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VR動画 2015.08.29

時代を先取りした映画たち VR元年以前にVRを描いた映画10選

科学技術の発展はVR技術を飛躍的に向上させていますが、VFXを駆使して奇想天外な冒険や物語を描く映画の世界では、昔から様々なVRが描かれてきました。今観ると「ちょっとダサいかも……」なんてものも多いですが、その自由な発想には驚かされる事も多々あります。

今回は劇中でVRが重要な要素として登場する映画を10本ピックアップしてみました。実際のVR技術がこれらの作品で描かれたものに追いつく日も近いかもしれませんよ。

目次

『トロン』
『ウォー・ゲーム』
『イグジステンズ』
『バーチャル・ウォーズ』
『13F』
『JM』
『マトリックス』
『ニルヴァーナ』
『ダークシティ』
『トータル・リコール』

『トロン』(1982年)

ディズニーの配給により1982年に公開された映画『トロン』は、世界初の本格的CG映画として話題を集めました。

コンピュータゲームの開発者であった主人公フリンは、仲間の不正を追ううちにゲームの世界へと転送され、そこでプログラムとの死闘を繰り広げる事になります。

予告編でもちらっと映りますが、フリンがコンピュータ世界へ転送される手段は「物質転送機」。背後からレーザーのようなものが照射され、彼をブロック状に分解しゲームの中へ取り込んでいきます。

作中で描かれるゲーム世界は黒を基調としていて、公開当時はカッコよかったのだろうと思いますが、現在の視点で見ると非常に古臭く思えます。ただそこでプレイされるバイクやディスクのゲームのワクワク感は今でも十分伝わるもので、当時の子供たちが夢中になったであろう事は想像に難くありません。

2010年には続編『トロン:レガシー』が公開されています。懐かしいキャラも登場し前作ファンには感涙もの。CG技術が向上し、画面的には桁違いに美しく仕上がっています。

『ウォー・ゲーム』(1983年)

『トロン』の翌年に公開された映画『ウォー・ゲーム』には、仮想空間は登場しませんが、VRについて考える上で重要な映画です。

パソコンが得意な高校生デビッドは、意図せず北アメリカ航空宇宙防衛司令部(NORAD)のコンピュータに侵入してしまいます。それを単なるゲームだと思い込んだデビッドは、ガールフレンドのジェニファーとコンピュータ上で「世界核戦争」をスタートさせますが、それは現実に核戦争を引き起こす事に他なりませんでした。

自分の意思とは裏腹に世界の命運を握る事になった主人公たちとNORADの攻防を描くティーン向けのアクションサスペンスですが、作中である重要な台詞が登場します。事態に気付いたデビッドはNORADのコンピュータを総べるプログラム「ジョシュア」に対し、これは現実でゲームではないのだ、と語りかけ核戦争の勃発を止めるように命令します。しかしそれに対しジョシュアはこう答えるのです。「何が違うのですか」。コンピュータのプログラムには現実という観念などないのです。

VRと現実の境目とは何なのか、考えさせられますね。公開当時、映画を鑑賞した観客から、こういう事が実際に起こり得るのかという問い合わせがNORADに多く寄せられたといいます。

『イグジステンズ』(1999年)

Oculus Riftはゲームに新たな体験をもたらすデバイスとして登場しました。どうもVRはゲームと相性がいいようです。そこで「人体とゲームを直接繋ぐ」という異色のSF映画『イグジステンズ』をご紹介します。

鬼才デヴィッド・クローネンバーグが監督したこの映画には「生体ケーブル」というアイテムが登場します。このへその緒状のケーブルでゲームポッドと呼ばれるゲーム機本体と人間を接続、プレイヤーは現実そっくりなゲーム世界に入り込むのです。

このゲームポッドが何とも気味悪いもので、両生類の有精卵を原料とし、それ自体が生きています。これに接続した生体ケーブルのもう一方は、人間の背中に空けた穴「バイオポート」に差し込み脊髄に直接接続するのです。

ジュード・ロウ演じる主人公テッドはそれまでゲームとは縁遠い生活をしていましたが、ある事件をきっかけに新作ゲーム「eXistenZ(イグジステンズ)」を巡る陰謀に巻き込まれてしまいます。

骨で組み立てられ、弾丸ではなく歯を撃ち出す「グリッスル・ガン」が登場するなど随所にクローネンバーグ節が炸裂し、グロテスクでどこかエロティックなイグジステンズの世界は、悪趣味ですが何故か魅かれるものがあります。
 
