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テック 2017.05.08

アルプス電気に聞く「触覚のVR」の今

 VRは視覚だけで実現されるものではありません。最終的には五感をうまくだましていくことが求められます。その中でも「触覚」はとても重要なものです。VRやゲームに触覚を活かすアプローチの歴史は長いものですが、ここ数年のVRブームの影響もあり、技術の改善も進んでいます。任天堂が3月に発売したゲーム機「Nintendo Switch」でも、微細な振動を再現する「HD振動」という機能が搭載され、『1-2-Switch』などでは、その機能が有効に活用され、話題になりました。
 
現在の「触覚によるVR」はどのような状況にあるのでしょうか? 振動を伝えるデバイスの製造開発でトップシェアの日本企業、アルプス電気株式会社(以下、アルプス電気)に現状を聞きました。ご対応いただいたのは、アルプス電気・技術本部 M8技術部 第3グループの萩原康嗣さんと、同・第3商品開発部 第2グループの和宇慶朝邦さんです。
 
アルプス電気・技術本部 M8技術部 第3グループの萩原康嗣さん(右)と、同・第3商品開発部 第2グループの和宇慶朝邦さん(左)。手にしているのは、お二人が開発を担当しているハプティック®製品。 

素材の違いまで再現する「ハプティックリアクタ」

 現在アルプス電気が開発・提供している「触覚によるVR」がどんなものか、デモを見るところからはじめましょう。

まずは「ハプティック® リアクタ」(以下、ハプティックリアクタ)から。

ハプティックリアクタのデモの様子をムービーで。動画では振動が伝わらないので、イメージがあまり沸かないと思いますが……。
ハプティックリアクタのデモ機材。ブーメラン型のデバイスの中に振動を生み出すアクチュエーターが入っている。
ハプティックリアクタを拡大。デモ機材には2種類が、左右の手にあたる部分それぞれに搭載されている。

このデモは、微細な振動の再現性を示すものです。筒状のケースの底には感圧センサーが敷いてあります。ここに上からボールを落とすと、その振動が手にした機器の側で再現されます。小さいボールを落とせば軽くて鋭い振動が、大きいボールを落とせば鈍い振動が手に伝わってきて、明確に「ボールの大きさと重さの違い」がわかります。それだけでなく、小さなボールが「ゴム製で高い反発力を持つものだろう」というイメージも伝わっていきます。

デモはボールを落とした振動を伝える形ですが、感圧センサーからの情報を手元で再現できるということは、実際にはボールを落とさず、「落とした時のデータ」を伝えるだけでも同じことができる、ということです。

同時に、もうひとつデモが行われました。こちらは、スマートフォンから再生される音楽に合わせて振動を感じる、というもの。同じハプティックリアクタを使い、音楽から得られる臨場感を増すために使われます。確かに、ライブ会場で感じる「音圧」に近い、音と同期した振動が手に伝わり、独特の面白さがありました。
このデモは、ハプティックリアクタの狙いと非常に大きな関連性があります。開発を担当する和宇慶さんは次のように説明します。
 

和宇慶さん:ハプティックリアクタは、コイルの両端をマグネットで支え、スプリングで保持している構造になっています。振幅方向によって生まれる振動の周波数帯が違うので、それを組み合わせることでリアルなフィーリングを産みだそうとしています。2つの振動を使うことで、ワイドバンドな振動を伝えられます。

アルプス電気のウェブより。ハプティックリアクタはこのような構造になっていて、縦横別の振幅の振動を出すことで、リアルな振動を実現する。
 
アルプス電気のウェブより。2つの振動をうまく合成することで、幅広い帯域の振動を作り出している。

また、ハプティックリアクタは反応が非常に速いのも特徴です。音楽のデモでは、音にまったく遅れずに反応しているのがおわかりかと思います。音と振動が遅れなしに伝わります。それがリアルな振動にもつながります。この高速応答性は、従来振動に使われていた偏心モーター(モーターの回転軸に重心が偏ったおもりをつけ、回転させた時の重心の偏りで振動を再現するもの。ゲーム機や携帯電話など、ほとんどの振動機器に使われているのがこのタイプ)では再現できません。ハプティックリアクタは幅広いアナログ的な振動が再現できるのが特徴ですが、どちらかといえば急峻な動きが得意ですね。

(新たなデモ用のデバイスを筆者に持たせてくれながら)風が吹いているような、すごく微細な表現が感じられるのが、おわかりいただけますか? 音楽もこれも、録音した音の波をそのまま振動として再現しています。実際に耳に聞こえる音というのは、振動の波形とほとんどリンクしているんです。ですから、音声データをそのまま使えば、現実の感触とほぼ似たようなものを再現できます。あらゆるアナログの波を振動として使えるデバイスとして、いま拡販をかけているところです。

和宇慶さんの説明には、非常に重要な情報が含まれています。

振動デバイスにおける最大の課題は、「どういう振動を与えれば人はリアルに感じるか」を演出するための手間にあります。過去の振動デバイスでは、職人的なこだわりで「演出」してそれらしい振動を作っていました。リアルなものを再現しようとすればするほど、制御回路も高級なものが必要になりました。

