Home » 「VR大好きなんですが超酔うんですが – VR酔いの研究(2) 科学のチカラで酔いを覚ます!」~白井博士のVRおもしろ相談室 第4回~


業界動向 2016.07.03

「VR大好きなんですが超酔うんですが – VR酔いの研究(2) 科学のチカラで酔いを覚ます!」~白井博士のVRおもしろ相談室 第4回~

 ●VR酔いと映像酔いと3D酔いと乗り物酔いは違うのか?
 ●VRコンテンツを楽しむための酔いの原因チェックリスト
 ●なんで筆者はこんなにVR酔いに詳しいのか?
 ●近未来のVR酔いも…
 ●近未来に役立ちそうな日本のVR研究も紹介
 ●酔う人の三半規管は弱いのか?
 ●のあPさんの三半規管は本当に弱いのか?
 ●そもそも平衡感覚とは何なのか?
 ●前庭感覚に頼らずに深部感覚でVRを鍛える研究も
 ●乗り物酔いの民間療法には効果があるのか?
 ●まとめ:VR酔いの実際を通してデータをとる必要性

「VRおもしろ相談室」、連載の4回目は編集部のNoah(のあP)さんからの質問への回答の続きです。

「VR大好きなんですが超酔うんですが – VR酔いの研究(1) VR酔いの意外な歴史」~白井博士のVRおもしろ相談室 第3回~
http://www.moguravr.com/shiraihakase-vr-omoshirosoudan-3/

さて、前回は産総研の氏家先生の「映像酔い」の研究とその実験結果を紹介しながら、体験者が楽しめるための具体的な対策を紹介しました。

VRを楽しみたい人のための対策としては「できるだけ体験と体感を一致させる」こと。

前回は「これは自分の身体に起きたバグ」と思って楽しんでみてとして一旦まとめた「VR酔いのメカニズム」。今回は、専門用語と共により深く解説し、ハードウェアやシステム・楽しめるVRコンテンツの選択、個人差の問題、先端のVR研究、そして乗り物酔いの民間療法が効きそうかどうか?科学の視点と実験で酔いを分解して考察してみたいと思います。

image01<ビールが美味いシーズンが待ち遠しい!もちろん酒酔いとVR酔いは異なりますね…>

VR酔いと映像酔いと3D酔いと乗り物酔いは違うのか?

本題に入る前に、前回の定義であった英語版Wikipedia「VR酔い( virtual reality sickness )」を振り返っておきましょう。この定義では「VR酔いは乗り物酔い、モーションライドやシミュレータによる酔いとは異なる」とされています。つまり「3D酔い」や「映像酔い」と「VR酔い」は違うものとして考える必要があるようです。確かに映像だけでの酔いと、目を閉じていても起きる船酔いなどは同じではありません。「体験と体感を一致させる」といっても、3D映画やテーマパークのライドのように「一方的に再生される体験」と完全に自由な体験が提供されるVRでは何か違うのでしょうか?

VRコンテンツを楽しむための酔いの原因チェックリスト

まずは難しい話は抜きにして、複雑に絡み合うVR酔いの原因要素をわかりやすく、分解して理解するためのチェックリストを作ってみました。酔いを感じる人は実際の体験環境の構築や購入時の参考にしてみてくださいね。
☆コンテンツ制作者向けの情報は次回にさらに詳細をまとめています☆

<システム&ハードウェア編>

・映像が視界全面を覆う?
テレビゲームの映像、大画面映像、3Dシアターの映像と、HMDの映像による体験では視野が異なります。モバイルHMDでも周囲が見易いHMDと、視界全面を完全に覆うタイプの設計で特性が異なります(前回の映像酔いの実験から、広視野ほど酔いやすい)。

・レンズの特性とフィッティングは?
近年流行りのモバイルHMDに使われているプラスチックレンズは、必ずしも高品質の画像を出せるわけではありません。レンズには様々な特性、特に「収差」「非球面設計/球面設計」があり、球面設計の場合、中央から周辺になるにつれボケや歪み、色ズレが強く発生します。また「フィッティング」はレンズの設計上、理想的な状態で装着できているかどうか。具体的には「鼻の高さ」、つまり彫りの深い人と浅い人ではレンズ面と眼球との距離が異なりますので焦点が異なります。例えるなら「度数が合ってないメガネを付けて歩いている」ようなもので、これは酔いの原因の一つになりえます。選べるなら自分が辛くないレンズで体験したいところです。同様の理由で、視度補正ができるHMDは正しく設定しましょう。