日本では公開時に「背中から始めて、脳でイク」というキャッチコピーがつけられました。

『バーチャル・ウォーズ』(1992年)

あのピアース・ブロスナンがこんなキワモノっぽい映画に出ていたんだなあと妙な感慨に浸ってしまう映画です。

脳の活性化を研究するアンジェロ博士は、庭の芝刈りを手伝う知的障害者のジョーブを被験者に、仮想空間を用いて知能を向上させる実験を開始します。急成長を遂げるジョーブの知能ですが、やがてその能力は恐ろしい方向へ発展していきます。

VRを絡めた『アルジャーノンに花束を』といった感じですが、原作は何とホラー小説の帝王スティーヴン・キング。ただ原作の面影は殆どないほどストーリーは改変されていて、公開当時キングは激怒したといわれています。

内容的にはまとまりのないストーリーで、映画化ではヒット作に恵まれないキングもさすがにこれは怒っただろうなあと思わせます。ただそこに登場するゴーグル型ディスプレイやデータグローブ、リングを組み合わせて体全体の動きをトレースするモーションキャプチャーのような器具など、これらのインターフェイスは、当時の科学技術の延長線上にあるものとしてかなりリアリティのある小道具だったのではないでしょうか。

今ではちょっと苦笑してしまうようなヴァーチャル空間の描写も、当時考えられていたVRというもののイメージを表現していて興味深いと思います。何というか、「ヴァーチャル・リアリティ」という目あたらしい概念を使って何か作ってみよう、という勢いは伝わるので、もうちょっとちゃんと作っとけば先駆的な作品になったのでは、と残念な気持ちになる映画でした。ちなみにあまり売れなかったせいかDVD化はされていません。

『13F』(1999年)

タイトルは『13F』と書いて「サーティーン・フロア」と読みます。

最先端企業で仮想空間の研究をしているダグラスは、ある日、上司であるフラーが何者かに殺害されたことを知ります。自分も容疑者の1人である事を悟った彼は、独自に事件の真相を探るうちにフラーが仮想空間で自分宛の手紙をある人物に託していた事を知り、自ら仮想空間へ赴きます。

有名俳優が出ている訳でもなくタイトルも地味な本作ですが、隠れた名作として評価を得ており、クリストファー・ノーラン監督のある作品にも影響を与えた事で知られています(タイトルを書くとちょっとネタバレになってしまうので書きません)。

高層ビルの13階に設置されたVRマシンは病院のCTスキャンのような形状で、寝台上に横たわった人をレーザーでスキャンして仮想世界に転送します。冷静に考えたらこんな簡単に脳の中までスキャンできるんだろうかとは思いますが、なんとなく映像的な説得力はあります。仮想世界を体験した後は非常に体力を消耗するらしく、また現実世界と仮想世界では時間の流れ方が違うことを匂わせる描写もあります。

殺人事件の被害者が仮想世界に事件の手がかりを残していた、というアイディアが秀逸です。SFにミステリーの要素を融合させていますが、ただ、作中明らかにされるある秘密については、勘がいい人なら中盤で察しがついてしまうかも知れません。

仮想空間内には1937年のロサンゼルスが再現されており、VR技術が擬似的なタイムマシンとしても応用できる事を示唆しています。

『JM』(1995年)

1995年に公開されたSF映画『JM』はビートたけしこと北野武が出演していることでも話題になりましたが、主演は後に『マトリックス』で主人公ネオを演じる事になるキアヌ・リーブスです。この人はよほどVRに縁がある俳優のようです。

2021年、ネットワークでは送れない機密情報を、脳内に埋め込んだチップにダウンロードして運ぶ「記憶屋」が暗躍しています。ある日記憶屋のジョニーは巨大な容量のデータを依頼人から受け取りますが、それを狙う組織から追われる身となります。

原作はSF作家ウィリアム・ギブスンが1981年に発表した短編「記憶屋ジョニイ」で、彼自身が脚本を担当しています。

ネットワークが発達しすぎていて機密情報は逆に生身の人間が運ばなくてはいけないという世界観が皮肉と予見性に満ちています。予告編で「撃てるのか?」と問われたビートたけしが、「頭以外はな」と応えるのは相手の脳を破壊してしまうとデータが取り出せなくなることを意味しているのです。

