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イベント情報 2015.11.21

現実を操れるようになる時代へ。メディアアーティスト・落合陽一氏が語った魔法の世紀とVR

11月7日(土)、東京・御茶ノ水にあるデジタルハリウッド大学にて「VRCカンファレンス2015」が行われました。Oculus RiftやPlayStation VRといったVRヘッドマウントディスプレイの製品版発売を来年上旬に控えている中、ゲーム、映像、広告などの多様な分野でVR取り組んでいるエキスパートがVRの知見を共有する場として開催されました。

VRCの理事を務めるメディアアーティストでもあり、筑波大学助教の落合陽一氏は、「映像と物質」をテーマに基調講演を行いました。。落合氏は、コンピューターとアナログなテクノロジーを組み合わせた研究・作品を生み出し「現代の魔法使い」と称されています。「World Technology Award 2015」のファイナリストにも選ばれており(全世界のITハードウェア部門の7人のうちの1人)、国内外で多数の賞を受賞しています。

落合氏は、今後のコンピューターとの関係を「どうやったらこの世界に物体的なものや、物質的なものをまるで映像のように想起させる事ができるのか」というテーマに取り組んでいます。

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基調講演では、落合氏の日頃の問題意識や取組とVRが絡めて紹介されました。今や、マルチメディアとしてのコンピューターの役割は実現しています。しかし、その後のコンピューターと人間の関係(ポストマルチメディア)にはまだ解が出ていません。そういった問題意識で今の時代を考え、「映像の世紀」だった20世紀と対比して21世紀を「魔法の世紀」と提唱する落合氏がVRをどう捉えているのか。数十年という長い目で見た時にVRをどう考えれば良いのか、落合氏は非常に示唆深い話を展開しました。

現状のヘッドマウントディスプレイが抱える本質的な問題とは

映像の初期に遡ると、エジソンが発明したキネトスコープ、そしてリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフの2つの映像装置が登場しました。

左がキネスコープ、右がシネマトグラフ。
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キネトスコープとシネマトグラフの大きな違いは、一度に1人しか見れないか、何十人も見えるかというものです。落合氏は今のVRの状況にたとえ、問題提起しました。

「まだ、工学者はこの問題を解くことが出来ていません。今のOculus のデモと似ています。私達は、体に何も装着する事なく、没入感のあるVRコンテンツを体験できていません。1人しか体験できないものをどうやって変えていくのかということが映像の歴史から考えても、今のVRの本質的な問題となっています。」

VRを誰もが簡単に体験することができるようになるための方策として、何も装着しなくても誰もが体験できるか、それともHMD自体がさらに安くなるのか、そうすることでVRが一気に普及することになります。

コンテンツ消費からコミュニケーション装置の時代へ

コンテンツはどうでしょうか。「私達はもうだいぶ成功してきました。」と落合氏。SIGGRAPH2015 Computer Animation Festival の映像を見れば分かるように、CGを使って非常にリアルなものまで簡単につくれてしまう世の中になり、だいたいどんな表現もできるようになっています。

ハードウェアに至ってはXiaomiなどが高性能なものを低価格で提供しているような時代です。

20世紀まで、私達は新しい電化製品を買う事や、車を所有する事で個人の欲求を満たしてきました。しかし、21世紀の今は、20世紀にコストダウンとコンテンツ商品が進んだ結果、個人のコンテンツが多様化し、個人別のものづくりをしなければいけないのか、解が模索されている状態です。

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そして、消費の対象はコンテンツからコミュニケーションそのものへと遷移しています。

「ちょっとネタや話題になるもの。誰かが話すきっかけになるものをどのようにつくり出していくか。それがマーケティングやビジネスの基本スタイルになってきています。(中略)ハロウィンに関していえば、ただそこに行きたいわけではなく写真を撮りたいだとか、知り合いと話をしたいから渋谷に集まっているのではないでしょうか。明確に言えるのは、コンテンツ消費の時代はなく、コミュニケーション消費の時代にまた戻ってきていることです。」