・フレームレートは?
フレームレートは一般的には描画ループの速度で、単位は fps: frames per second (秒速何フレーム)で表現します。なお Hz(ヘルツ)は「1秒間に何回」という周波数を表す単位なので fps と同じ意味を持ちます。映画は 24 fps から速いものでも 120 fps 、コンシューマゲーム機は 30 ~ 60 fps 、PCゲームは 100 fps ~、速ければ速いほど良いと言われています。ただしこれは映像の描画ループが回る速度であって、VRの場合はセンサーのセンシング速度(時間分解能)と物理や衝突などのすべての処理の系を含めた速度での把握が必要です。例えばセンサーが極度に遅ければ、システム全体の系としては最も遅い fps に引っ張られる事になります。Oculus社のエンドユーザ向け「健康と安全上の注意」には具体的なフレームレートについては明記がありませんが、Oculusの行う開発者向けプレゼンでは Riftが 90 fps 、Gear VRが 60 fps がハードウェア側の性能としてあり、コンテンツ側でもそれぞれ 90 fps と 60 fps を常時維持することとして、体験品質の保証が求められているのが現状です。なお、20年前のVRがなぜ流行らなかったか?の理由の一つにこのフレームレート保証があります。当時は実効フレームレートが15 fps ぐらいのVRシステムも存在したものです。特にセンサが遅かった。そりゃあVRが一過性の流行になる訳ですよね。

・ステレオ3Dかどうか?
映像酔いの研究では、2D映像に比べ3D映像は酔いやすいというデータが出ています。「え?そうなの」という人は、Nintendo3DSで2D/3Dを切り替えて見ると簡単に実験できますが、立体方式にも様々な方式がありますので興味がある人は遠藤雅伸氏(ゲームの神様)がまとめた資料がわかりやすいので参考にしてみて下さい。

▼3D立体視とゲーム「3DC安全ガイドラインを読み解くための背景知識」
http://ameblo.jp/evezoo/entry-10901438221.html

<コンテンツデザイン編>
以下は酔いやすいコンテンツデザイン要素です。製作者にも役立つはずで、今まさに開発中なのであれば、各項目を調整できるようにしておく事が大事ではないでしょうか。

・1人称視点か3人称視点か?
Oculus以降のモダンなHMDには高速高性能なトラッキングが実装され自己中心、つまり1人称視点( first person view ) なのがVRコンテンツの特徴です。ゲームですと、FPS(first person shooter)に対して、「スプラトゥーン」のような時機の背中を見るような視点をTPS(Third person shooter)として分けて呼びますね。VRと3D映画の演出上の最大の違いとして、VRが1人称視点を基本に進む事に対して、映画は3人称視点が中心で、1人称視点になることは少なく、シーンの切り替わり等の演出等に限られるコンテンツが多いです。

1人称視点でもコンテンツの設計と体験者の実際の見え方、特に身長は体験者に合わせて調整できるべきですね。コンテンツ側で高さが合わせられない時は、座るか立つか、体験者が楽な方で合わせると良いと思います。巨大ロボットに乗るようなゲームの場合は「ロボットに乗る前〜乗った直後」は「巨大!」と感じられるような画角や身長の違いが感じられるべきですが、ゲーム中のほとんどの時間は「ロボット=自分」と感じられるように設計しておくべきでしょうね。このあたり、認知科学方面の専門用語では「自己主体感」(=自分であると感じるか?)と「自己所有感」(=自分が操作していると感じるか)と表現します。

自己主体感(sense of self-agency)と自己所有感(sense of self-ownership)は認知科学方面の用語ですが、ちょうど本稿より先に配信されたMoguraVRによる小川奈美さんのインタビュー記事では行為主体感(Sense of Agency)や身体所有感(Body Ownership)として説明されているものとほぼ同意で、他にも運動主体感などの表現があります。心理学や認知科学、理学療法など分野によって日本語が異なるので、本稿では自己主体感自己所有感で統一します。

▼「人間を知るためのVR」『Metamorphosis Hand - えくす手 -』制作者 小川奈美氏インタビュー(2016.07.02)
http://www.moguravr.com/metamorphosis-hand-interview/

・移動は任意か?
この要素が最も重要ですね。モーションライドのような乗り物に乗りながら体験するVRは移動は任意ではなく通称「ベルトコンベア方式」などとも呼ばれます。シューティングやアドベンチャーゲーム、建築等の評価に使うウォークスルーVRは任意移動が実装される事が多く、自己主体感が高められます。任意移動ではないが自己所有感が高められる方法としては、通称「ワープ方式」と呼ばれている方式で、移動希望先を入力し、移動中の映像はホワイトアウト等を使って表示しない方法です。

