VRとセックス 性別を超えた性体験の実現-フィクションの中のVR【第10回】

VR小説(柾 悟郎/ハヤカワ文庫JA)

世間に新たなガジェットが登場すると、世の男性陣の間でかなりの確率で話題になるのは、それがどの位「アダルト」な分野で活用できるのか、というようなテーマだったりします。東京では8月末にアダルトVRエキスポが、10月には札幌でも「アダルトVRカーニバル」が開催されます。

VRの特性を活かしたアダルトコンテンツも試行錯誤を繰り返しながら様々なものが登場してきているようです。

アダルトはVRの普及を牽引するのか―すんくぼのWeekly VR第4回

性的欲求というのは人の根源的なものですから、そこに関心が向かうのはVRというガジェットが社会に広く浸透するうえで必然なのかもしれません。

筆者が個人的に関心があるのは、VRを活用すれば性別を超えた性体験を得ることができる、という点です。上記の記事によると現在はまだまだ男性向けのコンテンツが主流のようですが、もしリアルに性別を超えた経験を得ることが可能になれば、大げさな話かも知れませんがかなり人間の認識に影響を与えるのではないか思うのです。

そんな事を考えていると、思い出す1冊のSF小説があります。

VRで“夜遊び”

VR小説『ヴィーナス・シティ』単行本版の表紙

1992年に刊行された『ヴィーナス・シティ』はSF作家・柾悟郎による長編小説で、第14回日本SF大賞を受賞しました。ストーリーは以下の通りです。

主人公・森口咲子は情報調査会社に勤務する26歳のOLです。やる気が無い訳ではないのですが、仕事には色々不満もあり、彼女は夜な夜な「ヴィーナス・シティ」と呼ばれるヴァーチャル空間へ繰り出しては夜遊びで会社の鬱憤を晴らしています。

VENUSとは「ネットワーク利用者のための仮想現実環境(Virtual Environment
for Network Users)」の略で、咲子曰く「全感覚包括型のパソコン通信」のこと。ヴァーチャル空間内で多くの人たちが好きな“自己イメージ”(アバターのようなもの)をまとい、自由に過ごしています。

ヴィーナス・シティでは老若男女どんな姿にもなれます。アクセスしている人たちの素性は明らかではありません。男が女のイメージをまとっている事もありますし、逆もまたあります。大人か子供かも定かではありません。咲子は豊満なバストと男性器を備えた中性的なイメージでシティにアクセスしています。

ある日、シティ内の行きつけの乱雑なバーで咲子はある女性と出会います。長い黒髪、白磁の肌、白銀のローブ、日本人形のような顔。場違いとも思えるその女との遭遇をきっかけに、咲子は自身のアイデンティティをも揺るがす冒険に巻き込まれていきます。

まずシティについて説明しますが、過去の連載で紹介してきた「電脳空間(サイバースペース)」や「メタヴァース」などと一番大きく違うのは、この空間がヴィーナス・コーポレーションという企業によって管理されている点です。利用者はこの会社から自分用のメモリーを購入するのです。つまり、シティに入り浸るにはそれなりのお金がかかります。

シティにアクセスするにはヴィーナス・コーポレーションの3D磁気フィールド発生装置一式を購入し、自宅の超拡張ISDN回線(時代を感じます)に接続する必要があります。この装置はベッドくらいの大きさのようで、利用者は素裸になってメッシュネットのデータスーツを全身にまといます。その上で他の刺激をなるべく受けないように部屋を暗くし、水泳のゴーグルのような両眼ディスプレイを装着して装置の上に横たわるのです。

VRを扱ったフィクションにおいて、VRへの接続方法はすごく大雑把に分類すると2つのタイプがあります。1つはヘッドマウントディスプレイやデータグローブなどのデバイスを使って「現実の動きをVRに反映させる」タイプ(『ゲームウォーズ』など)。もう1つは何らかの装置を使用して「意識をVRに没入させる」タイプ(『クリス・クロス』など)です。

本書の場合は前者を応用した後者のタイプになるでしょうか。たださすがに装置が大がかりすぎてこういった一式が一般家庭に普及するかはちょっと非現実的な気もします。ただ、堕落的で退廃的な空気の漂うヴィーナス・シティではセックスも重要な要素らしく、つまり触覚が重視されます。その点においては、確かにより深く楽しむためには、没入型の方が都合がいいように思えます。