敵との追跡劇の中でジョニーが、ダフトパンクのサングラスみたなディスプレイを被り電脳空間(サイバースペース)に没入するシーンは、当時はカッコよく見えたものです。首筋のジャックに端子を射し込むのもなんだかクールでした。

ただ頑張ってはいたものの電脳空間の描写は古参のSFファンには陳腐に映り、また映画自体の完成度も低く、世界最大級の映画情報データベースサイト「IMDb」では10点満点中5.5点と、あまり評価は高くありません。

世界観の映像化に技術とアイディアが追いつかなかった、いろいろ惜しい作品です。

『マトリックス』(1999年)

IT企業のプログラマーであるトーマス・アンダーソンは、ネオという名でハッカーとしての顏も持っています。何故か現実感のない日々に違和感を持っていたネオですが、ある日不可解なメールを受け取った事から人生が一変します。

言わずと知れた1999年の大ヒット作『マトリックス』は、それまで仮想空間(電脳空間)を描いてきた映画が常に抱えてきた悩みを逆転の発想で乗り越えた作品でした。

その悩みとはずばり「仮想空間(電脳空間)の描写」。これまで紹介してきた『トロン』や『バーチャル・ウォーズ』、『JM』ではCGを駆使して現実離れしたサイバーなイメージの空間を描いています。しかしCG技術の急速な進歩によりちょっと間を置くとそれらはすごくチープに見えるという弱点があり、それを回避するために『イグジステンズ』や『13F』では仮想空間は現実と見分けがつかない、という事にして普通に実写で撮影されています。
 
しかしそれでは仮想世界という異世界の描写としては物足りないのも事実。そこで『マトリックス』の監督、ウォシャウスキー兄弟(現・姉弟)は「この現実こそが仮想世界なのだ」という設定にしてしまったのです。

この逆転の発想により、登場人物らは現実世界(と我々が認識している世界)で「何でもアリ」の大活躍をする事が可能になったのです。主人公がのけぞって弾丸をよける有名なポーズは公開当時あちこちでモノマネのネタにされたものでした。

実際のところ、監督らは哲学や宗教ネタの隠喩をちりばめた上に説明を省略したわかりにくいストーリーを構築しているのですが、それでも普段SF映画を観ないような観客をも呼び込み、一大ヒットに繋げたのはまさに映像の力と言えます。

余談ですが、オープニング等で印象的に登場する「緑色で縦に流れるカタカナ混じりの文字」は、監督が日本では縦書きでプログラムを書いていると勘違いしていたからだとか。

この映画、2003年に2作の続編が続けて公開されましたが、IMDbでは評価は1作ごとに低くなっています。観客が斬新な映像に慣れてしまった事もあり、本来この映画が持っていた難解さが目立ってしまい敬遠されたのかも知れません。

『ニルヴァーナ』(1997年)

感情を持ったゲームキャラクターが登場するSF映画『ニルヴァーナ』は1997年に公開されました。特殊効果を駆使していますが、イタリア・フランス合作という事もありハリウッドの大作映画とはひと味違った雰囲気が楽しめます。

2050年、ゲームデザイナーのジミーは新作ゲーム「ニルヴァーナ」の開発中、ゲーム内のキャラクター・ソロがコンピュータウィルスに感染し自我を持った事を知ります。自分がゲーム内のキャラである事を認識し、「もう同じことを繰り返すのは嫌だ、ここから自由にしてくれ」と懇願するソロを解放するため、ジミーはゲーム会社のホストコンピュータに侵入します。

「ニルヴァーナ」とは仏教用語で「涅槃」を意味し、「永遠の平和、最高の喜び、安楽の世界」の事を指します。タイトルにこの言葉が使われている事が象徴するように、ここで描かれるゲーム内の世界はオリエンタルで独特な世界になっています。この雰囲気がカルトに人気を博し、アルマーニがデザインした衣装なども含め一部ではアート面でも評価されているようです。東洋的イメージと、目全体を覆うようなディスプレイ、額に空けたデータポートなどのガジェットが何とも不思議な世界観を形作っています。

自我を持ったキャラ・ソロが別の女性キャラに、この世界はゲームで外には現実の世界があるのだという事を説明する場面がありますが、よく理解できない女性が「現実っていう別のゲームがあるの?」と返す場面はちょっと考えさせられてしまいます。