しかしハプティックリアクタでは、その手間が大幅に減ります。実際の物体がぶつかる時の振動を圧電素子などからデータ化したり、音をそのまま録音したりすることで、それがそのまま、ハプティックリアクタでの「振動の元」になるからです。試行錯誤は非常に楽になり、演出の幅も広がります。制御回路もシンプルなので、ゲーム機のように低コストな機器に搭載するのも容易です。

ハプティックリアクタは、任天堂が3月に発売した「Nintendo Switch」に採用されている……と言われています。任天堂もアルプス電気も発表はしておらず、今回の取材でも「特定の納入先には答えられない」として、ノーコメントでした。しかし、分解した中身に関する情報や、Nintendo Switchが備えている「HD振動」の性質から考えると、ハプティックリアクタに、非常によく似たものを採用しているのだろう、と理解していいのではないか、と筆者は考えます。
 

アルプス電気が現在提供している「ハプティックリアクタ」。用途や振動の幅によって3種類が用意されており、現在、VR向けの案件が多く進んでいる、とのこと。

■触感の錯覚で方向まで伝えられる?!

写真撮影はNGでしたが、ハプティックリアクタでは次のようなデモも体験できました。

これまで「振動」といえば、ある一点から伝わるものでした。モーターが回って振動しても、その場所から伝わるものに過ぎません。

しかし、次に体験したデモでは。ハプティックリアクタを持っていると、それがある方向に走り出したように思えたのです。
 

和宇慶さん:一般的な触覚デバイスでは「方向」を感じられないのですが、今回ハプティックリアクタを使い。「方向」を感じられるようにしました。これは「錯触」という現象を使ったものです。しっかり握ってしまうと感じられないので、軽くつまむように持ってください。どこかに引っ張られていくように感じられませんか?空中にあるものが振動しても重心は移動しないわけですが、ハプティックリアクタではそれが感じられます。これは皮膚の感覚受容体が官能する周波数帯を入力することで実現しています。色んな大学で研究されているものです。非常に速い応答性能があるからできることです。

これは実際に体験すると、非常に奇妙なものです。手に持っているものは本当は動いていないのに、そちらへ動いているように思えるのですから。まさに「触覚のVR」といえるでしょう。

詳しくは言えないが、これにもあまり複雑な回路は必要ない、とのこと。ゲームやVRの中でどう活かすべきか、妄想が膨らむ技術です。

■トリガーで「硬さ」を再現、カギは「触原色」

次のデモは「ハプティック® トリガー」(以下、ハプティックトリガー)です。こちらは2つのデモがあるので、それぞれ映像をご覧いただきましょう。
ハプティックトリガーのデモ機材。PCにハプティックトリガーをつなぎ、映像を見せつつデモを行う。

まずは「つぶす」ことから。ハプティックトリガーが組み込まれた丸い球を持って「つぶす」動作をします。画面には、プチトマトやすだち、グミなどが表示されますが、それにあわせて「つぶす」と、それらのものと同じ「硬さ」を手に感じます。ハプティックリアクタが振動によるリアルの再現だとすれば、ハプティックトリガーは「力覚」による再現です。

ハプティックトリガーのデモ。撮影条件が悪かったことで、少々暗く、フォーカスが変わる時があることはご容赦を。ものの「硬さ」などを感じられる。 

ハプティックトリガーは、写真のように、伸縮するスイッチに、応力を与えるモーターとセンサーをセットにしたデバイスです。与える信号の強さにより、伸縮させる時に必要な力の量が変わります。また、自律的に伸縮させることもできるので「心臓の脈動」も再現できます。
 

ハプティックトリガー。モーターによって伸縮に必要な力を変えることができるスイッチ、といっていい。 

もうひとつのデモは「コップ」です。紙コップや茶碗にソーダやソーダを注ぐ様子を体験できます。ハプティックリアクタとハプティックトリガー、それに熱をコントロールできる小さな素子を組み込んだ「コップ型」デバイスを使いますが、これもなかなかに衝撃的な体験です。

紙コップや茶碗を再現するデモ。中に入れるものによる感触の違いを再現する。

液体をコップに注ぐと振動がありますが、それがきちんと手に伝わります。熱いお茶を注いでいくとどんどん手が熱くなっていきますが、同じようにこのデモでも熱く感じます。冷たい水を入れれば、指先に冷たい感触を覚えます。面白いのは、振動を組み合わせると、同じ冷たい飲み物でも別のものだと感じさせられる、ということです。ソーダの場合、「冷たい」のは水と同じなのですが、手には炭酸のはじける感触が伝わります。 

そしてさらには、茶碗を「紙コップ」に変えることもできます。茶碗は堅いものですが、紙コップはやわらかいですから、くしゃっと潰そうとすることもできるのです。

開発を担当する萩原さんは次のように説明します。
 

萩原さん:今の機器についている「トリガー」は、若干振動を組み込んだものはありますが、状況によって重さが変わることはありません。しかし、ハプティックトリガーを使えばそれを微妙にコントロールをすることで、重さが変わったような感触を得ることができます。アクセルやブレーキに使えば、ブレーキはブレーキっぽい感触・アクセルはアクセルっぽい感触を与えられるのではないか……ということで開発しました。