しかしすべてのVRコンテンツがワープ方式になってしまうと、ちょっと残念ですよね。体験者としては「苦手な方式を知る」が一番良い対策ではないでしょうか。

・動きを予測できるか?
予測できるかどうかは主観やコンテンツの設計に依存するので、いち体験者としては難しい点もあるのですが、コンテンツ体験中の気遣いで解決できる点としては、特に視線の動きについて、自分から進行方向に向かって体を傾け、視線を進行方向中央に設定するなど、自己主体感と自己所有感を高めて、予測できない動きを体感することを少なくする努力をすることで酔いを軽減できる可能性があります。

<第2回 先端コンテンツ技術展:Wizapplyブースで展示されていた積木製作「BLAST x BLAST」内の動的集中線「ダッシュパーティクル効果」についての筆者のつぶやきから>

・rollを多用していないか?
進行方向に向かって左右方向の回転をrollと呼びますが、pitch-yaw-rollのうち、この軸の回転方向が最も酔いやすいと言われています。

実際、前回の記事に対する反応で、読者さんから「Smash Hit」Gear VR版を紹介していただきました。最初は大人しいのですが、段々rollが激しくなる設計のようです。開発者はわかって設計しているのでしょうね…。

<動画:Smash Hit>

・近景や遠景にヒントがあるか?
進行方向予測をしやすくする、という意味では床や水平線、床の道路や絨毯、高速道路やパイプラインのような構造物、近景では、鼻やガンサイト(照準)、コックピットも効果があるようです。近景と遠景を同時に描くと画面全体にピントが合っている状態(パンフォーカス)になりますが、グラフィックス環境のパフォーマンスが高ければ実際の視覚と近くするために被写界深度(ボケ)を制御することも効果として期待できます。

バンダイナムコがお台場「VRZONE Project i Can」にて実験中のVRシネマチックアトラクション「アーガイルシフト」は巨大ロボットシューティングゲームですが、ロボットに乗り込む前の演出、上部が半透明のコックピット、隣にいるアニメ調キャラクターとリアル系CGの融合表現、ボケ像の効果的な使用は大変勉強になります。なお、最後に”絶対に酔いそうな強制的1人称視点”が設計されていますが、ほんの一瞬なので是非、お台場で体験してみてください。

・視線移動が十分に速いか?
トラッキング速度にも関係ありますが、酔いやすい移動速度は意外とゆっくりな動きなので、人間の眼球速度に対して十分に速い速度でバーチャルカメラを移動させるというテクニックは有効なようでGear VR版「Minecraft」に「VRコントロール」として実装されています。瞬きと同じようにパッとカメラがパンするイメージです。

またゲーマーとしての一般的な心得ですが、人間の眼球の仕組みをよく理解しておくことも酔いを防ぐ良い体験につながります。人間の眼球の解像度は均一ではなく、解像度が高い中央視と、動きを捉える周辺視があります。つまり視線をうまく操作することで疲れづらく見やすく、ゲームも上手にプレイできます。

・その他のヒントがあるか?
例えばボディソニックのような振動を画面内の映像やコントローラーの入力に合わせてヒントとして与えるだけで酔いづらいといった研究や、歩きに合わせて腕振りするだけで酔いづらいという最新の研究もありますので後述します。

<その他環境>
表示している映像や音響が正しいのに、体験と体感が破綻する状態もありえます。

・HMDの装着は正しいか?
レンズと眼球のフィッティングだけではありません。重力方向にも気を遣いましょう。具体的には首の角度と実際の下向き重力の関係、つまり平衡感覚のような加速度刺激です。重力が映像と一致せずに破綻する例として、最も起き得る条件は「HMDが正しく装着されていない」です。体験開始前に水平がズレていないか?チェックしてみましょう。

Nintendo3DSのレースゲームを3Dオンにして頭を下向を向いて、やってみると酔いますよ(バス等の中で下向を向いてにスマホ触っていると酔いますよね?)。そういえば今後、PSVRのような家庭用VRが普及すると、寝そべりながらプレイする人も居そうですよね。買った人はぜひ試して酔ってみて欲しいところです。

・重力が映像とズレている
HMDが正しく水平に装着できているとして、例えば中型~大型ライドのような設計された環境でも、モーションライドの中心と周辺部では体の揺れは異なります。実写系VRであれば撮影ポイントとライドによる体の揺れが一致するべきですが、多人数同時体験だとそうはいかないですよね。