利便性が向上した現代の状況を、落合氏はコミュニケーション消費の時代だと解説しました。

ARやVRといった言葉が必要のない「魔法の世紀」

こういったハードウェア、ソフトウェアの面からマルチメディアとしてのコンピューターの役割は円熟し、新たな時代(ポストマルチメディア)に突入しています。

落合氏は、そういったポストマルチメディアとしてVRがある、という捉え方をしています。VRの父と呼ばれ世界で初めてVRヘッドマウントディスプレイを作ったアイバン・サザーランド氏は、「究極のディスプレイ」(1965)の中で、ディスプレイは最終的に2次元ではなく3次元の部屋になるという趣旨の内容を記しています。

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落合氏は、実際にこの空間を見えない力でどう操るか、日々挑戦しています。ホログラムを使用すると、3次元的に空間に表現することが可能です。また、シミュレーション通りに場をつくったり、空間に数式を記述することが可能になってきています。それは、平面的にピクセルの色を変えるのでなく、プログラミングによって実際に空間に何かを作ることが可能になってきたことを意味します。

そう考えると、これまでの「拡張現実(AR)や仮想現実(VR)といった概念があった時代」から、今や現実そのものを操る事ができるようになったことで、「全てが現実で実現するので、ARやVRといった言葉が必要ない時代」になってきました。

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落合氏は、テクノロジーの進歩により実質的に魔法が実現する「魔法の世紀」が到来すると考え、「触覚のある映像」など映像と物質、そしてマルチメディア装置の区別がつかないような技術の研究を重ねてきました。

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落合氏が制作した作品

シャンパンの中にレーザーを照射すると泡が出る性質を活かし、シャンパンの中に絵を描く装置。物質と映像の垣根を超えた作品。
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CGではなく、空中に直接映像をレンダリングする装置。特殊なレーダーを使っており、粒度が非常に細かいため、触った時の触覚まであるという。
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2枚のスクリーンに同一の光を当て、違う絵を表示させる装置。
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同一の光を照射したにも関わらず、2枚のスクリーンには異なる画像が映し出されています。

講演冒頭で流れた落合氏の紹介映像の中でこれらの作品が紹介されています。

https://www.youtube.com/watch?v=QPO1DMv9aZ4
※動画は公開期間が終了し、現在は削除されています

進化したVRは現実に飲み込まれていく?

VR・ARという言葉に囚われず、現実空間をプログラミングする落合氏。コンピューターの0と1の仕組みが誕生してから70数年。子供がタブレット型のコンピューターで遊ぶようになる未来が描かれてから40年経ちます。メディアとしてのコンピューターの使われ方が一巡した中で、今後コンピューターと人間がどう関わるかを探求する落合氏の話は次の20年、30年先を見据えた講演でした。

image101972年、アラン・ケイは子供達がタブレット型のPCを使うようになる世の中の到来を予期していた。

今はVRというと、Oculus Riftなどのゴーグル型のヘッドマウントディスプレイのことを思い浮かべる人も多いのではないかと思いますが、VR=Virtual Realityが”実質的な現実”と訳されるように、より広い概念です。現実を直接プログラミングしていくその過渡期にVRHMDが存在していると考えることもできます。

Oculus Riftを開発するOculus社のチーフ・サイエンティスト、マイケル・アブラッシュ氏は、「いずれVRもARも同じデバイスで体験できるようになる」と話しています。VRとARが融合し、そしてゆくゆくは「現実」に飲み込まれていく、落合氏の話はさらに長いスパンでこれからの時代を捉えるものでした。

さて、VRは今後、どのような進化を遂げていくのでしょうか。

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落合氏の講演は以下の動画でもアーカイブされています。詳細を確認したい人はぜひ視聴してみてください。また、VRCカンファレンス2015の全講演はこちらのチャンネルで全て見ることができます。

また、講演では紹介がありませんでしたが、落合氏の著書「魔法の世紀」が11月27日に発売されます。


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