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業界動向 2019.10.28 sponsored

藤井直敬の「現実を科学する」 第二回:環境とヒト

前回(連載第一回)は、科学とヒトの関係について簡単にまとめてみました。かなり荒削りな議論でしたが、みなさんが確実だと信じていることの中にも多くの落とし穴があり、気がつかないうちにその穴にハマっている可能性があることを覚えていてください。

それでは、前回を踏まえて、わたしたちを取り巻く環境はどのようにできあがっているのでしょうか? 別の言葉で言い直すと、わたしたちが現実だと思っている現実というのは本当に確かなのでしょうか?

現実とはなんだろう?

僕はここ10年くらいの間、現実というのは一体なんなのだろうとずっと考えてきました。目の前に見えているものは本当に存在するのか、では遠くにそびえるビルはどうなのか、目に見えているものは全て存在するのだろうか、存在するとはどういうことなのか……。いくら考えても明確な答えにたどり着きません。


(あのビルや川、建物、この街は本当に存在するのだろうか? そもそも、私は?)

太古の時代から、哲学者たちも同じような問題に頭を悩ませてきました。目の前に広がっている世界は本当に確かなのか、確かさとは何によって確実なものとなるのか、世界の真理とは何か。古代ギリシャのとある哲学者は「世界の根源は水である」と考え、別の哲学者は「世界の根源は火である」だと考えました。現代に至るまで様々な仮説が提唱され、それに対する検証が行われてきましたが、いずれの問いにも明確な答えは得られていません。数千年に渡る世界最高峰の知性が寄ってたかって考え抜いても答えが出ないのです。

そんな歴史の中に、デカルトという人がいました。彼は数学者であり、哲学者でした。彼は本当に確かなものを何とか見つけたいと考えた結果、「この現実を疑っている自分自身は疑いようがない」という結論に到達しました。それが「我考えるゆえに我あり」という有名な言葉です。デカルトは世界全てを疑うことはできても、「世界全てを疑っている自分自身が存在すること」は疑いようのないことではないか、と考えたのです。


(ルネ・デカルト。近代哲学の祖であり、「方法序説」や「省察」などを著した。「我考えるゆえに我あり(“我思う、ゆえに我あり”とも)」は有名)

みなさんも、同じように考えたことがあるかもしれません。確かなものは何かを考え続けると本当に不安になってきます。どこにも確かだと確信できるものがないからです。そんな不安に思っている自分の存在というものは、疑いようがないだろう——こうした一見自明なことのように見える現象を、哲学的な真理とし、思考の基盤を作り上げたデカルトの功績は素晴らしいものです。

これを別の言葉で言えば「この世界は全てみなさん自分自身が作っている」というふうに考えることができます。僕の世界とみなさんの世界は全く違う。見ているものも聞いているものも違うのなら、出来上がる世界は全く異なるのです。世界があるからヒトがいるのではなく、ヒトがいるから世界はあるのです。

環世界という考え方

異なる世界に生きているはずのわたしたちが、同じ世界に生きていると考えるのはなぜなのでしょうか。それに答えるには、まずユクスキュルという生物学者が提唱した「環世界」の考え方について少し説明したいと思います。


(「環世界」の概念を提唱したヤーコプ・フォン・ユクスキュル。動物行動学や哲学などに多大な影響を与えた)

環世界は、「それぞれの生物が固有の世界を構築している」という考え方です。生物はそれぞれの生物種毎に異なるセンサー・感覚器を使って、自分の周りの環境を認識します。例えばダニの仲間であるマダニは、ヒトのような視覚も聴覚も持ちません。しかし温度や哺乳類が発する「酪酸」の香りにきわめて敏感で、近くを通りかかった動物の体温と酪酸を感知し、方向を見定めてジャンプ、身体に取り付いて血を吸います。このマダニにとっては、世界は温度の変化と酪酸の濃度を中心にしてできており、わたしたち人間、ヒトの世界と全く異なります。

ダニとヒトが違うのは当たり前だろう、と思うかもしれませんが、もうすこしヒトに近い哺乳類であるコウモリを考えてみると、同じようなことが分かると思います。コウモリの聴覚がヒトと異なっていることはみなさんもご存知だと思います。コウモリは超音波を発して、その反響音で環境を認知します。レーダーのように空間を認知するのはどのような感覚なのかは想像するしかありませんが、コウモリの中にはヒトと明らかに異なった世界観が構築されていることは間違いありません。
(コウモリは私たちヒトとまったく違う世界の知覚・認知の方法を持つ。例えばコウモリは反響音で周囲の状況を把握するが、果たしてそれは「見る」ように知覚するのだろうか、あるいは「聞く」ように知覚するのだろうか?)

