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業界動向 2016.05.28

篠房六郎がVRと心の救済を描いた2作品『空談師』『ナツノクモ』-フィクションの中のVR【第9回】

フィクション VR(篠房六郎/アフタヌーンKC/全3巻)

『空談師』は2002年から約1年半にわたって青年漫画誌に連載されたコミックです。この作品はいわゆる<バトルもの>ですが、その舞台がVRであった点が特徴的でした。

舞台は「リネン」という企業によって開発された「ボード」と呼ばれるVRゲーム空間で、そこにはコンピュータネットワークによって多くの人が接続しています。リネンによってボードの大まかな世界観や基本的ルールは規定されていますが、現場での管理・運営はリネンと契約したGM(ゲームマスター)の自由裁量に任されていました。開放型ボード「パラベラム」も数多く存在するボードの1つで、ミポと名乗るGMが管理しています。パラベラムでは定期的に1時間半にわたる「抗争」とよばれる殺戮ゲームが開催されており、プレイヤーは2つの勢力に分かれ、様々な武器を手にバトルロイヤルを繰り広げています。

そんなパラベラムには最近「クダン」と呼ばれる謎の荒らしが出没していました。不穏な空気が流れる中、見慣れない戦士ヨエルがパラベラムに降り立ちます。同じ頃、パラベラムのルールをよく理解していない何でも屋の少女ウーフーがそこを訪れ、抗争に巻き込まれてしまいます。

作中、舞台がVRである事は冒頭で明示されますが、現実世界の描写は一切なされないため、登場人物たちが実際にはどのような外見をしていて、どのようにボードにアクセスしているのかは本作では明らかにされません。読者はあくまでVRの内側からしか物語を知ることはできないのです。

作者はその上でVRで殺しあうという残虐な行為に嬉々としてプレイヤーたちが参加する事の意味を問いかけます。

事情を知らないウーフーは目の前で虐殺が行われる光景にショックを受け、「どうしてこんなひどい事が平気で出来るの」と問いかけます。しかし問われた相手はこう返すのです。「ここは唯のボードだぜ 元から痛覚も嗅覚も味覚も皮膚も何も無いだろう?」。

そう、VRでどんなに酷い目にあっても、実際に痛みを感じるわけではありません。だからこそ安心して殺戮ゲームにのめり込む参加者たち。しかしこの空間では痛みを感じないが故に考案された拷問が実は存在するのです。

それは敵を動けない状態にして殺し、相手が復活した瞬間(ボードの中で死ぬと、同じ場所でステータスや所持金がダウンした状態で復活できる)また殺すのです。そしてこれを延々と続けるとプレイヤーは復活する度に殺されるのでウンザリして遂にはゲームへの接続を断ってしまいます。死亡状態のまま接続を断ち、一定の時間が過ぎればそのキャラクターの全てのデータは削除されてしまいます。そうやってVR空間から相手を消滅させてしまうのです。

痛みの無い世界では精神的な暴力こそ本当に残酷なのかも知れません。

本作は作者である篠房六郎氏の商業デビュー作ですが、細かい説明は無いままストーリーがどんどん進んでゆきます。セリフの文字数も多く、さらに作者は吹き出しの出っ張りを省略する事が多いので誰が喋っているのかわかりにくい事も多々あります。その上敵味方入り乱れた戦闘シーンが多いため、読者は状況を追うので手一杯になってしまいます。

そんなわかりにくさが読者を遠ざけたのか、結局この漫画は17話で打ち切られてしまいました。本当に物語の途中で突然話が終わっているので、必死にそこまでついてきた人は呆気に取られる事でしょう。

そんな終わり方だったのでやはり作者も描き足りなかったのでしょうか。続く2作目でも再度VRゲームをテーマに取り上げます。

フィクション VR(篠房六郎/IKKI COMIX/全8巻)

作者が新たに2003年からスタートさせた『ナツノクモ』は前作と同じようにVRゲームの世界観で描かれます。前作より人間ドラマの描写に比重が置かれ、ギャグもふんだんに盛り込まれているのでかなり読み易くなっています。

主人公は妻子と別居中で荒んだ生活をしており、一日中ボードに入り浸っています。ボード内では「コイル」という名前で格闘の達人として活躍する傍ら、医師のもとでカウンセリングも受けていました。

実は彼にはもう1つの顔があり、「トルク」という名前のキャラクターも操っています。トルクは巨体で異形の外見をしており、更には無類の強さを誇っているため多くのプレイヤーたちから恐れられているのですが、そんなトルクにある日仕事の依頼が舞い込みます。

開放型ボード「タランテラ」にはセラピー用のコミュニティが形成されており、そこでは参加者たちが家族のような共同体を作ってお互いの傷を癒しています。しかし、タランテラのGMが現実で殺人事件を起こして逮捕されてしまい、そこは8月31日で閉鎖される事が決まります。

現実世界での殺人事件がセンセーショナルに報道されてしまったため、タランテラには興味本位の輩が大量にアクセスし荒れ始め、コミュニティも危機に晒されてしまいます。
そこでトルクはタランテラが閉鎖されるまでの約3週間、コミュニティの用心棒として雇われるのです。

前作と最も多きな相違点は、僅かではありますが現実世界での描写が挟まれている点でしょう。これにより、プレイヤーがボードにアクセスする際は顔全体をすっぽり覆うフルフェイスのヘッドマウントディスプレイと、それに繋がったグローブ型コントローラーを使用していることが明らかになります。

また本作ではVR空間におけるカウンセリングが重要なテーマとして扱われています。
作中、オンラインセラピーに取り組む専門家はその利点について次のように語ります。

オンラインを利用することの利点は、クライエントを地理的時間的に解放してくれる事や、直接顔を合わせない匿名性が赤面症、広場恐怖症、内気傾向の強いクライエントからより積極的、外向的な性質を引き出してくれる事です

これに対し、オンライン上では積極的・外向的を超えて、衝動的・攻撃的になってしまうのでは? という問いには次のように答えます。

攻撃的言動は古くからずっとこの分野で懸念されていることですが、その解決法もまた古くから研究されてはいるんですよ。(中略)長期的な視点で時間的な余裕を持って、仲間意識を育てる事です

以上のような理由から、タランテラではセラピー用のコミュニティが形成されている訳です。作中ではオンラインセラピーは劇的な効果が期待できる一方、コミュニケーションに対する中毒症状など別の問題も山積している、とされています。

作者は非常に丁寧に心理描写を積み重ねており、ストーリーが進むごとに登場人物たちの新たな内面が明らかなっていきます。時にその描き込みは読んでいて疲れを感じるほどのものですが、VRと人の心というテーマはとても興味深いものです。

作者はVRがあくまで心の傷を癒すための1つの手段に過ぎないことは意識しているようで、やり方を誤れば取り返しのつかない事になってしまうという事も描いています。主人公自体VRゲームに入り浸っている「廃人」な訳で、VR空間内での華やかな活躍との対比には考えさせられます。

ともあれ、人の心の分野でVR技術が応用できるかも知れない、というのは大きな可能性ですね。少し内容は違いますが、イギリスのオンラインジャーナル「British Journal of Psychiatry Open」には今年、VRをうつ病の治療に活用する研究報告が掲載されています。今後VR技術が発達するにつれてさらなる活用の道が発見されるかも知れません。


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