・臭いや温度湿度
ニオイや暑さなどの温度湿度とVR酔いとは一見関係なさそうですが、いちど「酔ったかな?」というスイッチが入ってしまうと、ちょっとした不快な刺激が一気に気持ち悪さに繋がってしまいます。これは酔いの回路が交感神経と副交換神経のバランスによって引き起こされるからと考えられています。特に密閉されて大騒ぎして取り乱すライド系は臭いや温度湿度、換気などには気を遣った方が良いですね。

・体験者のコンディション
実はコレが最も大きな要素です。「私は酔いやすい/酔いづらい」といった個々人の特性は”実は単なる思い込み”かもしれず、睡眠不足や深くゲーム体験に集中している事を原因とする、緊張や夢中な状態により、酔いの初期症状に気がつかない事も原因にあるかもしれません。エンタテイメント施設などでお子さんをお連れの場合は時々顔を見てあげて下さい。「あれ?おかしいな」と思ったときは休んで様子を見ましょう。

なんで筆者はこんなにVR酔いに詳しいのか?

実は筆者は昔、日本科学未来館の科学コミュニケーターという仕事をしており、展示解説スタッフとして、常設展示3Fの5面立体視環境「みんなのCABIN」( @_anohito こと廣瀬通孝先生監修)や「ライドカム」という実ロボットをリアルタイムで操作できる6人乗り大型ライドの展示解説を通して、酔う人・酔わない人・その主観や理解について考察したり、お客さん向けに解説したり、運用を通して気を遣いつつ、学ぶことは多かったです。

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<日本科学未来館「みんなのCABIN」と「ライドカム」と筆者(2010年3月ごろ撮影)>

この展示は2011年頃改修されており、現在は残念ながら体験することはできませんが、日本科学未来館も展示を通して研究をすすめるフィールドテストの場でもあります。実際の現場オペレータさんが掴んでいるお客さんのフィードバックは大変重要な経験なので、是非とも設計者と運用者の間でヒアリングの場を設けることをおすすめします。

近未来のVR酔いも…

さて、現在は映像を中心としたVRが期待されていますが、近未来のVR体験は映像だけに留まらないでしょう。海外ではこんな例もあります。

▼VR酔いに酔い止めは効くのか?酔い止めを飲んでOculus Riftを体験する製薬会社の広告が登場(2015.08.12)
http://www.moguravr.com/dramamine/

<動画:吊り下げVRと酔い止め薬”Dramamine”>

https://www.youtube.com/watch?v=trHlQzhi7Oc

この酔い止め薬の効果はぜひ入手して検証してみたいたいところです。吊られた時点で回転モーメントで酔いそうですが。このCMのように映像体験だけでなく、平衡感覚を意図的に使ったVRは学生VRコンテスト「IVRC」でもよく提案される技術です。IVRC2015「壁を這うやつ」では、HMD装着時に後ろ側に傾くと重力の方向がよくわからなくなる現象を使い、寝転んでいるのにまるで上の方向に壁を這っているような体験をすることができます。PS VRの普及で「家庭内で寝そべりVR」が当たり前になる時代が来れば、逆に今後大いに活用される可能性があるかもしれません。

<動画:IVRC2015「壁を這うやつ」>

近未来に役立ちそうな日本のVR研究も紹介

上記のような学生コンテスト作品だけではなく、近未来に役立ちそうな日本のVR最新研究も紹介しておきます。

<動画:腕振り機構によるVR酔い軽減 – 首都大学東京 池井研究室 >

この動画は、首都大学東京 池井研究室の腕振り機構によるVR酔い軽減体験の様子です。2016年6月30日に開催された日本バーチャルリアリティ学会「VRと超臨場感研究委員会」にて体験させていただいた様子です。映像中の体験者(女性)はHMDのフォーカスが合っていないと言っていますし、フラットパネルの体験中映像だけでみると、GoPro6台で生成した全方位実写映像で廊下を歩いており、身長も合っていませんし、rollが強いです。とっても酔いそうですが、腕振りのヒントがあると酔わないそうです。筆者も腕振りを止めた状態と比べてみましたが、違いは歴然でした。