 
プチトマトやすだちの感触、違いますよね。こういうこともできますし、急な振動を与えれば、マシンガンを撃っているような感触を与えることもできます。自律的に動かすこともできますから、「心臓の鼓動」も再現できるわけです。 

コップのデモでは、水のポチャポチャする感じや流れ出て行く感じ、紙コップと茶碗の硬さの違いもリアルに再現できます。 
実はこうしたものには、映像も大きな意味を持っているんです。映像を見ながらデモを体験すると、リアリティが大きく向上します。 

色では「赤」「青」「緑」の光の三原色がありますが、触覚にも「触原色」があります。「振動」「圧力」「温度」の3つの組み合わせで色々なものが再現できます。これは、東京大学の舘暲名誉教授が中心に提唱されているものです。国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の「ACCEL」というプログラムの中で、一緒に研究を進めさせていただいているところです。我々はそこにデバイスを提供する立場です。
 

■アルプス電気が「触感」にこだわる理由は伝統にあり

あまり知られていませんが、触覚による認知の意味で使われることの多い「ハプティック®(HAPTIC™)」という言葉は、アルプス電気の登録商標になっています。同社は長くこの分野を手がけており、商標を取得したのもそれと関係があります。

同社がハプティック技術を実用化したのは、2000年代初頭のこと。写真は、同社における感触を再現する技術の元となった「ハプティックコマンダ®」です。ダイヤルやスティック型コントローラーの根元にフォースフィードバック機能が盛り込まれており、操作に対する反応を返すために使う。たとえば、画面のメニューを移動したとき、移り変わりを振動で伝えたり、一定以上回らないメニューで「これ以上は回らない」ことを、回転を重くすることで伝えたり……という使い方がされています。 

アルプス電気のハプテック技術の基礎になった「ハプティックコマンダ」。写真は、採用メーカーへのプレゼンに使われる開発機材

 
ハプティックコマンダの本体。モーターで振動やトルクを与えることで操作感の改善を目指した

ハプティックコマンダのデモ機材の画面。このメニューを移る時に「ガクッ」とした振動があり、つまみを回すUIでは「これ以上回せない」ことが、回転の「重さの変化」でわかる 

ハプティックコマンダは、自動車における「コントロール・バイ・ワイヤ」技術が進展する中で求められた技術でした。各種操作がコンピュータ化され、電子的な操作に置き換えられていくと、どうしても「画面を注視する必要」が出てきます。しかし、自動車では正面を見ている必要があり、視線が操作画面に引きつけられことはマイナスです。そこで、メニュー操作などを触感でもわかりやすく補助するためにハプティックコマンダが生まれたのです。ダイヤル操作もできるデバイスですが、そこに振動やトルクを使った「触感による制約」を入れることで、画面に集中することなく、指先の感覚である程度操作ができるようになっています。

このデバイスは、実際に自動車に搭載されました。デモ機材のものを発展させたものを2002年に欧州の自動車メーカーが採用し、これまでに様々なメーカーが利用しています。

スイッチのフィーリングは通常、物理的にスイッチを変えることで実現されてきました。しかし、メニューの変化に連動してスイッチのフィーリングを変えるには、仮想的に振動などでフィーリングを再現する必要があったわけです。

そもそもアルプス電気は、メカニカルスイッチやボリュームのトップメーカーのひとつでもあります。同じ形のボタンであっても、押し込みの深さや押した時の音、触感など、多種多様な要望に合わせたスイッチやボリュームを開発し、ラインナップを取りそろえています。


 
 アルプス電気が扱っているスイッチ類。同じように見えて、触ってみると感触は千差万別。こうした違いの「伝統」がハプティック技術にも生きている。 
「こうしたスイッチの開発には『フィーリングカーブ』を使うんです」
 
萩原さんはそう話します。スイッチの押し心地を「フィーリングカーブ」で描き、社内で共有しつつ開発をすることで、多様なスイッチをカタログに揃えることができます。別のいい方をすれば、フィーリングカーブこそがアルプス電気の伝統であり、資産とも言えます。
ハプティックコマンダも、このフィーリングカーブを一部でも再現することを目的に開発されました。そして、現在のハプティック技術も、フィーリングカーブの考え方を軸に作られています。アルプス電気は同社のハプティック関連製品に共通のロゴを使っていますが、そのロゴの中央を走るカーブは、実はフィーリングカーブをモチーフにしています。 


萩原さんの後ろに映っているのが、アルプス電気の「ハプティック」ロゴ。中央の線がフィーリングカーブを意味している。
 
すなわち、アルプス電気が振動デバイスを作り、それがVRに使われていくのは、同社がこれまでやってきたことの延長線上なのです。考えてみれば、スイッチは「機械の世界との仲立ち」。VRが現実と機械の境界をぼかすものだと考えれば、手がけるのも当然のこと……と言えるのです。 


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