ヴァーチャル・セックスの実現性

冒頭に紹介した記事でも現在のVRアダルトコンテンツの課題として、「自分が動けないこと」をあげています。対して、意識ごと没入してしまえば自分の好きなように動けるのですから、そのためには大がかりな装置も必要なのかもしれません。

ちなみに、シティ内で味覚を楽しむにはアクセス時にソフト・プラスティック製の棒状の器具を口に咥えなくてはなりません。女性である主人公はこの姿がとてもはしたないと感じています。裸にネット状のスーツをまとい、棒を咥えるというあられのなさに作者はエロスを重ねています。

VR小説『ヴィーナス・シティ』の連載第1回が掲載された雑誌「SFマガジン」1992年7月号

現実にはVRでのセックスを自由に楽しむ段階はまだまだ遠いようですが、少しずつ技術開発は進んでいます。最近、筆者が個人的に驚いたのは、女性向けの情報サイト「Cosmopolitan」にアダルトVRの体験記事が掲載された事でした。

初体験なこと、いろいろやってみた【Mamiの気になりニュース】

上記の記事では、女性ライターが秋葉原で6月に開催された「アダルトVRフェスタ」に参加した際のレポートが掲載されています。

とても読みやすい文章で書かれていますが、重要なポイントが2つあります。1つはライター自身は女性なのに男性向けのコンテンツを体験し、それなりに楽しめていること。また2つめはその女性ライターがVRでたくさんの人の「お相手」をさせられているキャラクターに不憫さを感じていること。これは女性ならではの視点だと思います。

この2点は『ヴィーナス・シティ』にも通じるものがあり、物語に現実が近づいてきていることを感じます。

物語が描き出すもの

さて、本書は男性/女性というジェンダーの壁が容易に乗り越えられるようになった世界をフェティッシュに描いていますが、それだけでなく管理者/使用者といった社会的地位の消滅、さらには日本人/外国人という人種間の障壁の消滅も描いています。根底にはVRを通して世界が真の意味の自由を目指すというテーマがあり、それはLGBTに関する社会運動が高まり格差社会や人種差別、難民問題に悩まされている現在こそ注目されるべきものかもしれません。

謎めいた導入から読者はミステリー的な展開を期待させられますが、正直、ミステリーとしては一本調子で、さらに読者があまり考えなくても作者はどんどん答えを提示してしまうため謎解きのハラハラ感は薄いです。

ただ自分という外見を脱ぎ捨てた匿名のVR社会で、人種や性差の壁が崩壊していく様は刊行当時、非常に斬新だったのではないでしょうか。

また作中におけるVRの外、現実世界の描写も先見的なものがあるので、そこに注目して読んでみても面白いと思います。特に「日本」という国についての考察が物語の後半で大きな比重を持ち始めるのには驚きました。

あたしは例によって今夜の主語を選んでいる。あたしはこれだから日本語という言葉が好きだ。いろいろな一人称が選べる。おれ、ぼく、わたし。どれを選ぶかで気分はずいぶんと変わってくる。今夜はどれにしよう。―『ヴィーナス・シティ』

VRでもう1つの人格を持つ事は現実の人格にも影響を与えるのでしょうか。現実の人格は肉体的特徴や社会的地位といった物理要素にどれだけ縛られているのでしょう。それらを取り去ったVRでは人間は新たな認識を獲得するのかもしれません。

本書の巻末には、VR研究者の廣瀬通孝氏が解説を寄せています。この解説は本書刊行当時のVR研究について時代感をもって記されており興味深いものです。その中で廣瀬氏はネットワーク世界のことを<電子化された一種の仮面舞踏会>と評しています。VRは人の変身願望を刺激するのですね。

本連載「フィクションの中のVR」のバックナンバーはこちら

Oculusの原点となった名作SF『スノウ・クラッシュ』-フィクションの中のVR【第4回】

サイバーパンクの世界はここから始まった『ニューロマンサー』-フィクションの中のVR【第3回】

少年と宇宙戦争とシミュレーション『エンダーのゲーム』-フィクションの中のVR【第2回】

飽くなき世界創造への欲求『フェッセンデンの宇宙』-フィクションの中のVR【第1回】

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