このような興味深い研究は電気通信大学 梶本研究室でも行われており、エンタテイメントコンピューティング2015という学会でデモ発表された「衣服牽引を用いた触力覚提示装置」という研究では、HMDを装着してドライビングシミュレータを体験中に加速度の表現として、肩の衣服をモーターで引っ張ってあげると臨場感と加速度感覚が増す、という研究です。実際に体験してみましたが、モーターについた洗濯バサミというシンプルな構造ですが、確かに感じます。この研究では、酔いについても実験しており、Simulator Sicknes Questionnaire, 通称「SSQ法」というアンケート方式で評価可能とされています(原著論文:Simulator Sickness Questionnaire: An Enhanced Method for Quantifying Simulator Sickness, Robert S. Kennedy, 1993)。このSSQ法の日本語アンケートと生理計測との関係は「運転シミュレータによる動揺病の主観評価値と生理指標との相関(三品誠・2008)」で報告され、多くの研究で利用されていますので、もしVR ZONEのようなVR実験体験施設を運営しており「お客さんがVR酔いするのを経年的にデータをとって改善したい」と考える事業者は、積極的にデータをとってみることをおすすめします。この論文でも「性差がある」というデータが出ていますし、年齢や個人の健康状態など、まだ調査されるべき項目は多いと思いますが、世界でも数千人、数万人規模のデータはなかなか存在していないのが現状なので、一般公開施設での実データは価値が高いと思います。

酔う人の三半規管は弱いのか?

冒頭の のあP さんの質問にあった「三半規管が弱い?」という話について考察してみます。酔いが激しい人こそが、直感的に体感していらっしゃるとは思いますが、本当に三半規管のせいなのでしょうか?前回紹介したヴェクション( vection; 視覚誘導性自己運動感覚)や、ボディスウェイ(body sway ; 重心動揺 )は止まった電車の窓から見た「反対方向に進む電車」でも起きますし、船酔いは窓のない部屋でも起きますから、三半規管に強い弱いに関係なく、視覚だけでも酔うときは酔います。なお前回紹介した九州大学・妹尾先生の研究はおもしろく「ヴェクションは子供の方が起きやすい」という報告や「自己愛の程度が強い被験者ほど、ベクション強度が弱い」といった研究成果も掲示されています。

のあPさんの三半規管は本当に弱いのか?

三半規管についても学んでおきましょう。三半規管は前庭器官や迷路(Labyrinth)とも呼ばれ、XYZ軸3方向にリンパ液を通す管が3つ有り、その中の毛をもった細胞の働きで重力を計測しています(Wikipedia「三半規管」参照)。

image00<耳の内部、9がLabyrinth(迷路)、10がCochlea(蝸牛):Wikimedia Commonsより>

3つの半規管「前半規管」「後半規管」「外半規管」がそれぞれ、およそ90度の角度で傾いており、X,Y,Z軸のような3次元的なあらゆる回転運動を感知しています。各半規管の内部はリンパ液で満たされており、片方の付け根は膨大部となり内部に有毛細胞(感覚細胞)があります。頭部が回転すると、体内にある三半規管も回転しますが、内部の液体であるリンパ液は慣性によって取り残されるため、相対的には三半規管の内部をリンパ液が流れることになります。リンパ液が流れるとクプラも動き、それに付随した有毛細胞が刺激されることで、前庭神経と呼ばれる内耳神経から脳に刺激が送られ、体(頭部)の回転が感知できるしくみです。

このような液体を使った物理センサーなので、回転が続くとリンパ液も一緒に回転してしまうこともあります。その状態では体の回転が止まっても今度はリンパ液の回転がすぐには止まらず、誤った信号を脳へ送ることになります。これは公園の地球ゴマなどで”目が回る”状態ですね。

というわけで、実際には のあP さんの三半規管や前庭神経は「弱い」のではなく「正しく機能している」のだと思います。問題は地上でゲームをしているときの重力は変化していない一方で、ゲーム世界の傾きなどを頭の中で感じているためにその「感覚統合」がうまくいっていないために違和感を感じているのではないでしょうか。

「気持ち悪い」と感じたら、まずは「今、どうやって自分が重力を感じているか?」を再考してみましょう(つまり体験をやめて休憩する、ということですが)。

そもそも平衡感覚とは何なのか?