生物は、それぞれの種特有の能力で世界を認知して、それに基づき環境のなかで自分の生存を確実にする場所を見つけます。この生存可能な環境は「ニッチ」と呼ばれ、狭い範囲であることが大半です。しかし人間のように環境を改変する生物はニッチを簡単に拡大するので、自分が限られた環境でしか生存できないという事実を忘れてしまいがちです。

それと同時に、私たちヒトが「自分自身の生物学的な制限範囲でしか世界を認知できない」という点は、マダニと変わりません。世界はわたしたちが感じているよりも、はるかに豊かな情報で満ち溢れているのです。

他者とはなにか

そのような主観的な世界に閉じ込められている生物が、他者との関係性を持つ一番大きな要素は繁殖です。一部の単為生殖を行う生物を除いて、生殖を行うすべての生物は自分と同種の異性を見分ける能力が必要とされます。生殖には当然ライバルもいますし、生殖の結果生まれてくる子孫もいます。つまり、生殖を行うことによって、自分と関係性を持つ同種族が増えるということになります。
(大半の生物は同種の異性と生殖を行い、子孫を残す。それぞれの個体を生き残らせるため、規模は違えど集団で生活するケースが多い。人間も集団で暮らすことが大半である)

子供が無限に、あるいは大量に生まれるのなら、その生存を環境に任せて子供が生き残るチャンスを気にする必要はないかもしれません。親による保育の必要はないでしょう(魚のことを考えてみてください)。しかし個体のサイズが大きくなり、一度に生まれる人数が少なくなってくると、生まれてくる子供を大事に育てる必要があります。外敵から子供を守るには保護者の力を増やすことが合理的です。群れを作って集団で暮らすことのメリットはそこにあります。大型の哺乳類で母親と子供があつまる母系社会が多いのは、そのような理由からでしょう。

ある程度のサイズを持つ生物は社会性を獲得します。社会性とは、他者と一緒に生きる時に必要とされる行動制御の能力を言います。誰かと一緒にいるとできないことが増えますし、個体間の軋轢を避けるにはどちらかが引く必要があります。僕はそのような我慢の仕組みが、社会を作っていると考えています。

ヒトの社会と意識

それでは、ヒトはいつから社会性を持つのでしょうか? 生まれたときからでしょうか? それとも幼稚園に入るころ? もしかしたら、成人するくらいまでかかるのでしょうか?

わたしたちが自分を自分であると認識できるようになるまで、およそ1.5-2年ほどの期間が必要だと言われています。1歳半のこどもの半分くらいは鏡に映る自分を見ても、それが自分だとわからないのです。すでに大人になっているみなさんにはその感覚が分からないかもしれませんが、1歳の時のわたしたちは、“自分”というものさえ確立していません。もし、自分がなければ自分と他者を区別することも難しいはずです。
(産まれたばかりの乳児には「自分」や「他者」の概念は確立されていない、というのが定説だ)

自分と他者の区別が難しいとき、主観というものは生まれるのでしょうか——あるいは、デカルトが構築した“すべてを疑う主体としての自己”は存在するのでしょうか。僕は極めて疑わしいと思っています。

自己という主体を持てない状態での他者、というのはどのように認識されるのでしょう。それは単なる環境に溶け込んだ“何か”であって、そこに自分と同じような主体があるということは分からないのかもしれません。そのような状態で、意識というものは存在できるのでしょうか。逆に、主体を確立した後の他者というのはどうでしょうか。環境から他者という主体を切り離して、自分と等価なエージェントという理解をするのでしょうか。みなさんは他者をどのように感じているのでしょうか?

自分というものに気がついた瞬間は記憶になくても、気がつけばそこにいるのが他者なのかもしれません。自己というものに気がついた瞬間に、もしくはその後に、徐々に・自律的に動作しているように見える、環境から抜け出してくるオブジェクト。それが自分とのインタラクションやコミュニケーションの結果、自分と同じような主体性を持っていることに気がつく——おそらくそのようにして他者というものを環境の中から切り出し、個別の主体性をもった生物としてマッピングするプロセスが、わたしたちの発達過程で起きているのでしょう。

現実というものが、環世界的な意味でわたしたちの脳のもつ生得的な感覚に依存していて、さらに他者というものをわたしたちの脳が環境から切り出し、特別なものとして作り上げているとしたら。その現実世界のなかで社会を豊かにする科学やテクノロジーは、どこに向かいどのように設計する必要があるのでしょうか?

第3回に続く)


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