ」なのだが、とある錯覚を誘うことでも実在感は強調できる。

どんな錯覚かというと、まず「フィクションの役を演じる」様子を見せることは、必ず「演じている役者」を意識させることに繋がるだろう。

特に「四月一日さん家の」の番組構成では、エンディングで出演者のアフタートークが流れ、最後に「このドラマはフィクションです」という書き文字を映すことで「役」と「役者」の違いが意識しやすいようになっている。

だとすると、「役」がフィクションなのだとすれば、役者は「実際にいる本人である」という錯覚が強まると思うのだ。

バーチャルにフィクション(ウソ)を重ねると、そのフィクションを演じている本人が「本当にいる」のだという心理が働く。

「これは人によって演出された虚構なのでは?」という目で見られやすいのは現実のアイドルも似ているのだが、そこに「別の役を演じる努力」を見せられると、役の裏側には「演じた本人」が浮き上がってくるしかない。「四月一日さん家の」にも、そんな力が活きていると感じられたのだ。

また、そうした見せ方の中で、次女・二葉役の「猿楽町双葉」が新人VTuberとして、このドラマがほぼ初の登場になっているのも面白い仕掛けかもしれない。

女優としてではなく、VTuberとしての彼女は「ござる口調」の「忍者キャラ」なのだが、どこか普段の性格とマッチしているようにも思える上下の姉妹役に比べ、役柄とのギャップが激しい子だ。

多くのVTuberファンにとっては、「四月一日さん家の」を見ながら「VTuberときのそら」「VTuber響木アオ」との違いを楽しむところだが、猿楽町双葉はむしろドラマの役のイメージが先行し、VTuberとしては後から知る、という順番になりやすいはずだろう。

それは、もしVTuberをほとんど知らない人が「四月一日さん家の」を見た場合、それから「ときのそら」「響木アオ」の性格を知っていく流れを、「猿楽町双葉」を通してVTuberファンが想像しやすい、というポジションにもなっていると思う。

喪失を秘めた家族ドラマ

ときのそらの演じる長女・一花は、第1話から「スピリチュアル系の不思議ちゃん」というキャラ立ちもしているのだが、ドラマを繰り返し見ていると、第一印象よりも多面的なキャラクターのようにも感じられてくる。

シットコムとしての「四月一日さん家の」は、「他愛もない会話の掛け合い」から始まり、ちょっとした家庭内のトラブルや姉妹間のケンカでシリアスなシーンにも突入し、それもしんみりとした笑いへと回復していく……、というのが基本的な脚本構成になっていると思う。

そして彼女たちの「他愛もない笑い」の根底には「両親の喪失」という悲しみがあり、大好きな父親を一年前に亡くしたばかりの三人とも、その悲劇から回復しきっていない、という前提が各話を通して流れている。

だから第1話で、一所懸命に昆虫やカメを亡き父に見立てようとする一花は、現実的に父の一周忌を迎えようとする妹たちよりも、いちばん「父の死を受け入れられていない」可能性も見えてくるのだ。

その可能性に気付きながら見直すと、残りの姉妹たちも含めて、「両親の死をどう受け入れているのか」という、伏せられた表情をしんみりと想像させることになるだろう。

今回の記事では、「VTuberがドラマに出演する意義」について、やがてマルチタレントにもなりうるような将来性を中心に考えてきた。

もちろん、VTuberを知らない層に「こんな子たちがいるんだよ」と届ける役割も期待できるシリーズにもなっている。

だが、「四月一日さん家の」のお話は、普遍的な家族ドラマとして充分に味わうことができる。VTuberにとっては新しい活躍の舞台であると同時に、TV局やTVドラマの制作者にとっても「実写ドラマを普段は見ない層にも届けることができる」という、Win-Winのチャンスになっているのが素晴らしい展開をしていると思うのだ。

(執筆:泉信行)

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