さて三半規管と前庭神経について学びましたが、実は人間の平衡感覚は三半規管のような単一のセンサーによる感覚ではないようです。

解剖学的にみると、平衡感覚は耳の中の前庭器で受容される「前庭感覚( vestibular sensation )」のみでセンシングしていると考えてしまいそうですが、実は体の平衡には前庭感覚の他に深部感覚や皮膚感覚、そして当然ながら視覚が強く作用して成立しているそうです。つまり前庭器系、視器系、深部感覚系の3系統がセンサとなって働き、前庭眼反射回路、眼運動反射回路、深部感覚運動系、自律神経系反射系の4つの系が、脳幹、小脳、大脳、視床下部その他の感覚器官とネットワークを形成して平衡感覚の機能を維持している、というのが正しい理解のようです。

実際の生活に即して理解すると、徹夜や疲れ、飲酒による酒酔いでも平衡感覚を失う可能性はありますし、心因性のストレスも大いに影響あり、前回の冒頭にあった「関連の論文を読んだだけでも吐き気がする」といった現象も、気のせいとは言い切れない、という事です。

またVR酔いの病理そのものは解明されていないのですが、看護学の教科書や嘔吐に関する看護のガイドラインを調べてみると、嘔吐や嘔気(=吐き気、実際には吐かない)をおよぼす「嘔吐中枢」については上記の通り、そのメカニズムがほぼ4系統と明快に解説されており、医療の現場では緩和のための情報もガイドラインとして解説があります。前回紹介した「神経の可塑性」と併せて、あまりに吐き気がひどい人は読んでみると自分で緩和できる可能性がありますね。

▼「嘔気・嘔吐の病態生理」(日本緩和医療学会・がん患者の消化器症状の緩和に関するガイドライン(2011年版)
https://www.jspm.ne.jp/guidelines/gastro/2011/pdf/02_01.pdf

前庭感覚に頼らずに深部感覚でVRを鍛える研究も

前述通り、人間の重力を感じる能力は三半規管だけではありません。三半規管、視覚、深部感覚、そして自律神経の4つの系によるものです。深部感覚とは皮膚感覚と内臓感覚以外の体性感覚で、位置覚、運動覚、抵抗覚、重量覚といった、体の各部分の位置、運動の状態、体に加わる抵抗、重量を感知する感覚のことです(よく「五感を働かせて」と言いますが、これはアリストテレスの時代の分類で、人間には主に20種類ぐらいの感覚があります)。

深部感覚はつまり、「手を持ち上げたまま止めておくと重い」と感じるような身体の内部センサーで、筋肉や骨格、関節で重力や運動による加速度を感じることができるということです。各部にセンサーがありますが、それらの情報を脳の感覚統合という機能で統合しています。

なおこのあたりは「映像酔い」の原因でもありますので、氏家先生もきっちり定義の中に組み込んでおられます。腕の操作と感覚統合に興味がある方は、前田先生と舘先生の論文を読んでみると良いでしょう。お二方とも、日本を代表するVRの研究者のひとりです。

▼視覚性制到達運動における両眼視と上肢位置感覚の統合(前田・舘, 1993)
http://www-hiel.ist.osaka-u.ac.jp/~t_maeda/20070204_papers/20070204_papers/original_papers/1-4_maeda_1993.pdf

特に、感覚統合におけるラーニングと可塑性、短期記憶と長期記憶はヒントになる考え方で、前者は小脳、後者は大脳皮質の頭頂連合野であると言われております。つまり「VR酔い」を感じる人のほとんどは、世界の認識を変えるトレーニングで改善できる可能性があり、また「気持ち悪い」と感じるようになってしまった人も、すぐに改善できる可能性があるということです。

ちなみにこの感覚統合とVRに関する最新研究でおもしろいものがあります。最近Microsoft Researchが「Haptic Retargeting: Dynamic Repurposing of Passive Haptics for Enhanced Virtual Reality Experiences」という論文をコンピュータ・ヒューマン・インタラクション系研究のトップカンファレンス「ACM CHI 2016」で発表しました(2016年5月7〜12日)。

<動画>

マインクラフトのようなキューブにHMDとモーションキャプチャをつけて到達タスクを行っていますが、キューブは1つしかないのにVR世界では3つのオブジェクトに正しく到達できています。これは視覚と深部感覚の感覚統合であるリーチング(到達タスク)のターゲッティング(目標設定)にある誤差をうまく制御してあげることで、狭い空間や限られた実物体でも現実感高く直感的に操作できることを示しています。

乗り物酔いの民間療法には効果があるのか?