この映画で注目すべきはソロが自由になるためにジミーに要求する事。ソロを救う事とは何なのか、ここにも宗教的価値観が表れているように思えます。

ちなみに、この映画を探すときは少しご注意を。ややこしい事に、バンドの方のニルヴァーナをテーマにした映画も何本か存在するため、ネットでこの映画を検索しようとするとそちらの情報が多数ヒットしてしまいます。

『ダークシティ』(1998年)

タイトル通り闇に包まれた不条理な街を描いた『ダークシティ』は、1998年に公開されたSFサスペンス映画です。

冒頭、主人公はあるホテルの浴室で目を覚まします。部屋には女性の死体。自分が誰なのか、ここがどこなのかまったく記憶がない彼は、状況が理解できないまま黒装束を着たスキンヘッドの集団に追われることになります。主人公の、そしてこの街の秘密とは何なのか、驚愕のラストが待ち受けます。

毎晩12時になると住人が一斉に意識を失い全ての機械が停止、さらにその間に何故か街の様相が大きく変わってしまうという設定が謎めいていて、製作者らは非常に凝った画面作りをしています。

この映画では記憶の改竄による現実感の混乱が描かれます。この人生が本当に自分の人生なのか、というテーマは翌年公開された『マトリックス』の内容と酷似しており、同作の公開時に多く指摘されました。ちなみにこの映画が公開された時点で『マトリックス』は製作に入っており、この映画を観た『マトリックス』の監督・ウォシャウスキー兄弟はその類似に慌てふためいたといいます。

私たちが認識しているこの現実は、所詮記憶というあやふやなものの積み重ねなのかも知れない、という物語はVRと現実について考える上で重要なヒントを暗示しています。

変貌する街でのバトルなど活劇シーンはあるのですが、豪華なスター俳優が出ているわけでもなく、またいかんせん派手さに欠けるため(何しろほぼ全編夜のシーンです)当時はあまりヒットしませんでしたが、少しずつ評価を高め現在では知られざる佳作として定着しています。
 
記憶の操作にはある液体を額に注射するのですが、その描写は観てるこちらまで痛くなってきます。この街を支配する者たちが記憶の整合性を取るために怖い顔しながらせっせと細工をしているシーンは何だか健気で、ちょっと微笑ましくなります。

『トータル・リコール』(1990年)

SF作家フィリップ・K・ディックの原作で1990年に公開された『トータル・リコール』は、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSFアクション映画です。太った女の人の顏が割れて中からシュワルツェネッガーが出てくる有名なシーンは、公開当時テレビCMでも使われ視聴者に大きなインパクトを与えました。

このシーンが表しているように、特殊効果を前面に押し出した娯楽大作として製作された本作ですが、「現実とは何か」という非常にヘビーなテーマを扱った作品でもあります。

シュワルツェネッガー演じる主人公クエイドは建設現場で働く平凡な男ですが、いつか火星に移住したいという願望を持っていますが、それを妻に反対されています。この時代、火星には植民地があり、多くの人々がそこに移住していたのです。

そこでクエイドは広告で見かけた「記憶を売る」という企業リコール社へ赴き、そこで火星を旅した記憶を購入する事にします。

そこから主人公の記憶を巡る冒険が始まる訳ですが、もともと原作者のディックは「現実と虚構の違いとは?」というテーマを得意としており、記憶を植付けてしまえば体験した事と同じ、という思想にそれが色濃く反映されています。遠くへ旅行することができない人のために旅行した記憶を売る、というビジネスが成立している世界なのです。実際に体験する事と、体験した記憶がある事と、その違いは何でしょうか? 『ダークシティ』でも似たようなテーマが描かれてしましたが、この発想はVRについて考える上で面白いと思います。

リコール社に設置されたマシンはリクライニングチェアに機械がくっついたような形で、人間を固定し、何らかの薬を注射して記憶の植付け処置をします。

露悪趣味で知られマニアックな人気を博すポール・ヴァーホーヴェンが監督ですが、本作ではその傾向も程々に抑え、派手なアクションシーンのつるべ打ちで一躍世界的な大ヒットとなりました。2012年にはコリン・ファレル主演でリメイクされています。


今回は1980~90年代の洋画を中心にセレクトしました。名作から凡作までありますが、映画の世界では90年代後半頃からVR熱が高まっていったようです。

ここで紹介した以外にもVRに関連する映画は数多く発表されています。中には仮想現実を扱っていると言ってしまう事自体がネタバレになる映画もあるので、そういう作品も探してみると面白いと思います。いろいろな作品を見比べてみることでVRのこれからが見えてくるかも知れませんね


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