さて最先端の科学は一般の人に利用できるまで時間がかかるものですから、「民間療法」的な手法でVR酔いを改善できる可能性についても皆さんで分析してみましょう。中には「気合いでどうにかなる!」という人もいるでしょうが「気合い」が何であるか、定義がありませんのでなんとも言えません。一方で、先述のVR酔い止め薬「Dramamine」をはじめ新しい手法やグッズがどんどん一般向けに売り出されてくると思います。しかしすでに乗り物を酔いを中心に様々な民間療法が存在しますので、これらがVR酔いに効くかどうか実験してみましょう。ここまでの科学の考え方で「さもありなん」と「これは効果ないな」を見分けられる知識や実験ができるまで分解して考えられるところまでは来たはずです。以下まとめてみましたので一緒に考えてみてください。

・リラックスするとよい
→「休むとよい」ととらえると正しい。酔いは一度始まると、止まらない。船酔いなら途中でなら船を降りるのは難しいですが、VRならHMDを脱いで現実に戻ってくるのが一番でしょう。

・体験前に体操する
→酔いそうな人は、VR体験する前に柔軟、特にラジオ体操が良いと思います。筆者の柔道での経験ですが、「受け身」の練習でも慣れないと酔います。一番効くのは下のラジオ体操公式動画の2:10以降の上半身を旋回させて頭をしっかり振る運動ですが、実はよく見るとラジオ体操は全体通して重力と視覚の不一致を自分から慣らすための良い運動が含まれていますのでVR業界的には流行らせても良いぐらいかもしれないです。

・進行方向を見る
→これはバイクやジェットコースターの苦手を克服するための経験則による技ですが、周囲を見ているよりも、進行方向を見ることで重力の不一致だけでなく、周辺視をコントロールすることができるという効果も期待できるはず。モーションライドも「自分で操作している感覚」、自己主体感と自己所有感を意図して高めることも大事です。

・景色や下を見ない
→特に「下を見る/見ない」というよりは「頭が下を向いている状態」のほうが、進行方向と重力(微振動含む)と視覚の進行方向が一致していないので、酔いやすそうです。「乗り物の中で読書やスマホ触るとで酔いやすい」という人は、そもそも「自分の姿勢が猫背」で頭の向きが下に向いている事があるのかもしれないですよ。是非確認してみては。

・遠くを見る
→前に大きな窓があるバスのような環境なら効果ありそうです。一方、同じバスでも後ろの席は横しか見れません。また新幹線のように、遠くを見ようにも横向きの窓しかなく、遠くの景色を見ていようと思っても、つい「上下している架線」が視界に入ってしまうような環境だと、それだけで酔いが加速しそうです。

・自分に暗示をかける
→これは怪しい感じがしますが「暗示」が何なのかにもよるので、なかなか肯定も否定できないです。「揺られている」ではなく、「自分が進む!これは自分が制御している!」と思えば自己主体感や自己所有感、神経の可塑性、感覚統合で学習可能であると説明できるかもしれないです。そもそも「酔わない!」という暗示よりも「自分は酔いやすいので…」という理由と工夫で、バスの座り位置を運転手に近くする、タイヤの上ではなく中央位置に座るといった習慣を持つことは暗示以上に効果ありそうです。

・酔い止めの薬(制吐薬)を飲む
→酔いに関わる神経は先述の4つの系が関わるネットワークなので単純ではありませんが、動揺病の現象である嘔吐を起こす嘔吐中枢に作用する薬品はいくつか存在します。逆を言えば映像や加速度、深部感覚はVRの場合は体験をやめることでどうにかできますが、乗り物酔いの場合はそれをやめることができないので嘔吐を止めるしかありません。嘔吐中枢には神経系からしか影響を及ぼせないということになりますので、効果ありそうです。VR酔いに使う場合は「気持ち悪くなっても吐かない」という効果は期待しても良いということですね。ただプラセボ効果の影響もあるので、本人が「VR酔いに効く!」と思っているなら効くのでしょうし「効かない!」と思っているなら効かないかもしれません。吐き気止めは吐き気があってこそ効果がわかりますので。

・酔いに効くツボ
→ツボと末梢神経の関係は否定はできないですので、上記の酔い止め薬と同じ程度には期待できます。また「痛いほど効く」という噂から類推するに、そもそも体験を止めて休息する効果と「痛みによる注意の拡散」などが効能としてはありえるのでは。

・酔いに効くハーブ
→ハーブの中でも酔いに効くというショウガはギンゲロール・ショウガオールという物質を含みます。前述の中枢神経系、特に嘔吐や不安に影響がある「セロトニン5HT3受容体」の拮抗作用、つまり嘔吐に関わる神経伝達物質をブロックする効果があるようです。ペパーミントも同様。香りが効果ではないということですね。一旦吐き気をもよおしてしまうと、におい過敏のような現象もあるので注意です。一般的に吐き気をもよおしているひとに何か食べさせるのはよい結果を生みませんし、万が一の場合、吐瀉物が大変なので余計なものは食べさせない方がよいでしょう。

酔いは個人差が多い現象です。思い込みは影響がありますが、思い込みだけで判断せず、科学の目で本当に効果があるかどうか、ぜひ皆さんで積極的に試してみて下さい!

まとめ:VR酔いの実際を通してデータをとる必要性

以上のように、今回は「VR酔いの研究(2)」と題して、VR体験を通してより科学の目で読者の皆さんが自分自身を発見できるようは話でまとめてみました。VR分野の学術研究に興味がある人へのきっかけとしても役に立てばと思います。

VR酔いの問題は、今後も急速に研究され、多くの成果が製品やテクニックとして実装されてくると思います。個々のテクニックは重要ですが、今回みなさんに感じていただきたいのは、経験的な解決手法ではなく、より科学の視点でVR酔いという現象をとらえ、一般ユーザはより具体的に製品やサービスの品質をレビューして開発者にフィードバックしていくことの重要性、そしてコンテンツ開発やVR体験施設の現場では、今後の市場の拡大やトラブルの多発、「VRは酔う」といった世間のステレオタイプが形成される前に、設計段階から安全と危険をコントロールし、「VR酔いは個人のコンディションや個人差が大きい」という常識とともに、トラブル時にはSSQのようなアンケートを性別、年齢、コンディションといった、個人の状態も含めてによるサーベイを行い、統計的なデータを取得していくことが、今後のVR産業の基盤力強化につながる研究開発になるはずです。

最近VRにもご興味あるという浜村弘一( ‏@Hama_Hirokazu )週刊ファミ通編集長からも前回の「VR酔い(1)」について、同様のご感想をいただきました。

3D酔い、VR酔いは深刻な問題。慣れることも解決策のひとつだろうけど、それだけじゃ救いがない。開発側のノウハウも公開、共有して、VRの普及に、全体として取り組んで欲しいな。

そうですね。ありがとうございます。業界としてのガイドライン設定は開発者からすれば面倒かもしれませんが、必ずしもコンテンツの縮小になるわけではないと思います。簡単に言えば一般の人々のVR体験に対する感想が「VR、すげー!」から「これ酔わない!すげー!」とか「このVR演出、素晴らしい!」といった感想に変わってくることで、また次のチャレンジができるという事になるような進め方ができるといいですね!

さて次回は実際にコンテンツ製作者向けにコンテンツ開発で役に立つ、最先端の研究や事例、近い将来のうちに常識化するであろう手法について紹介します。

皆さんからのVR酔いに関する体験や質問もお待ちしております!

※編集部より。「白井博士に質問したい!」という方は、Mogura VRのTwitterアカウント(@MoguraVR)宛に 「#白井博士のVRおもしろ相談室」というタグをつけてリプライで質問をお願いします。VRに関する質問に白井博士が面白く、真面目に答えてくれると思います!

【お知らせ】
2016年7月24〜28日にアメリカ・アナハイムで開催されるCG・インタラクティブ技術のトップカンファレンス「ACM SIGGRAPH 2016」に向けて、論文の発表内容や、イベント情報など、情報交換のためのイベントがシーグラフ東京主催で開催されます。SIGGRAPHは映画やゲーム産業、見本市はもちろん体験可能なVR技術や学術デモ、コンテンツについてもディスカッションされる数万人規模の巨大国際会議です。白井は今年SIGGRAPH初参加から数えて20周年。ちょっとした講演を頼まれていますので、参加予定です。

SIGGRAPHに初めて参加される方も、今年は参加されない方も、参加前にいろいろ知っておきたい人も、様々な方を対象としたイベントです。
 ●SIGGRAPH の歩き方、楽しみ方、有益な情報を得るためのコツ
 ●SIGGRAPH 2016 論文ダイジェスト(見所紹介)
 ●SIGGRAPH 2016 E-Tech展示、アートギャラリーの見所紹介
 ●SIGGRAPH 同時開催イベントのご紹介
 主催   TOKYO ACM SIGGRAPH (シーグラフ東京) http://www.sig-tokyo.org/
 開催日  2016年 7月8日(金曜日)
 勉強会  19:00 ~ 21:00
 場所   株式会社エクサ 13階会議室
      (神奈川県川崎市幸区堀川町580番 ソリッドスクエア東館13階)
 定員:着席先着 30名(開始時間に遅れてきた方は立ち見)
 参加資格:「シーグラフ東京」会員無料、学生無料。
       非会員(一般)参加料 1,000円。申し込み不要。
★受付ではぜひ「MoguraVRの白井博士のVRおもしろ相談室を見た!」とお伝え下さい。皆さんのご参加をお待ちしております。

白井博士(しらいはかせ)/文・絵

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